「どこか知らない場所へ」(ピラメサ)





 王家の墓の上で目覚めた俺。
 墓守は二人もいらないとパピルスに追い出された後に歩いてきた軌跡はどれくらいの距離になっただろうか。
 すれ違い程度の知り合いを作った日々に身を浸けるもそれは俺の心を満たすことはない。何故なら誰もが俺より先に命を終えてしまうから。
 仕方ねえな、と生まれた頃より所持している帽子の位置を特に意味なく変える。


 人の命は儚い。
 どこかの国の文字を思い出して俺は嗤う。人という夢は儚い。だから、尊い。
 この腐敗した世界に落とされた俺達にそんな言葉は似合いはしないが、ほんの僅かそれに乗っかってみたいと思う事も暫しある。それこそ怠惰的で、緩慢な思考に過ぎないのだが。


 はぁ……と息を吐き出しながら空を見上げる。
 綺麗な青色だった。
 薄いカーテン雲がほんの僅か視界の端に引っかかる程度の快晴だった。まだ昼である事に口端が持ち上がってしまう。


 夜には逢いに行ける。
 朽ちた教会の偶像様。俺の可愛い可愛いアイドル。神様の人形。


 ――ミサ。


 二文字の名前を唇から零す事すらお前を侵しているみたいで、この身体が悦ぶんだ。
 同じ顔で、同じような産まれ方をした<欠片>。
 存在意義に執着している愛らしい未完成の神。
 あれは神聖さを纏う事に意味を見出しているが故に、俺を『悪魔』などと呼ぶが――語源は同じだろうに。


「っと、喉が渇いた、なぁ……」


 オアシスの木の陰で休んでいた俺は起き上がり、干からびる前のオアシスで産まれた水に手先を差し込んで口に運ぶ。


 じゃりっと喉の奥で音が鳴る。
 砂に縁が有り過ぎるなぁ、と自嘲。この身体を構成している物の存在を知らされ、一度熱い息を吐き出した。それでも自分を繕う。包帯を巻き直し続けた身体は砂が焦げたような色をしているけれど、大元は異なる。


 さて身を落ちつけよう。
 ミサ。
 ミサ。
 お前に逢いに行くまで、まだ時間が必要だから。



+++++



 ミサ、お前にとって最悪な初対面だったか。
 ミサ、俺にとっては最高な初対面だったよ。


 一人っきりで彷徨った先に見つけた教会。
 ステンドグラスを磨く美しい光。星の欠片。ああ、俺よりも高貴な輝きが見える。黒い髪に白い肌。服は黒と青の二重奏。ステンドグラスから月明かりが差し込んでその白妙に色彩が宿るのを見ては片手を上げた。


「やあ、兄弟」
「……お前何者だ」
「王家の墓、ピラミッドからやってきたお前に似た存在ってやつかな。……正直同じような存在が俺以外にも居るなんて思ってなかったから今声を上げて笑いたくて仕方ない」
「神の星屑」
「はは。そうさ、そうだよ! 本体から落とされた星屑から目覚めた神の模倣品。未完成品。彗星の尾にすらなれない生き物と呼ぶのもおこがましい存在さ」


 教会に響く声。
 こんなにも大きな音が自分の体内から出る事に驚いた。この身体にそんな元気が残っていた事に驚愕した。俺を目の前にした兄弟――名も知らぬ彼はステンドグラスを拭いていた手を止め、宙に浮いていた身体をゆっくりと床に敷かれた絨毯へと足先を下ろす。


 その一連の動作すら清いものに感じたのは何故か。
 いや、『そうであれ』とあれは望まれた存在だ。――伝わってしまう星の共鳴。俺が本来は死者の墓守であることを望まれなければいけなかったように、この目の前にいる兄弟は……。


