「ジェンド。今日はなに見ているノン?」


 ボクはしゃがみ込みながら問いかける。
 目の前にはジェンドが仰向けになりながら寝転がっていた。部屋中に縫い包みの綿が散らばり、ところどころ白い景色の中に落ちた淡い緑の髪の毛。長く長く伸びた鎖のような『彼女』の糸は円を描くように頭の上に広がっている。
 髪の毛を踏まぬように気を使いながらそれでも彼の顔を覗き込む。ぐらりぐらりとゆれた瞳は定まらない。


 薄手のワンピースの裾からは細すぎる足が覗く。
 太腿まで捲れ上がったそれに脱力してしまった。もう少し回数を増やして食べさせなければ。家系なのかボク自身もあまり肉がつきにくい。だけどそれを差し置いても細い足は目に毒だ。


 口の端からだらりと唾液が垂れる。
 弛緩した筋肉は分泌されたそれを抱え込むことが出来なくなったようだ。液体の終着点には髪の毛は散っていなかったことが唯一の幸いか。


 ぐらり。
 ジェンドの頭が左右に揺れる。
 ぐらり。
 瞳は頭動くたびに正反対の方向を眺めていた。


「今日も今日とてイっちゃってるネー」


 くすくす。
 膝の上に肘を置き、顎を支える。それから片手を伸ばし、頬に触れた。


「キミは今、ボクの声、聞こえてるカナ?」


 ふにっと摘めば嫌がるようにむずがる。
 抵抗するかのように手が払われてしまう。両手両足を大の字に放り投げ、転がり続ける彼を眺めながら立ち上がった。


 ところどころに本日の犠牲者の切れ端が飛び散っている。
 いや、この場合は犠牲縫い包みというべきか。
 先日二人で買い物に出かけた際にジェンドが一目ぼれした熊の縫い包みが無残にも手足を引きちぎられ、内臓代わりの綿を抉り出され、皮と言う名の布だけになって放置されていた。
 申し訳程度に縫い付けられた目代わりのボタンなんかはぷらん……っと糸を垂らしながら今にも零れ落ちそう。


 掃除機を持ってこなければと部屋を後にする。
 ほぼ同時にむくりと起き上がる気配。ボクは僅かに身体を振り向かせた。


 たっと跳ね飛んでくる身体。
 そのあまりの唐突さに受身を取ることも忘れ、思いっきり後方に二人で倒れこんでしまう。
 どたん!! と大きな音が聞こえる。それが自分の背中を力いっぱい打ちつけた音だと気がつくのに少し掛かった。


「ッ〜……ジェンド……飛び掛ってくるのはやめてくんないカナー……」


 相手は打ち付けていないだろうかと心配しながら上半身を起こす。
 ダメージは大方身を呈して吸収したはずだけどはみ出した部分が何もないとは限らない。
 ボクに馬乗りになりながら首に手を回してくる手も足同様細かった。成長の止まってしまった肉体は幼すぎて、精神的に追い詰められていた時期を物語る。
 そっと身体を離させるとジェンドは嬉しそうに笑顔を浮かべていた。


 唇が近づいてきて、キスをねだる。
 そのまま任せてしまえれば少しは幸せかもしれない。打ち付けた身体の分くらいには。
 だけどそれは許さない。
 ボクが許さない。
 とろん、と蕩けた瞳が熱情的に誘う。
 獣じみたメスのような、そんな彼の熱がボクは嫌いだった。


「…………さぁ……ん」
「ダメ」
「と……」
「絶対にイヤだからネ」
「とぉ……さ……」
「アイツの代わりなんて、絶対にヤだ」


 近づく唇を掌で覆い、そっと押す。
 ふさがれたそれを解くようにもがもがと首を振る。ボクはそっと離した。彼はきょろりと天井を見上げ、それから床を見る。きょろりきょろりと目の前にいるボクを避けながら四方八方何もないはずの空間を見ていた。
 こんな彼を見ると猫を思い出す。
 気まぐれな猫。何かを見ている猫。


「す、ま」


 小さな唇がボクの名を呼ぶ。
 ぺたぁっと全身を押し付け、そのまま体重を預けてくる。


「抱きしめてて、ね」


 ぞくっとする。
 その女の目が。
 その狂った女の声が。


 緑の髪の毛がボクの肩から腕へと流れていく。
 彼の腕はボクの脇を通り、背中にしがみついていた。シャンプーの香りがする。同居人であるボクにも同じ香りがするはずなのにどこか不思議な感覚に陥った。
 するっと足がボクの足を擽り、それから背中へと流れていく。
 まるでだっこちゃんとかいう人形のようだと思いながらもその縋り付く様は心地いい。信用されているのだと感じられる、それがいい。


 ジェンドの腰に両手をまわし、骨盤の上で指を組む。
 ワンピースの生地を通して伝わってくる体温は低い。


「……きもち、いー……」


 自分よりも小さくて頼りなくて不安定な彼。
 抱きしめてしまえば壊れてしまいそうだけど、ボクは抱きしめることしか選択出来なかった。
 二人一緒の空間でこうして死ぬまで抱き合っていられれば欲情することもなくきっと幸せでいられるだろう。肉欲よりも精神欲を満たす、それだけの純粋さでいられるだろう。


 ジェンドの肩にボクは顎を乗せる。
 男よりも儚くて、女よりも惨めなジェンド。
 護ってやらなければと思いつつも、この手で壊してしまいたいと思っていることも本当。だからこそ、ボクはジェンドに縋り付くことが出来ない。


 愛してるなんて。
 今はまだいえない。


「お片付け、しなきゃぁネ……」


 散らかった部屋の中、ジェンドは一人で沈む。
 喚きながら、叫びながら、狂いながら、呪いながら。
 ――――いつか一緒にその闇の深遠に連れて行ってくれないものだろうか。


 そんなことを密かに思いながら、ボクは彼を寝かせるためその軽い身体を抱き上げることにした。






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