神様、これは運命ですか。

 一度目は偶然。
 二度目は必然。

 僕が望んだ形を君達は身体に刻んでいた。


雨の日に『拾い者』をする男の話。




 SIDE:一度目の偶然


 一夜の恋人を演じた後にふらふらと。
 雨が降りしきる中、「これを持っていって」と手渡された傘を開きながら口笛を吹く。一晩だけだよと互いに割り切って身体を重ね合った女性の手は愛らしく、抱いたその身体もまた蜜のように甘くてその時だけは幸せだった。
 現実は吐いた精液を受け止めたゴムを捨てる時に戻ってきて、女は煙草を進めてきたけれど僕は匂いがつくのが嫌でそれを断ったことを思い出す。


 イイ女でした。
 「面倒くさいから特定の彼氏を作らないの」とはっきり言ってくれる可愛らしい人でした。
 「僕も」と答えた瞬間、己の右腕に腕を絡めてきて舌なめずりした様子すら魅了的な女性でした。
 もう全てを終えてしまった今じゃその女性のとの縁はないし、街ですれ違ったとしても僕らは赤の他人で居続ける。嘘の仮面を顔に嵌めこんで継続を強請る人間も世には多いけれど、『同族』はそれを見抜くから互いに利用しあうのが丁度いい。


 貰ったビニール傘は安物で、けれども降りしきる雨から僕の身を守ってくれる。
 左腕に付けた時計を確認すれば午後五時。そろそろ世界がまた起きる時間帯。ふぁっと一つ欠伸を漏らしながら僕は大通りを外れ、ふらりふらり。
 近道が好きだ。
 人気のない古びた道を歩くのが割と好きだ。
 そこで肩を叩かれたり、腕を掴まれたりして一夜の恋人を得るのが好きだから。


 外見的によろしくない人に絡まれることも多いけれど、中には『相性』が良い人材もいるもので、その時にはお互いにご馳走様な展開にもなるから止められない。
 けれども危ない橋を渡りそうになる時はどうしても「分かってしまう」から、きっと僕の感覚器は一般人より過敏なんだろう。


「ん?」


 路地裏に一つの影。
 ゴミ袋に沈んで今にも同化しそうな水色が一つ。おや、などと一つ呟いて近付けば、地毛の灰色がゆらゆらと頬を擦った。お気に入りの赤のカラーコンタクトで見える世界はまだ夜の世界をとらえたままだ。
 そうそう、こういうイレギュラーが発生するから止められない。面白い事が起こるのが好きで、日常から足を踏み外したくなるから止められない。


 水色のツナギ服は清掃員そのもの。
 けれどもそれを身に纏っている男性は苦の表情を浮かべながら己の腹部に手を強く押し当てて浅い息を繰り返すばかり。手の隙間、指を汚しているのは赤色で雨に洗われているくせに未だ溢れ出している様子。
 被害者?
 そう首を傾げるが、脇に転がっている小型の銃がそれを否定した。右手に引っかかっているそれを捨てないという事は彼はーー。


「――っ」


 瞬間、開く瞳。
 突きつけられる拳銃。ブレのないその真っ直ぐなまでの勢いに感心すら覚え、僕は一瞬だけ目を瞬いた後思わずぷっと笑ってしまった。
 その態度がおかしいと反応したのは当然怪我をしている相手。
 自分を味方か敵かその他か分類している眼光が心地よい。
 僕は改めて傘の持ち手を両手で握りながら、一歩ずつ雨溜まりを踏みつつ近付いていく。僕は楽しくて仕方なくて距離を詰めるけれど、相手にとってはそうではない。じりっと足を動かし、古びた建物の壁に背を当てて支えにしながら立ち上がろうとする。


 ああ、警戒されているなぁ……、と当たり前の事を頭の隅で思った。


「加害者?」
「あ?」
「被害者?」
「何言ってんだテメエ」
「その他? ――あなたはどれなんだろうかって……思って」


 傘の持ち手ごと両手を組み合わせて僕は目を細めて彼を見下ろした。
 ツナギに隠れているけれど肉付きは非常に良し。晒されている腕からみて運動神経も抜群。視力のいい僕の目にからしても銃は安全装置が外されていて、脅しではない事を知らす。
 裏業界の人に出会った事も一度や二度ではない。
 脅されたことも、命の綱渡りをしたこともあるけれど、神という存在がいるこの世界で僕はどうやらその『縁』に絡めてくれないようだ。