「ミサ」
「あ?」
「俺はこの教会の偶像。この場所で『ミサ』が鳴らされた瞬間に産まれたが、鳴らした持ち主……骨ペンギンは祈りを捧げ続けては最後に朽ちて去ってしまった」
「ミサ?」
「――ミサ。だから俺は『俺の名前』を付けた。単純に、ミサと」
「こんな朽ちた教会でお前はずっと存在し続けてんのか。誰も来ないだろう、こんな場所」
「お前が来たじゃないか」
「……あー……」
「ピラミッドからこんな場所にまで距離があっただろうに、お前はどれくらい移動したんだ」
「さあ、文化が三つくらい変わる程度には歩いた気はするけれど……途中で歩くのも飽きちまったからなぁ」
「お前に名前はないのか」


 こっちは自己紹介をしたのに、と続く。
 ああ、それで先ほどの話に繋がるのかと俺は手を口に添えて目元を細める。そういえば自己紹介なんてもの、誰かと対面したら簡単にするもんなんだな。
 通り過ぎていく過程の中、会話をすることはあってもこんな風に『特別な存在』と出会うことなど稀有で、俺はそんな事すら初めて知ったよ。


「ミサ」
「なんだ」
「俺は名無しなので、神の偶像たるお前が名付けてよ」
「お前を産んだ<欠片>の元は名付けなかったのか」
「生憎とピラミッドの墓守は二人もいらない、自由に出ていけ。それが最後の言葉のようなもんだったよ」


 やれやれと肩を竦めて俺は呆れた息を吐き出す。
 良いんだけどな。良いんだけどね。どうせその役割を奪われたって俺は俺のままで居ただろうから。喉の奥に引っかかる空気と異物。
 吐き出せないそれを無理やり呑み込んで、ズボンポケットに両手を突っ込んで返事を待つ。


 清らかな兄弟はサングラスの奥で瞳を細める。
 ああ、こういう時どうするんだっけ。祈り? 祈る方法。ああ、そうだ。神の偶像にはまずは膝をついて、両手を絡めて――。
 月と星の光の下、天井から降り注ぐそれに俺は唇を鋭角に上げた。


「ピューラミス、もしくはピラミス」
「うん」
「ピラミッドの由来とされる音源。pyramis」
「ピラミスにしよう。ああ、この瞬間から俺はピラミスさ! 呼んでくれ。俺の名前を――ミサ、ミサ! お前が名付けてくれた俺の名を!」


 この瞬間の恍惚さを高らかに歌い上げる。
 知識ある聖人に名付けられた俺だけの名は星の一つであることを赦された。……ミサ、お前の前だけでは。


「またくるよ、ミサ」
「来なくていい」
「ミサ」
「呼ぶな」
「――俺はしつこい男なんでね。また明日、太陽が恥ずかしがって地平線に姿を隠した頃に」


 そう言って砂塵を残して去っていく俺。
 ミサはその僅かな痕跡を心底嫌そうに眺めていたけれど。



+++++



 ―― 香りが漂う。


「やってきたのか、悪魔め」


 あれ以降俺はミサを口説く。
 最初は何の意味なのかさっぱり分からなさそうにしていたミサだが、徐々に俺の本気さとその堕落の言葉に嫌悪を示し始めてきた。
 毎夜毎夜。
 足蹴無く通う先には教会。扉に手を掛けて、入る一瞬だけ己の腕を香る。今日もいい匂い。甘い匂い。素敵な香りを纏わせているだろう? と自嘲して、足を踏み込ませた。
 悪魔だという癖にミサの聖域は俺を拒まない。鍵をかけてもどうせ俺には無意味。これでも神の端くれ……指を一発鳴らせばそれだけでぼろぼろと鍵は崩壊するからこそ、そこは常に解放されていた。


「ね。ミサ、どうよ。そろそろ覚悟決めてくれた?」
「……。……ピラミス」
「呼んでくれて嬉しいよ、ミサ」


 俺達は繰り返す。
 いずれはどちらかが終わりを迎えることを知っていて、それでも尚も繰り返す。
 お前が俺の名前を付けてくれたんだ。俺の名付け親はお前だぜ、ミサ。神様でもない、親でもない、パピルスでもない――俺だけの可愛い可愛いお人形。


