この物語はフィクションです。
 実際の人物・団体・その他とは一切関係御座いません。


 再度私は訴えます。
 この物語は、作り物です。
 実際の人物、知人、友人には全く関係御座いません。



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 私が其れを自覚せざるを得なかったのは『彼』が恋をしたためでした。
 私のために一生を捨てざるを得なかった『彼』が私以外に意識を向け始めた事が全ての始まりでした。


 『彼』は私のための『理想』でした。
 それに気が付いたのも全く同時期です。それまでの私は全くと言っていいほど自覚症状がなく、『兄』が作ってくれた生活のなかでぬくぬくと暮らしていたものです。


 私の本名は『彼』の名でもありました。
 何故同じ名前なのか、私の状態を聞いた人ならば分かるでしょう。
 そうです。
 私は『彼』で、『彼』は私でした。


 私と『彼』を比べた結果、医師は「多重人格(後に言う解離性同一性人格)」という診断を下しました。
 私に自覚症状などありません。
 『兄』がその診断を聞きました。その診断結果は私には伝えられることなく、そうやって何年も何十年も過ごしてきました。


 私に苦労は有りませんでした。
 何故なら私は私以外の存在など全く知らず、身体に巣食っているのは『一人』であると信じていたからです。
 性格の違いこそはあったけれども、自分が一般人であると疑っていなかったのです。


 そんな私に優しかったのは『兄』でした。
 部屋の中に閉じこもり、自分勝手に日々を暮らす私はいつ『兄』に見捨てられても可笑しく有りませんでした。今思えばなんて浅ましい子供だったのでしょう。
 労働することなく、『兄』に甘え、思う存分身勝手に苦しめばよかったのですから。


 独りは嫌いでしたが、一人は苦ではありませんでした。
 だからこそ『兄』が仕事に出かける間、私はぼんやりと現実と夢の間をさまよい続けることが出来たのです。


 変化のない毎日は記憶に平面化を齎します。
 記憶しなくてもいい事柄ばかりで、私自身も覚えるという機能を廃らせていたのでしょう。
 『兄』に何かと問われてもよく首を傾げながら「いつもと同じ」と無表情で伝えていたのを朧に覚えています。


 病院に行く日は大体一ヶ月から二ヶ月ほど空きました。
 一人で行くと何度言っても、『兄』は一度もそれを承諾したことがありませんでした。
 私も一人で行ってもつまらない事を知っていましたし、その時はどうして『兄』が私を一人にしたくなかったのか知りませんでしたから、結果的に私は一人で病院を訪れるようなことなど有りませんでした。


 担当の医師と対面して聞かれることは毎度決まっていて、私はそれに答えることに辟易していました。
 それでも変化のない毎日から一言二言出来るだけ頑張って伝えれば、カルテに何事か増えていきます。
 そして本当に最後の最後だけ……私は待合室に一人にされます。


 今思えばその時こそ、『兄』は医師と二人で相談していたのでしょう。
 私のこと。
 これからのこと。
 服用する薬のこと。
 沢山、沢山……私が知らないうちに。


 自覚がないということはそういうことも含むのです。
 壁一枚挟んで交わされる話に、自分が踏み込めないということも含むのです。


 当時の看護婦が病院に通い始めた当初は私が飽きないように申し訳程度に声を掛けてきたのを覚えています。
 嫌いではありませんでしたが、正直私は『兄』以外と口を聞く事が苦手でした。出来るだけ笑顔を浮かべたいのですが、私は笑顔を浮かべることが苦手で堪りませんでした。
 嬉しくもないのに笑顔を浮かべなければいけない状況も嫌でした。


 その内看護婦は声を掛けてこなくなりました。
 私は本を持っていくようにしました。読まなくてもいいのです。ただ、本を開いているだけで自分の世界に他人が踏み込んでくるのを防ぎたかっただけなのですから。


 『兄』が戻ってくると私は駆け寄ることが多かったと思います。
 年齢に比べて身体が小さかった私ですから思いっきり抱きついたところで、『兄』が転がることはありません。
 他人と接触することはとても嫌でした。
 けれど『兄』と触れていることはとても安心出来ました。


 世間ではそれを兄弟愛と言うかと思えば、自立出来ない『駄目な子』であると評する風潮も当時ありました。


 私は人の声が風に乗って自分の耳に入ってくることを恐れていたのかもしれません。
 部屋に放り込まれた縫い包み達は物を言いませんでしたが、それでも『兄』以上に成り代わることは出来ず、私の手によってよく処分されていました。
 欲しいのは『兄』だけでした。
 自分でも可笑しいと思うほど『兄』以外を得ることなど考えられなかったのです。