「出血、……そのままだと死ぬね」
「<掃除の失敗は死を招く>、からな」
「ああ……失敗したんだ」


 わざと相手を煽るように言葉を紡ぐ。
 その指が早く折り曲げられないかと内心心躍る。早く、早く。その弾が僕の頭を、心臓を貫いてくれないかと……そればかりが思考を占める。
 だがその前に相手の方が力尽き、銃口がゆっくりと落ちた。最後に舌打ちだけが聞こえ、「限界だ」と呟く声が雨越しに僕に届く。


 視界から銃がなくなれば僕の高揚した心は一気に覚める。
 またも神は僕をそちらへと導かなかった事に対し、ビニール傘越しに空を見上げた。


「ネコが……一匹」


 僕は携帯を取り出し、お世話になっているタクシー会社へと電話を掛ける。
 丁度付近を通っていた車があったようで、五分もしないうちに大通りまで寄ってくれるという。意外と早かったなぁーなんてのんきなことを考えながら僕はまた一歩雨を蹴り上げながら、血の匂いへと近付いて正面に立ちやがてしゃがみ込んだ。



+++++



 応急処置はした。
 傷は見た目より浅く、ただ数だけが多い状態だ。ただ一つ、銃弾の嵌った穴だけが生々しく身体を抉っていた。こんな時、無駄に医療関係に進んでおくんじゃなかったと思うべきか、それとも進んでおいてよかったと思うべきかは不明。けれども人体解剖を何度も見た経験が僕の神経を非常に冷めさせ、手先は淡々と動く。
 まあ、それでも銃弾との遭遇は中々ないもので、ピンセットを穴に突っ込んで取り出したソレを見た時には記念に取っておくべきか一瞬考えてしまったものだ。


 医師は表が良いか、裏が良いか。
 そんな自問、とっくに答えは出ている。


 幸い場所は内蔵器官を見事に避けているし、出血が多かった事さえ除けば適度な処置さえすれば問題ないだろう。
 包帯を沢山ストックしておいてよかったと頭を掻く。今度叔父さんのところでまた分けてもらおうなんて考える余裕まで湧いてきてしまった。部屋の中にあるのは最低限の家具と薬関係の袋と、冷蔵庫には生きるための水が少々。
 ちなみに僕の薬は合法。きちんと医師の許可を貰って、分けられているものですと心の中で自嘲しながら今日の分を水と一緒に飲み込んだ。


 やがて、目覚める気配。
 上半身は包帯でぐるぐる巻き、下半身は下着一枚の姿になった『患者』は意識を取り戻した瞬間、痛みに悲鳴を上げながらも僕の部屋イコール見知らぬ部屋に連れてこられた事に意識を取られ、そしてそこに存在する僕を激しく睨んだ。
 僕は水のまだ残っているコップの淵に唇をくっつけながら、指先を彼の顔の横へとぴっと突きつけた。


「……銃は顔の横、服は洗濯中。他に質問は?」
「っ、テメエ……」
「花音」
「あ?」
「名前。花音。花の音と書いて、……カノン。僕には、音楽用語の一つから名付けられた名前があるのでー……」
「……」
「んー……なんなら免許証でも見る? 偽造じゃないよ。……調べればすぐにわかる」


 とりあえず自己紹介でも一つ。
 コップを台所に置いて戻ってくる頃には彼の手には拳銃が握られていて、上体も起こされていた。カチリ、と音が鳴って安全装置が外れる。折角暴発しないようにセットしておいたそれが、外される。
 たったそれだけで相手は僕が一般人から外れているという事に気付くだろう。
 普通は『戻す』という行為すら危なくてしないだろうから。


「あ、……お土産いる?」


 そういって小型ジップロックに入れておいた潰れた銃弾をぽーい。
 それは難なく相手の元へと飛んでいき、彼はそれを横から素早く受け取って掌にのせて眺めていた。次いで己の身体を見下ろしてから手当てされているという状態を把握し、僕という存在を見定めるように上から下へと視線が這った。
 別に見られて困るようなものはない。灰色の髪の毛に赤い瞳、食欲減退気味のせいで痩せ型の体系ではあるけれど、外見は一般人であることは僕が何より知っている。


「残念ながら、一般人」
「……」
「あなたとの同業者との縁が……たまーに……あるくらいかな。だけど僕自身は医療関係に進もうとして……資格取得前に両親に反抗して大学中退した男なのでー……」
「……」
「その銃、撃てる?」