「外の景色は今日も快晴。星々が踊り、音楽を奏でている。さあさあ、その足を一歩教会から差し出すだけ」
「惑わすな、悪魔め」
「そうさ、俺はお前の悪魔さ。俺のアイドル。愛らしい神の偶像。アイ・ドール。『私はお人形』と教会に執着し続けるお前をかどわす悪魔さ」
「不愉快だ」
「白い髪に焦げた肌。ミサ、お前とは異なる色彩を乗せた俺と共に外の世界を見るのは怖いか?」
「俺はこの教会の偶像だ。象徴だ。神の代理人だ」


 頑なな愛らしいミサ。
 禁欲主義のミサ。
 対して欲望主義の俺。ピラミス。そう、欲望こそが俺の昇華方法。お前と共にと願うこの感情こそが俺の最たる願い。


「なあ、ミサ。――俺といこう」


 包帯を巻いた腹部に手を置いて、紳士ってやつの真似をする。
 頭を下げて、丁寧に願う。ミサ、お前に願う。
 お願いだよ、ミサ。
 俺がお前の前で笑っていられる今のうちに、返事をくれ。


「去れ、悪魔め」
「ではまた明日の夜に、ってな」


 手の上でじゃらっと音が鳴った。
 服に付いてしまった砂塵をわざと教会に残し、ひらひらと片手を振っては俺は場を後にした。



+++++



 甘い香りを飼う意味。


「ピラミス」


 十字架の上でミサと呼ばれる少年は先ほど去っていった悪魔を思う。
 右膝を抱え上げ、その上に頬を寄せて目を伏せる。


 『兄弟』『星屑』『欠片』『神の代理人』。


 この教会を今更離れるわけにはいかない。
 ミサはそう唇を噛む。噛んで、息を吐いて、甘い香りと残された砂の欠片を見下ろした。両手を頭に添え数回頭を振るのはなぜか。
 それでもミサは知識人だった。
 ――……神の代理人故に、博識であった。


「俺に執着するな、かどわかすな。色彩を得させるな」


 笑って片手を持ち上げて、やってくる夢魔のような悪魔。
 黒と白の対なる髪の毛。
 白と焼けた肌。
 匂いのないミサ、甘い香り漂わせるピラミス。
 全てが逆だった。
 おそらく全てが逆だった。
 神の為だなんて――死者の為だなんて。


「……頼む、ピラミス」


 本当に下らないほどに快楽主義なお前。
 いつも纏わせる香りに隠された意味に気付かぬほど愚かではないのだから、悪魔と罵っている内に去ってくれ。この場所を汚さないでくれ。もしもの未来を見てしまったら――とミサは息を吐き出す。
 ミサと名付けた神は禁欲主義で在るべきなのだ。
 神の為に――この朽ち果てた教会と崩れ落ちるその瞬間を待っている神の欠片。


『俺といこう』


 願われるその声が――消えない。



+++++



「創世神は俺達を放置している」


 ミサ。なあ、ミサ。俺達は自由で居て良いんだ。
 決して姿を現さない星の大元、父と呼ぶべき存在は今までこんな俺達に一切関与してこなかっただろう?
 俺がピラミッドから追い出され、砂漠から歩いてきた時も。お前が朽ちた教会のステンドグラスを拭き続けた間も。
 きっと多くの星屑が世の中には存在しているんだろうけれど、この世界は広い。
 俺がミサの住む朽ちた教会に辿り着くだけでもどれだけの距離を歩いたのか判らないし、判りたくもないし、むしろ俺はここが最終地点で良いとすら思っている。
 世の兄弟達が今何を思って何をしているのか――それを知る術を『神』は与えなかった。