 私にとって『兄』は私の世界そのものでした。
 ですが外の世界を生きる『兄』にとって私は世界ではありません。今思えば『兄』が外で何を得て、何を感じ、そしてどう暮らしていたのか、私は知らないでいたのです。


 そう、例えば……『兄』の望みすら、私は知りませんでした。



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 人には転機の時があるといいます。
 それが自分の全てを覆すようなことを示すのであれば、私は『あの日』を其れだといわざるをえない。
 住む場所が変わっても『兄』がいればいいと思っていました。毎日逢えなくても『兄』がそれを望むならば私もそれに従うべきだと思っていたのです。


 『兄』の進言に『彼』は承諾した。
 その頃にはすでに私の決定権は『彼』にあり、私はさながら幽霊のように時々眠りから目をさますだけの存在でしかなかったのだから。


 私は自覚などなかった。
 『彼』がどれだけ動き回ろうと、私が私でいる時間は一定で、それはもはや別人だったのだ。空いた記憶など幾らでも都合よく埋められた。


 『彼』もまた私の存在など知らなかった。
 それでいい。
 私達は別々の人格で、決して同じになど――――。


 私も『彼』も、お互いにお互いの存在など知らずに充分生きていけたのですから。



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 さて、今更の話を幾つかしようと思います。


 父と兄の仲は私が物心付く前からすでに悪く、兄が家を出て行った原因もそこにあるのだと母から教えてもらっていました。
 ですから私の中の家族の記憶といえば、父と母と自分の三人になります。
 『兄』はいません。
 白状しますが、実は今もいません。


 母は優しい人だったと思います。
 あやふやな表現を使わざるを得ないのは、その母の亡くなった時期が私の物心が付いて少し経った頃だったからです。
 事故だったと記憶しています。
 母が亡くなった当時は周りがばたばたしていて、子供だった私は母がいないことに対して怯えるばかりでした。


 忙しない記憶は飛び、やがて庭先へと移行します。
 どういう経緯があって庭に出たのかは覚えていません。けれど私は確かに庭にいたのです。


 そして、『兄』に出逢ったのです。
 再会というには確かな記憶もなく、けれど一目で相手が『兄』だと分かった。
 父に良く似た外見が他人であることを許さない。


 気が付かなければ良かった、と後悔した日々は数え切れないほど。
 だけど悔い以上に出逢えた嬉しさが、その後の私の人生を大きく揺らがしたのです。


 母が亡くなり、父は大きく体調を崩しました。
 その事もあり父は在宅での仕事を選び、私と二人で暮らし始めました。最初の頃は母がいない生活に不慣れで大変ではありましたが、私も出来るだけ父を支えようと懸命に家事を手伝ったものです。
 それでも父は子供の目で見ても元気とは言いがたい状態でした。
 だからこそ、私は元気になってほしいと思ったのです。


 ただ、元気になって欲しいと……そう願ったことが間違いでした。
 そこからままごと遊びのように役を演じたことが間違いでした。


 この文章を読んでくれている貴方はもう察してくれたかと思います。
 私は、以前『私』ではありませんでした。
 私が『私』になったのは、この頃からだったのです。


 役の名は『妻』、『母親』、そして『女』です。
 成長期前の肉体は男と女の差があまりありません。だからこそ元々母親似だった私は髪を伸ばし、女物の服を着るだけで充分でした。
 少なくとも父の心を慰められる程度には……。


 相手役である父は時々『父親』の顔から『夫』へと変貌し、時折『男』になりました。
 二人で居る時はそれで構わないと私は思っていました。けれど私もいつまでも無知な子供でいれるわけがありません。年月が過ぎ、知識をつけ始めた私はこれらの行為を『異常』だと判断し始めました。


 一度そう判断してしまえば後はもう恐怖しかありません。
 いつこの関係が世間に露出するのか気が気でなりませんでした。ですが怯える反面、私は生涯誰も私の存在に気が付くことなどないだろうということも信じていました。
 私の身長が父の脇から肩ほどまで成長し、私の髪が肩を通り越して背中を抜けて臀部へと伸びる頃には、誰も私のことを女以外の目で見ることがなかったからです。
 それほどまでに私は女性化していたのです。


 自身の性に対して嫌悪を覚える方々や好んで女装する方々とはまた違う経緯ではありますが、私が女性のように振舞っても誰も違和感を覚えなかったこと――それもまた私の病気を進めた因子だったかもしれません。


 年月は積み重なっていきます。
 父は私を愛してくれました。
 私もまたそんな父を心から愛していました。
 二人で閉じた聖域にも似た家の中、私達はずっと夫婦を演じ続けていました。


 私の役には名前がありました。
 母の名です。
 あの男が愛した女の名です。
 それが私に与えられた第二の名前であり、これから先私を蝕んでいく『病』の名でもありました。