 椅子を引きずってきて背に腕を乗せる形で正面に座る。
 視線の高さはベッドに座っている相手とほぼ同じ。茶色の髪の毛は乱雑。瞳は黒。無精ひげが生えているけれど年齢はそう変わらないか……下かもしれない。
 体力が戻った彼の腕は銃を握り締め、額へと照準を定めながら僕を見ていた。
 生死の境を行き交う者の瞳。
 ああ、……僕はこんな瞳をしたことがあるかな。


「<HELL CLEAN>」
「……」
「噂だけは聞いたことがあるけれど、僕には関係ない世界なの、でー……、お掃除どうぞ」


 <HELL CLEAN>という暗殺業一団。
 けろっとした口調で僕がもっている情報を提供した後に片手をひらり。だがその単語は如実に彼の心に何かを刺した。早く、早く、早く。そう急く心は脈を速める。
 だが。


「弾なんてねぇよ」


 またしても僕は『回避』させられてしまった。
 死から遠ざかればがくりと椅子の背に額をくっつけて脱力。その様子を訝る相手の気配の心中が分からなくもない。改めて銃を弄って本当に弾数がない事を確認するとまたしても舌打ちの音がした。
 雨の中、倒れていた彼は僕に銃を突き付けてきたけれど、それは脅しでしかなかったのかとつまらない思考が浮いた。本当に殺してくれるなら死んでもいいと――僕は本気だったのに。


 僕は立ち上がり、クローゼットの中を漁る。
 彼はその間も僕に視線を向け続けるのがおかしかった。やがて手にしたのは僕にとってはぶかぶかのシャツ一枚と今より痩せる前のジーンズ。多分これなら彼の身体にあうはずだとサイズをタグで確認して戻る。身長はそう変わらなかったから問題は体格差。引き締まった相手の身体ではジーンズの方がきついかもしれないけど傷のある上半身の方は問題ないから我慢してもらおう。


 差し出したそれを彼は奪うように取る。
 既に手から離れた銃はベッドの奥、壁の方に寄せられていて僕がそう簡単に手に出来ないように距離を置かれていた。シャツに頭を通せばサイズは彼にとっては丁度いいもの。ジーンズはボタンが止まらないとチャックで止めた姿には思わず息を吹きだしそうになってしまう。


「偽名でいいから名前、教えてよ……」
「お前本当は一般人じゃねえだろ」
「同類、だけど」
「『同類』?」
「人を殺したり、薬漬けとかにしたり、そういうアンダーグラウンド系には携わってない……けど」
「けどの続きはなんだ」
「あなたと……きっと心の中で抱えているものは、同じだと僕は感じた……」


 だから拾った、と続ければ彼はぐっと息を飲んだ。
 その意味を正しく理解したのは僕と彼。風もないのに冷えた空気が肌をなぞったのは嘘じゃない。僕は彼が未だ在るベッドへと近付き、その脇へと腰を下ろす。ぺたりと座り込んでシーツの上に腕を組み頭を乗せては目を伏せた。


「あなたは身元不明人……。当たり前だけど、……『あなた』を示すものなど、何もなくて――だから、もし名前を教えてくれなかったら……「ネコ」って呼ぶね」
「なんだそれ」
「拾われたネコ……良いイメージでしょ」
「朽ちいくネコだったかもしれねえぞ」
「それでも、いい」


 心がもう動きにくくなってしまった僕は疲れ、でも手はそっとシャツへと伸びて端を握る。
 くいっと引っ張っては寝るように示唆すれば、彼の視線は少しだけ和らいで感じた。


「俺の名前は――」


 重病人と呼んでも差し支えのない彼は素直に布団へと横たわる。
 それから数日、出ていくだけならすぐにでも出ていける僕の部屋で彼はただ僕の話し相手をしてくれていた。



+++++



 話したくても拒絶される。
 僕らは『同類』だから。
 触れようとすると拒絶される。
 僕らは『同類』だから。


 狂気じみた僕の事をたった数日で見抜いた彼は、僕の『それ』にさえも気付いてしまった。
 僕が抱えている根柢の約束。
 大切な弟との『約束』から派生した感情。――僕の闇。


「俺たちは違う」
「……違う?」
「俺はお前に感謝している。けれど情はない。僅かにそれに近い物はあるが、愛情じゃないんだ。お前は縋れる誰かを欲しているだけで、それは俺じゃなくても良い筈なんだ。確かにお前が求めている『誰か』に俺は近いのかもしれない。けれどそれは『俺』じゃない」