「だからお前と俺の二人きりなんだよ。俺の心の『特別枠』を入って良いのは、ミサ……お前だけだぜ」
「今日もべらべらと誘惑の言葉を吐きだす」
「お前を俺のモノにするための言葉ならいくらでも紡ぐさ。大体、お前の特別枠に入っているのはどうやらこの教会に存在している……と定義した場合の神のようだが、お前はその存在を見た事があるのか」
「神を愚弄するな」
「見たことあるか」
「見る必要があるか」
「代理人ならば、せめて言葉を聞き、人々に伝える必要がある。それなのにお前はいつだって独りきり。俺が毎夜来ても昼に誰かが訪れた痕跡なんて一度たりとも見たことないぜ」
「――ッ」


 図星を突かれたミサは悔し気に唇を噛んだ。
 嗚呼。その表情、イイな。信じて疑わないものを揺らされて、混乱している表情だ。ハンドカバーを嵌めた俺の手を思わず口に添えてその苦渋の顔を凝視する。
 ミサ。
 ミサ。
 俺がお前が言う『悪魔』なら、お前は何故俺を消し去らない。せめて全身全霊で拒絶すればいいものを、それでも訪問者である俺を拒まないのは――ミサ、お前の隙だぜ。


「誰かに祈られた事はあるか」
「止めろ、悪魔」
「教会に信心深い誰かがやってきて、お前を束縛する神に祈りを捧げる姿を見た事はあるか」
「止めろ、ピラミスッ!! それ以上は愚者の言葉だ!」
「何を言うんだ、ミサ。俺は真実を語っているだけだぜ?」


 心外だと両手を肩ほどまでに持ち上げて首を左右に振る。
 禁欲主義のミサは俺の手に堕ちてくるのをまだ拒む。その強気さがイイ。神聖さを保つのが良い。
 両手を組み合わせて俺はくひっと笑う。嗤う。嘲笑う。


「俺が知る限りこの教会で祈りを捧げたのはたった一人」
「――……止めてくれ」
「嗚呼、ああ、そうさ! 俺だけだ!! そして俺は神に祈ったわけじゃない――ミサ、ミサ。お前に祈ったんだ。神の代理人でも何でもない、俺が愛してやまない可愛いミサに!」


 ピラミスと名付けを受けた瞬間から俺の心の天秤はお前へと傾倒しきっちまった。
 この欠けた心を乗せて、もう一方に選別の羽を乗せる事もせず……この想いを『罪』で良いとピラミッドを護る守護者たちに向けて嗤ったよ。
 ミサが浅い息を繰り返す。
 次いでタンっと古びた絨毯の敷かれた床を蹴ってミサは教会の奥に位置する十字架へと逃げてしまった。鳥のように綺麗な飛びっぷりだったよ。そんな事本人は決して意識しやしないだろうが、その背に白い羽が生えていたなら天使とか呼んでやったのに。


「――っと、機嫌を損ねた鳥の機嫌を取るには時間が足りないな。今宵はここまで」
「さっさと去れ、悪魔め!」


 両膝を抱えて顔を伏せる可愛いミサ。
 同じような顔立ちをしているのに、どうしてこんなにも違うのか問いたいほどに俺達は相反していた。


 夜の教会の外の景色はこんなにも綺麗なのにな、と俺はいつも通り帰路を辿る。
 もしもあの背中に羽が生えていたなら――。


「毟って、もいで、天秤に乗せる羽の一枚にしてやるのに」


 もしもの話を口にしても現実にはならないが、その妄想は俺の情欲を煽るには充分だった。



+++++



 快楽主義の俺に、禁欲主義のミサ。
 だけどミサ。それは思い込みであり、自己暗示と何が変わらないのか。
 白い肌、黒い髪。
 触れたいな。触れさせてよ。その身体に腕を巻き付けて、俺より細そうに見える身体を抱きしめたい。きっと俺とは違う香りがするんだろうな。甘い香りがする俺とは違って、きっと澄んだ水のような――そう、オアシスの水のような香りと味がするだろう。


