とある夜に訪れた突然の贈り物。
 設定は「異端神話」「人形遊戯」に基づいたものとなります。




















 「郵便です」と言って年若い男の配達人はオレにそれを手渡した。
 彼はオレのことを何て思っているだろう。……多分「使用人」、かな。あながち間違いでもないのだけれど。


 言葉を発することなくオレは手紙の表面を見やる。
 無愛想な人間だと自分でも思うが、どう声を掛けていいのかも分からない。配達人はそんなオレを少しだけ不思議そうな目をしながら見やる。
 気持ちは分からなくもない。
 仮面をつけた人間を見たら誰だって観察したくなるに違いない。


 自分だってそうだった。
 伯爵と出逢った頃は結構失礼なまでにまじまじと見ていた気がする。……いや、オレのことだからちらちらと、かもしれないけど。
 何にせよ素顔を隠したままでいる以上、好奇の目は避けられない。


 仮面の下からオレもまた相手を観察する。
 季節柄かなりの厚着をしていて、体系は分からない。ぱっと見てふっくらと肥えているように見える。それから俺よりちょっと身長が高い。……まあ、ぶっちゃけどうでもいいけど。


 手の中に納まったその無地の白封筒の表面には「トーテ一族 伯爵様へ」と綴られていた。
 思わず裏面を見ればそこには蝶々のマークが一つ刻まれている。
 ――――一瞬どきっとした。
 「嘘だ」という心と、「きっとレオンハルトさんだ」という心がぶつかり合う。


 丁寧に糊付けされたそれをやや乱暴に指で裂きながら中身を取り出す。
 こんなところ伯爵が見たら「ペーパーナイフを使いなさい」と言うかもしれない。でもいいんだ。今はいないんだから。
 中に入っていたのは一枚の手紙。それ以外には何も入っていなかった。念のため封筒をかさかさ振ってみたし、封筒の中側も確認してみたけれど手紙以外には何もない。
 オレは大人しく手紙を開き見ることにした。


「あのー」
「……」
「すみませんがサインを頂けますか?」
「…………」
「あの」
「――ぁ、御免。サイン、だよね」
「はい。一応サイン貰わないと配達完了にならないんで」


 なんで帰らないのかこれで合点がいった。
 そうだ。手紙はサインをしなきゃいけないんだった。自分には手紙が送られるなんてことがないものだから忘れていた。
 手紙を貰ったらサインをする、それだけの行為すら気付けないでいた自分を少々恥じる。
 ――これも伯爵に教わったのだ。


 郵便配達人が困ったように笑う。
 俺は慌てて紙を受け取り、屋敷の中へと入った。
 今日は寒いだろうから外で待つよりも中で待ってもらった方がいいかと思ったけど、正直他人をこの屋敷に入れるのは怖い。
 御免、と心の中で謝る。
 出来るだけ早くサインをして玄関へ戻ろう。


「サイン、サイン……」


 呟きながら伯爵の部屋へと移動する。
 いや、今はオレの部屋、か。住人のいない部屋は物寂しく見えて仕方がない。色がない、とでも言えばいいのだろうか。変化のないモノトーン光景は少しだけ心を冷たく冷やす。
 ペンは机の上。
 だけどオレはその机の引き出しを少し漁り、ある物を取り出す。
 かさり。
 そう音を立てながら出てきたのは一枚のメモだ。掌にそっと乗る程度の小さな紙を受け取ったばかりの手紙の横に置いた。


「t……o……」


 ペンを掴み、郵便配達人に渡すための紙にサインをする。
 自分で言うのもなんだけど……字が汚い。メモを見ながら綴っているものだから尚更だ。書き終わった後、サイン用の綴り文字を指先でなぞりながら確認する。
 大丈夫、間違っていない。


「サインすることがあったら綴りを確実に覚えるまでメモを見ること……か」


 そんなにも自分は信用されていないのか、と言われた当初は思ったものだが、文字を書く生活をしてこなかった自分には重要なことだった。
 言葉を発することは出来る。
 文字を読むことは出来る。
 だが人間、文字を書くというのは慣れないと難しいのだと今更思い知る。実際問題今もメモがなければ不安なときがある。
 こんな状態じゃ伯爵にまた笑われてしまう。
 ……今は此処にいないくせに、妄想の中じゃ立派なんだから、あの人は。


 メモをしっかり引き出しの中に仕舞い込み、オレは紙を掴んで身を翻す。
 ポケットの中に手紙を突っ込みながら、ふと外を見やれば、曇った空からちらちらと何かが落ちてくるのが見える。