 頭を子供に対して行なう様に優しく撫でられる。
 なでなでと擬音が付きそうなそれを受けるとほっとした。彼が構ってくれている事実が、嬉しかった。


「……なんで? 何でそんなコト……言うの?」
「お前、自分の精神状態分かってないだろ」
「……知らない」
「俺はお前に何もやれないし、何も残せない。分かるか? 人として狂っている、壊れている俺達じゃ只の傷の嘗めあいにしかならない。傷を止めることや分けることは出来るかもしれないが、修復は出来ないんだよ」


 望んではいけないんだと。身体を重ねるような関係は、駄目なんだと、言う。
 血の匂い香る彼は何故か僕に優しかった。警戒心を抱かれていたのは初日だけ。食べ物が全て携帯食だったのも理由の一つだったかもしれない。料理が出来ないわけじゃないけれど、手料理を作れば彼は警戒をするだろうからわざと手料理は出さなかった。
 そういう部分がまた彼からの僕への認識を深めたらしいけど、多分行動は合っていた。


 やがて傷こそ完治はしていないけれども完全に動けるようになった今日、僕らは心の境界線越しに会話しあった。
 踏み込まない。
 互いに踏まない。
 彼が人を殺すように――僕が人を殺さない理由もそこにあった。


「同類では、一緒にいても深みに嵌るだけなんだよ」


 僕は人を殺せるだろう。
 だって僕は『大事なもの』以外はどうでもいいと思ってしまう性質だった。医療に属する者の多い家系に育った僕は親に強制的に進められた医学への道に疑問を抱く。
 ダメだった。
 何度変えようとしても駄目だった。


 だって『大事なもの』以外は石ころと変わらないんだ。


 いや、認識すら出来てない。
 だからこそ一夜の愛が自分にも合っていた。だけど「ネコ」を拾った時は少しだけ認識できた。
 殺せると、思った。
 見殺しに出来ると思った。
 そして――自分を殺せるとも思った。


「……そっか」
「きっと他に、いるんだ」
「でも今は知らない」
「今、何処かにいるだろ」
「でも僕は知らない」
「向こうだって知らないさ」
「……会ってない」
「これから……だからな」


 そう言って去ってしまった最初の「ネコ」。
 見抜いたのなら、気付いてしまったのなら叶えて欲しい願い事も叶えてくれないネコだったけれど、この数日間は素晴らしいと自分でも感動を覚えるほどに満ちていた。
 『大事なもの』のカテゴリへとラベルを貼って思い出の中に沈めることが出来た。
 一人残された部屋の中で僕は誓う。


―― 次こそは。


 己の身体を抱きしめ、壁に肩を寄せながら思う事はただ一つだけ。
 ああ、彼が吸った煙草の香りだけが存在の足跡を残した。



+++++



 SIDE:二度目の必然


 また雨の日だった。
 またあの場所だった。
 女性から一夜の愛と金を受け取って帰ろうとしたことすら同一だった。


 違っていたのは横たわる人物。
 黒い清掃服。汚れ切った金髪。彼よりも若い顔立ち。成長しきっていない身体。
 僕の方は髪の色を灰色から緑色に染め上げていて、そこだけが違っていたかもしれない。


「……黒いネコだ……」


 反応はなく、既に意識を失っていた。
 彼とは違う様子に僕は可笑しくなって滅多にあげない笑い声を響かせそうになった。口に手を置いて歪む口元を無意識に隠す。
 死んでいるのかと確認のため伸ばした手に反応したことが嬉しくて、心が躍る。あの時のように銃を突き付けられはしなかったけれど、ダブる光景に心臓が早鐘を鳴らした。


「……拾って良い?」


 くすっと笑って僕はそれの金の毛にそっと指を触れた。
 問いには誰も答えない。



+++++



 一度目が偶然なら二度目は必然。
 自分でつかみ取った二度目は僕らを強く繋げる縁となった。


 二匹目のネコはなんと十九歳という未成年。
 二十八歳という僕と並んでも年齢差を感じない外見に「老けてるね」というと「お前が童顔なんだよ!!」と強気に返してくるネコだった。
 育ち切ってないその身体で煙草を吸おうとするから怒って、酒を飲もうとするから取り上げて、似合わない髭はとあるきっかけで剃ってもらって若返った様子に腹を抱えた事もあったっけ。
 身長が僕より五センチほど低いことを憎からず悔しがっていた事も微笑ましい。