 そして俺は癒されるんだ。
 その水を口に含んで、身体の中に流し込んで――汚染された物全てを浄化してくれないか。


「パピルス――俺の欠片、産みの大元。墓守」


 単語を口にしながら空を見上げる。
 今は昼。こちらはこちらとて誰かが住んでいたらしい住居を間借り中。むしろ居座り? なんでもいいさ。どうでもいいさ。どうせ誰もいないし、誰も来ないし、俺一人きりだし。
 はぁあああ……と盛大なため息を吐き出して幸せを殺す。
 夜にだけ逢いに行くのには理由があるが、それをミサは気付いているだろうか。察しているだろうか。既にボロボロになりつつある包帯を巻き付けてみるけれど、なんだか無意味な気がして俺は途中でそれを止めた。


「よっ」


 両手からぽんっと可愛らしい音。
 新しい包帯を生み出してくひっと喉を鳴らしても誰も聞いてはいないが、感情を表現するということは楽しい。汚らしい包帯から綺麗な包帯へと『着替える』。ああ、そうさ。これこそ俺の正装。正装であるべき姿。


「また甘い香りを漂わせて逢いにいくからな、ミサ」


 昼の月は白くて薄くて……ミサの肌を思い出す。
 右手を持ち上げて視界全体を覆い隠して触れようとしてもそれは所詮、愚行。触れられるわけがない。孤高なる清らかな星屑。俺とは異なる、高貴な輝きを纏う兄弟はあの教会で今日もまたステンドグラスを磨いている事だろう。
 そんな彼に先日贈り物をしてやった。
 教会の境界線を越えることを嫌がる彼に『悪魔』としての贈り物を。


『きっかけが必要なら、俺がそのきっかけをやるよ』
『パピルスから貰った、秘密の薬さ』
『また来るよ、ミサ。次に俺が来た時、それを飲むかどうか、決めてくれよ』


 小さな瓶。
 中に入っているのはたった一口分の液体。


 放り投げたそれをミサは受け取ったけど動揺は止められなかった様子。
 そそるよねぇ。禁欲主義者に突き付け、怯えた表情を僅かにさせた行為。その心中を侵す行為。禁欲――情には様々な形があると言うが、ミサは分かっていない。神の御許に落とされたが故に、理解しきれていない。


 例えば自然を慈しむ心。
 例えば音楽に身を寄せる心。
 決して生き物同士で求愛するようなものだけが欲ではないのに、ミサは全ての物から『欲』を遠ざけようとしているようだ。少なくとも俺にはそう見えた。
 誰もミサに教えなかったからこそ、彼は神以外を拒絶する。
 神の偶像である事――まさに人形となり、本来育つべきだった心を欠けさせているようだ。


 死者の葬列に並んだ俺ですら感情がどのように流れていくのか知っているのに、ミサはその流れすら汲めていない……水のような存在。
 ミサ。
 ミサ。


「愛してるよ、ミサ」


 愛の言葉を口にする瞬間、この心臓の音が少しだけ速さを増す心地よさをお前に知ってほしい。



+++++



 身体が重たい。
 横たえた身体をそのままに太陽と月の入れ替わりを何度か見続けた。いや、別に良いんだけどさ。あの日、瓶を投げた俺はミサに時間を与えなければいけない。


 だからその間、俺が何をしようが別に問題ないわけだよ。
 砂漠のマーケットに顔を出して果実を喰おうが、惰眠を貪ろうが、ついでにミサに似た可愛い女の子をつまみ食いしようが、何でもいいわけ。
 まあこの心は既にミサへの偏愛しか詰まっていないから、ナンパした女の子を抱いても性欲処理に過ぎないわけで俺には浮気のカウントにもならないわけだ。