「また、雪降り出した……」


 最悪、と舌打ちをしながら、早足で廊下を抜ける。
 雪が降り出すほど寒い空の下で誰かを待たせているという事実が知らず内に足を速めた。


「すみません、サイン、してきた」


 扉を開けばそこには当然郵便配達人の姿。
 彼は寒そうに両手を擦り合わせながらオレへと視線を向ける。心なしか鼻の頭が赤く染まっていた。


「有難う御座います。――あれ?」
「な、何か?」
「いえ、何でも」
「き、気になるんだけど……何か間違ってる?」
「……いやその、………………うちの子供以上に字が汚いなーと思っただけで……」
「…………さ、サインには違いないから、問題ない、だろ!」


 聞かなきゃ良かった。
 自分で聞いたこととはいえ自分の字の汚さを他人に指摘されるとやっぱり腹が立つ。分かっているのだ。伯爵だって自分の字の汚さには呆れていた。
 アルファベッド一文字一文字区切って書くし、時々インクを飛ばして汚いし、ぶっちゃけ書き慣れていないから文字大きいし……ああ、落ち込みそう。
 文字なんて読めたらいいんだよ、って昔言ったけど、ちょっと訂正。
 今ひしひしと筆記の必然性に迫られて本気でどきっとする。
 この場に伯爵がいたら大笑い間違いなしだ。今じゃなくても後から絶対腹を抱えるようにして笑うんだ。


 ……ああ、もう。
 なんでもかんでも伯爵のことを思い出すのは悪い癖だ。あの人はいないんだ。
 ――――オレはもう、自立しなきゃいけないんだから。


 ふぅ、と息を吐けば白く染まる。
 徐々に自身の体温も外気に奪われ始めて俺もまた震え始めた。中に入って暖炉に火を入れよう。それから温かい部屋の中で手紙を読んでしまおう。


 郵便配達人が小さな声で礼を言ってくる。
 寒くて口を開けるのもしんどそう。やっぱり中に入れて待たせるべきだっただろうか。小刻みに震えるようにしながら男はもう用事はないといわんばかりに敷地の外へと向かう。
 オレは少しだけその背を見送り、それからおもむろにポケットの中に突っ込んだままの手紙を開いた。
 そして素早く視線を走らし、それから顔を持ち上げ大きく口を開いた。


「あ、あの!」
「?」
「あの、御免。ちょっとだけ、聞きたいこと、あるんだけど!」


 声を掛けられた郵便配達人の男はきょとんとした顔で振り返る。
 オレは少しだけ駆け、相手の元へ寄った。
 少し大きめの仮面が僅かに顔のラインからずれる。手で押さえるようにしながら身を寄せれば、どこか気を使うように男は視線をそらす。


 気にしなくてもいいのに、と思う。
 どうせこんなものは飾りにすぎないのだから、と思う。
 伯爵のように晒しがたい傷があるわけではないのだからそういう意味では気遣う必要はない。
 けれど今の自分はこの仮面がなければこの屋敷にいる資格はないのだ。


「あの、この手紙、どこから配達されたか教えてくれる? ……あ、書いた人は分かるんだ。そうじゃなくて、場所……どこから依頼されたのか教えて欲しいんだ」
「場所、ですか?」
「うん。この手紙はどの街からきたのかな、って……ちょっと、その…………気になることが、あって……」


 ぽそぽそと語尾が弱くなる。
 持ち上げていた顔は徐々にうつむき加減になり、最終的には地面を向いてしまった。降ってくる雪が地面に吸収されて消えていくのが見える。もう少し冷えれば積もるかもしれない。
 他人と喋る時はもう少し自信を持って話しなさい、と言ってくれたのは伯爵だ。だけどどうも上手くいかない。この屋敷にやってくる人は少ないし、「トーテ」の名に怯える人ばかり。
 事務的に話を進める方がどれだけ楽か。


 男は掛けていた鞄の中からなにやら紐で止めた紙束を取り出す。
 やがて告げられた名はここから遠いある一つの街の名――――有る意味耳にしたくない地名だった。
 聞いた瞬間、オレは思わず眉間に皺を寄せてしまう。
 それが伝わったのか、相手もまた不安そうに眉を潜めてしまった。戸惑いがちに指を持ち上げ、森の外を指差す様子が申し訳ない。