 さらに言えば『二匹目』という立場に拗ねた様子を見せる事が愛らしかった。
 愛おしかった。
 心から愛せた。
 『大事なもの』のカテゴリから外れたのも弟を除けばきっと彼だけだった。誰だって心の中でカテゴリを持っていて、接してくる人に対してラベルを貼っている。友人である透明人間には『親友』を。その恋人にはちょっとランクを下げて『友人』を。


 そうやって生きてきた僕は二匹目の猫――桂と過ごす日々が楽しい。
 暗殺関係の事件に巻き込まれて腕を折られた事もあったし、それを理由に指輪を貰った事も全て全て大事な思い出なんだ。


 僕が君を利用していると告げた時、君は怒らなかったね。
 むしろ「もっと我儘を言え」と逆に怒られ、抱きしめられた事を覚えている。
 その背に両手を回して「好きになってほしい」だなんて……あんな時じゃなかったら言えなかっただろうなぁ。普段の感情の波が平坦すぎて、目の前で人が死んでも動かない心を彼は結構な頻度で動かしてくれた懐かしき日々。


 ああ、もう悔しくて、愛しくて。
 喜怒哀楽全部の感情を持っていく彼を、本当に心から愛せた。抱き着いて甘えて、身体を重ねて、互いに食べて食べられての生活はなんて魅力的で魅惑的な箱庭だったんだろう。


 緩やかな、生を。
 緩やかな、衰弱を。
 そして最後には無意識に死へと歩むように。
 そうやって生きてきた僕を抱きしめてくれたのは彼だけでした。生きろ、と言ってくれて一緒に生きてくれた数年間を僕は全身全霊で愛している。


「……ぁー……、怒られる……か、なぁー……」


 僕が彼との離別を決意したあの日の夜。
 それでも告げなければいけなかった。彼の元へと足を運んで、別れを告げなければいけなかった。悔しかったよ。一緒に居られない理由が理由だったから。
 この先、君が誰かを愛してもいい。
 この先、君が僕を忘れてくれてもいい。


 だけどもう僕から真実を伝えなければいいけない。
 君が気付いていない――それが唯一の救いだった。だから僕は……。


「最後まで笑っていられたら、幸せだと思う」


 今から二人別れるけれど、どうか君は泣かないでね。
 僕の分も泣きそうな……泣くかな。どうかな。分からないけれど。そこまで僕を思ってくれていたなら、僕は最高な気分で「さようなら」を口にするだろう。


 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 なら、これはきっと「運命」でした。


 左指に付けた指輪にキスをする。
 ぎりっと唇を噛んで、息を吐き出す。ああ、ほら君への想いを全身で出し切ってお別れを告げよう。一緒に住んでいる部屋のチャイムを何度か鳴らしながら、彼が出てくる間の短い時間で僕は表情を引き締める。


「花音、お前鍵あるなら開っ……―――」
「人間爆弾投下ー……ッ」


 出てきた桂に手を伸ばしてそのまま思いっきり抱きつく。
 昔は自分よりも身長が低かったからそれだけで押し倒せたんだけど、今は微妙だね、とぉっても微妙。くすくす笑って抱きついた身体を片手で抱き締めてくれる彼。それでも助走をつけた僕の身体を支えきれずにばったんきゅー。二人して玄関先で雪崩れ込む様子は近所迷惑、階下にも迷惑。


 本当に心から君を愛している。
 ありがとう。
 さようなら。
 そして――。


「桂」


 僕らの道は、その夜「運命」によって引き裂かれた。
 それでも僕はきっと君をこれからも愛し続けるだろう。街に漂いながら、髪の色を変えるように姿をこっそり変えて君を見守り続けるから。


 僕は君に愛された幸せ者でした。
 君は――?
 返事は聞かなかったけれど、僕らの世界が確かに離れたあの夜。


―― 僕は必要?


 君が僕と過ごした全ての年月を思い返して笑ってくれればきっと最高だ。





…Fin...


>> 2Pマコト→表裏KK二人。

 花音さんは色々あった人でした。
 他のキャラにはない独創的な考え方・感じ方をする人であることを表面的に押し出した結果、変わり者・変人を超えてしまっていたと思う。
 2PKマコKは最後は別れてしまったけれど、その別れ方は当人達も書いた自分も後悔していない。
 今回はKK二人に絡んだ話で纏めたけれども、彼は割と周囲に人を集めてしまう人でした。
 なので2PDeuil面々とも仲良しだったし、滅茶苦茶振り回したり、救ってたり、ふわふわと漂うような人だったなぁと。
 あの人達は今も元気です。多分。

2019.07.12

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