 時よ、早く熟せ。
 俺はこんなにもミサの傍にいける日を待ち望んでいる。


 ミサ。
 お前の心根は俺とよく似ている。信じているものが本当はない事を知っていてなお、信じようとする心。俺もそうだった。そうだったな。
 死者へと涙を零す人々の列に並び、砂塵を踏んで墓場まで移動し続ける事が仕事だと思い込んでいた。じりじりと太陽が肌を焼いて今じゃこんなにもこんがりとした肌だが、最初はもうちょっとは薄かったはずだ。


 一日、二日、三日、四日、片手を超えて過ぎる日々。


 俺は左薬指を持ち上げて、そこに嵌っている指輪に口付ける。
 生まれた頃から存在していた貴金属。赤い糸が運命の人と繋がっているっていう逸話はどこの世界の話だったかな。だが、割と共通の文化で指輪っつーもんは愛おしい人の薬指に嵌め込むらしいからさ。
 ミサの左薬指に俺と同じそれを見た瞬間、俺は成り代わろうと決意した。


「俺の可愛いミサ。お前のその対になれるのであれば――」


 もしミサの対が『神』であるなら俺はその神からお前を攫おう。
 もしミサの対が俺以外の『悪魔』であるならその悪魔を殺そう。


「だから早く」


 腹部に手を当てて呼吸を繰り返す。
 快楽主義者は気長じゃないからさ。愛している相手と一緒に居られないだなんて勿体ないことこの上ない。
 ミサ。俺の可愛いアイドル。
 人形愛玩者に俺はなった覚えはないんだぜ。だから、さ。呼んでよ、俺の名を。お前がつけてくれた名前「ピラミス」の響きは俺の心を湧き立たせるのだから。


 ―― さみしい。


 ぴくりと、指先が痙攣のように反応する。
 そしてゆるりと持ち上がる口端。上半身を起こして伸びをする。――やっと届いた『合図』だ。


 星屑。兄弟。
 悪魔と神の代理人。
 もはや俺達の関係をどう例えればいいのかなんて俺には分からないが、お前が俺を呼ぶ声を聞き逃す事なんてありえないさ。


「さあ、飛ぶ鳥を堕としに行こうか」


 夜でも羽ばたく鳥がばさばさと羽音を鳴らしながら空を渡る。
 俺は慣れた道のりをひょいひょいっといつもより早めに辿って行った。



+++++



 神の偶像。
 私は神様のお人形。
 神様の代理人。


 こわれてしまった。
 壊れてしまった。
 たった一人の参拝者に、心の底から請われてしまったなら心は傾いていくだけ。天秤に己の心を乗せて、浮き上がらせるための信仰はもう薄れていて――あとはもう悪魔と堕ちていくだけなのだ。


 ミサは呟いてしまった。
 「さみしい」。
 四つの言葉。


 誰も来ない教会でステンドグラスを相変わらず拭いて綺麗にしながら、砂塵だけはそのままに残しておいた状態で呟いてしまったのだ。
 ピラミスの纏ってきた欠片。
 日付感覚など無くなるほどに過ごしてきた日々の中、ピラミスが来ない夜など本当に些細な時間だっただろう。だが、ミサは呟いてしまった。
 その感覚が何であるか知らされ、その言葉を教えた相手に対して息を吐く柔らかさで零してしまったのだ。


 悪魔だと罵倒した。
 神を愚弄するなと何度も叫んだ。
 惑わすなと。
 欲望を抱かせるなと。
 ミサ――神の代理人であることを義務付けられたのだから、欲など要らないと『無欲』を欲するそれは矛盾を抱き続けた。


 そのミサが口にした四つの言葉。


 距離が近くなってピラミスがミサを抱きしめた。
 同一の体躯をしているくせに、まったく違う他人の腕。体温。白い髪の毛が黒い髪の毛に混じり合うほどに近付いて、身を寄せ合った。異国者同士の匂い。
 ミサは水の澄み切った。
 ピラミスは砂漠の砂の乾いたそれ。