「あの、もう行ってもいいでしょうか?」
「あ、引き止めて御免。……それから、その……あ、りがと」
「いえ、これも仕事ですから。ところで貴方は此処の使用人?」
「え、違っ」
「じゃあ一族の人……? 実は聞いていた『噂』と違う感じだからどっちなんだろうと思ってて」
「噂……どんなの?」
「言うほどじゃ」
「オレに教えてよ」
「ですから、その……」
「どうせろくでもない噂なんだろうけど、さ」


 どこか貶すように言い放つ。
 トーテ一族の噂は本当にろくでもないものが多い。オレは嘲笑の笑みを浮かべながら口に手を当てる。仮面をつけているのだから目からはろくな感情を読み取れないだろう。
 開いた口が塞がらないかのように男の表情は固まってしまった。
 やがてそれも塞がれ、それから男は唇を舐めた後、首を振る。


「自分が聞いた噂は……その、例えばトーテ一族は死者を蘇らせるだとか」


 やっぱり、と心の中で蔑む。


「そのために墓を暴く、だとか」


 なんだそれ、と心の中で嘲笑う。


「変な力を持っている、だとか……」


 それはあながち間違いじゃない。
 トーテ一族には代々始祖から『力』が受け継がれてきたのだから。
 ……近年じゃ微々たる物だけど、ただの人間からしたらそれでも大したものだっただろう。


 オレは本能的に仮面を強く押さえつける。
 隠したいのは表情じゃない。仮面の下にある瞳だ。ヒトとは違うとされてきた獣のような瞳だ。
 感情が高ぶると瞳がざわざわ騒いで仕方がない。仮面に慣れていないせいもあるだろうけど、言葉に刺激されている自分に呆れそう。


 だけど聞き慣れなければいけないのだ。
 現時点のトーテ伯爵は……自分、なのだから。


「それから」
「もういい」
「……」
「有難う。大体知ってる話だった。もう帰っていいよ」


 腕を組み、今度は堂々たる態度で言い放つ。
 引き止めておきながらこの態度。正直自分がされたらむかつくだろう。オレは相手の顔を見るのが嫌で背を向け、屋敷へと向かう。
 むかむかする。
 声なんて掛けなきゃよかった。


「……あと一つだけ」


 声が追いかけてくる。
 聞く必要などない。どんな噂であっても俺があの人を知っている以上、一族を飾り立てる言葉など不要。


「あと一つだけ進言するならば、自分が――俺が知っているトーテ伯爵とやら人形作りがとても下手な『傷持ち』のガキでした」
「え?」


 思わず足を止める。
 伸びた髪が頬を叩くほど勢いよくその場を振り返れば、帽子を取った男がそれを顔に当ててこちらに会釈しているところだった。
 帽子から落ちてきた髪の色は金。
 身体を起こした後見えた瞳の色は――――。


「貴方はトーテ、というよりも『とててん』伯爵の方が似合いそうですね」
「と、とててん、ってっ――!?」
「ではこれにて失礼。依頼通りトーテ(死者)からの手紙は確かに届けましたよ」


 じゃあ、さようなら。
 そういいながら彼は森へと入っていく。俺は足に根が張ったかのようにその場に立ち尽くした。


 どれくらい立っていたんだろう。
 数秒だっただろうか。
 数分だっただろうか。
 指先が痛くなるほど寒く冷えていた。それを和らげるために拳を作れば痛いほど爪が掌に食い込んできた。ポケットの中から手紙を取り出し、雪が降る世界の下、俺は文字を読む。


 問題なのは手紙の中身じゃない。


「……ば……」


 問題なのは手紙が届くかどうかなのだ。


「馬鹿、みたいだ。俺も……アンタも、あの人も……」


  ≪蝶々が夢を漂う今夜、この世で一番綺麗な悪夢が貴方の元に訪れますように≫


 悔しくて涙が出た。
 馬鹿みたいに胸がむかむかしてそれを吐き出したくて一人泣いてやった。
 泣いてもいいのだ。
 此処には声をあげて泣いても誰も怒りやしない。教会に身を寄せていたあの頃のように声を殺し身体を縮めて感情を殺さなくてもいいのだ。


 此処は自分の楽園。
 伯爵が与えてくれた死者の舞台。


「……泣いてる場合、じゃないし」


 仮面を外し、目頭を袖でごしごし拭く。
 空を見上げれば息が白くゆらゆらと上がっていく様子が見えた。記憶の端に引っかかる優しい人達の声が耳元を擽ることが嬉しくて――悔しくて。


 手紙をぎゅっと握りしめたまま、オレはこの夜だけは『クロアゲハ』としても生きているのだと……『おかぁさん』の面影と『伯爵』の笑い声を瞼の裏に留めた。





…Fin...



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