「ミサ、迎えに来たよ」
「……」
「なあ、ミサ。俺も寂しいよ」
「……ピラミス」
「俺を呼んでくれて嬉しいよ、ミサ」
「……本当に、お前は――」


 認める言葉。
 ピラミスが手渡した瓶に張られていたラベルの意味が解らぬほどミサは愚かではないのだ。
 それでも。
 それでも……禁欲主義の彼は罪深く感じながらも口にした。
 たった四文字の言葉。
 教会こそが境界線。崩れ落ちぬ前に、聖地にて腐りきってしまわぬ前に彼らは口にしあう必要性があったとばかりに四文字感情を繰り返した。


 だがピラミスは確認すべきことがあると、ほんの僅か身体を離す。
 距離が開いたことにミサが小首を軽く傾げた。


「ミサ、お前の左指に嵌っている指輪の対の相手は誰だ?」
「対?」
「俺には産まれた頃からこの指輪が嵌っていた。指輪は愛しい相手に贈るアイテムだろ。俺には結局対となる相手はいなかったが――ミサ、お前は神が対か?」
「いや、俺もこれは産まれつき嵌っていた」


 意外そうに見つめてくれるサングラス越しの瞳。
 対して気にも留めてなかったんだろう。恐らく帽子みたいな簡易装飾品とでも思っていたんじゃないかというほどの軽さでミサは口にした。
 そんな事実もあったなと左薬指を持ち上げてその輪を指先で撫でる。


「ミサ。それを俺にくれよ」
「……」
「対になろう」
「他にいるかもしれな――」
「もういない。俺にもお前にも。……判ってるだろう、ミサ。この『世界』は二人しか存在を赦さなかった。俺とお前。そこに割り入ってくるものは誰もいなかったんだから、もういない。創世神でさえ自由にさせてくれてるんだ。甘えちまおうぜ」
「……ピラミス」


 ピラミスは己の指輪を左薬指から抜き取る。
 ミサは些か戸惑いを覚えたが、やがて決意と共に抜いた。
 ステンドグラスから漏れる淡い光が二人を包む。本当に同じ指輪のようだった。他の星達も同じ指輪を有しているのだろうかと考えたが、二人はもう目の前の相手しか考えられなかった。


「永遠という名の、」
「愛を誓います――なんて、俺達には、似合わないだろう」
「……ミサ」


 「まあ、それでもいいよ」とピラミスは珍しく苦く笑いながらミサの左薬指に己の指輪を嵌めた。
 ミサもまた倣うように指輪をピラミスの指へと。
 そして恐ろしいほどにそれはしっくりと互いの指に馴染んだ。まるで元々その持ち主が互いであったかのような、そんな感覚さえ覚えた。移る相手の体温すらも、まるで。


「ああ、もしミサに対が居たなら俺は大罪を犯すところだった。お前をその相手から攫って遠くに逃げて、それから」
「この行為自体は大罪じゃないと……?」


 ミサは嵌った指輪を指の腹で撫でながら問う。


「罪なんて生者が被るものさ。もはや神にもなり損ねた俺達には関係ないね」


 指輪に口付けるピラミスの言葉にミサは「そうか」とただそれだけ返した。



+++++



 ミサが手にしている瓶。
 液体を飲み干した後の瓶を捨てる様子を見て俺は歓喜の感情で満たされる。だがその感情はどうやら今の身体には負担が大きかったらしい。
 げほっと息を吐き出した瞬間、口端から零れ落ちる砂の欠片達。教会を汚せば怒られるかと思いきや、心を決めてくれたミサは何も言わずに寄り添い、そして零れ落ちたばかりの砂を両手を掬い上げてくれた。


 ああ、汚いよ。ミサ。
 それはお前の触れるものじゃないよ、ミサ。
 ミイラを作る要領で薬品を全身――それこそ内臓に至るまで塗り込み腐敗を防いだ身体を構成していたもの。
 甘い甘い香りの元だ。


「ボロボロだろ?」
「お前は本当に悪魔のような所業をする」
「それでもミサ、お前といきたいんだ」
「いくよ」


 決意したミサが砂を口に含む。
 次いで同じその両手で分子レベルから合成した水を溢れさせ、口へを運んだ。こくん、と喉が動いて呑み込むその動作が美しくて――。
 ミサ。
 ミサ。
 ああ、神の偶像じゃなくて俺のモンになってくれた可愛い星。


「お前の欠片を飲めば一緒になれんのかねぇ」
「血でも飲むか」
「いいなそれ、ミイラを作る際には血抜きは必要不可欠だ」


 そういって絨毯に投げ捨てたばかりの瓶を拾い上げて、俺は十字架へと投げつけた。
 ははははは、と笑いながらの行動にミサは呆れた息を吐き出す。欠けたガラスの一部を掴み上げて、片手を差し出す。


「おいで、ミサ」
「……」
「最終儀式だ」
「こんな儀式、俺は知らない」
「んー、教会だし――あ、ほら、結婚式的な!」
「趣味が悪いにも程がある」
「砂を飲んだミサに言われてもなぁ」


 そう言って差し出された指先につぷり。
 いいね、痛みに顔を歪めるミサの表情にぞくぞくする。欲情する。本当ならシたかったな。お前と身体を重ねて、神様の前で背徳的な行為をして見せつけてやりたいよ。
 神よ。
 創世神ではない、俺のミサを束縛し続けた教会の神――お前こそが悪魔だろう。どこにも姿を見せないくせに、俺のミサの心を奪い続けたお前こそが。


 ガラスを刺した先、血が良く出るように爪で肌を押す。
 痛い、と文句を言われるが構わない。舌を絡めて、舐めとって、唾液と共に呑み込んで。
 閉じてしまう傷をまた爪で抉って数回血を味わい続けた。


「ピラ、ミス……ッ」
「ん、これで終わりだ」


 口端に付いた血を完全に舐め上げて俺は笑った。
 身体に巻く包帯に手を添える。まだ原型を保っていてくれと願いながら、一方の手を差し出して言うのだ。


「さ、いこうか、ミサ」


 扉の向こう側は砂塵を纏ってきた男の軌跡。
 こんな辺境で二人出逢えた奇跡。
 ほら、もう怖くない。



+++++



 ―― かくして『世界の扉』は二人で閉じられる。


 扉を開いた二人の神様の欠片達、星屑は笑って唇の感触を楽しんだ。
 接触はたった一度であったがそれで満足だと月に見守られながら、砂を踏む。


「……ピラミス」


 幸福という感情を得た星の欠片は満足そうに空を見上げた。
 初めて見たステンドグラス越しではない空は砂塵を纏っていた男の言う通り星々の変光で音楽のような何かを奏でているのが聞こえる。


「いこう、ミサ」


 顔だけでミサを見た後、ピラミスは幸せそうに瞼を伏せた。
 身体を纏わせていた包帯すら風に遊ばせているのは自由を得たからか。
 相変わらず砂塗れで自由気ままな悪魔は外に出たとしてもこの様な存在かとミサは呆れた。


 この先は彼らの知らない場所。
 それでも心が嬉しいと喜ぶ感情だけは誰にも奪わせないとミサは誓う。
 ピラミスには見せなかった、ちろりと唇を舐める快楽を得たその表情。彼は膝を付き、両手を組み合わせそして空を仰いだ。


 二人、共にいく道のり。
 ―― そして『世界の扉』は閉じられ、この物語も終局を得るのだ。







…Fin...


>> ピラミッドリミ×メサリミ。
 ゆきさ様/Twitter:@mooooox

 ゆきささんのリミ神本に載ってるCPなのですが、嬉しい事に執筆&掲載許可を頂きました!
 ピラミスの名前解釈も合致したとのことですので安心しております。
 あとは最後まで出来ない二人の関係性とかに萌えて頂けて嬉しかったり。
 リミ神本につきましては通販もされておりますので、手に取る事がありましたら是非お読みください!

2019.08.24

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