 何も感じる必要はありません。
 その名前こそが、私が私であるために必要な正気、だったのですから。



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 『兄』との再会は唐突なものでした。
 今思えば『兄』がどうして自分達が住む町に戻ってきたのか不思議でなりません。帰宅を目的としたものではないことはすぐに察しました。父と不仲であることが原因で家を出て行った彼が戻ってくることなど有り得ないのです。


 けれど私達は出会いました。
 ……二人生まれたこの街で。


 私は『兄』を慕いました。
 単純に、けれどどんどん自分の中にある暗闇を広げるかのように私は『兄』を慕いました。


 あの『男』には『兄』が帰ってきていることを言えなかった。
 伝えたらあの二人に何が起こるのか想定出来たからです。親子喧嘩、と一言言って終われればどれだけ楽でしょう。
 けれどそれでは終わらないからこそ、『兄』は家を出たのです。


 『男』を密かに裏切るかのように私達は数回逢瀬を交わしました。
 けれど隠し切れなかった。
 『女』に執着したあの『男』が私の不在を許すはずがなかったのです。


 ――――三日間の監禁、諍い、障害、……そして、離縁。


 今でもあの三日間を思い出すことは恐ろしい。
 小説などで該当する単語を見かけるだけでもこの身が竦みあがり、泣き喚きたくなるほどです。


 誰もが傷つきました。
 誰もが傷つけ合いました。


 肉体的にも精神的にも限界に追い詰められた、歪んだ欲望達。
 両手を伸ばして奪い合った最後はとてもとても悲しい苦痛。
 『男』と『男』が『女』を奪い合う様はドラマチックで、気持ち悪い。経験した者なら誰もがわかる。それは小さな戦いで、けれど精神を鋭利なナイフのようなもので抉っていく行為だと。


 ……結果。
 全ての結果は、重複した闇の中に隠されていることでしょう。


 私は全てを知りません。
 『兄』しか知ることが出来ません。
 けれど彼はきっと私に話すことなどないのでしょう。
 …………それが、彼が、私に対してもつ、唯一の秘密…………。


 そしてそれは、当時生まれた『彼』とて生涯知ることはなかった。



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 ……白状します。
 私はあの家から逃げ出したかった。
 私はあの『男』から逃げ出したかった。
 そう私が自覚した時、胸の奥で大きな獣が動くのを確かに感じたものです。ざわざわとそれは蠢き、欲望と言う触手を伸ばして私を絡めようとしました。


 『男』を愛していたのは本当でした。
 けれど『兄』を愛していたのも本当でした。
 ちりちりと優劣の差が身を焦がしたあの日々。
 幸せでした ―――― 不幸せでした。


 愛は私に曖昧さしか与えてくれなかった。
 だから私はそれを利用していた。
 『男達』を利用することは罪悪感をも連れて来たけれど、私から生を奪うことはしなかった。
 馬鹿みたいな話ではあるけれど、私はあの日々を過ごした中、それでも自死を実行したことなど無かった。


 逃げることが出来ると、あの日私は知りました。
 自分を痛めつける全ての手から逃げ出して、新たに居心地のいい場所を探し出せるのだと知ったのです。


 私は家から逃げ出したかった。
 私は『私』であることから逃げ出したかった。
 私は役割全てを放棄し、『男』の手から逃げ出したかった。


 今やっと白状出来ます。


 この身に起きた一部の事を私は自覚したのですから。
 そして、今はもう悲しくも過去の話であると思い出の中に漬けることが出来るようになったのですから。


 私は……私をも利用し、全てから逃亡し、そして幸せになっていたのです。
 それが『仮初め』であることを知らず。
 それが『兄』の手で作られていることを知らず。


 自覚しない病は周囲の人間を巻き込みます。
 私が『彼』に長年気が付かなかったこともそう。矛盾の嵐をも都合のいい病気に変えて私は『逝き』続ける。
 眠り、起きる――この行動すら私に与えられた幸福の箱庭。


 私は抱かれ続けるでしょう。
 包帯によって沢山の罪を隠し、口を封じることによって真実を騙り、自立しないことで足場を失い続ける。
 幼い子供のまま、か弱い乙女のまま、理想の女神のまま、望むがままに……望まれるがままに。


 箱庭籠城を選択した兄弟=私と二人の兄の三人。
 それは壁を作り、真実を遠ざけ続けた結果の籠城。


 幸せだけを送り届けたいと願ってくれた一番目の兄の残虐性。
 幸せであるならば、と願ってくれた二番目の兄の視線逸らし。
 幸せを望み、喜んで足を踏み入れた私の毒吐く唇の口封じ。


 生きるだけならば、真実など要らないと……私達は目を合わせなくなった。
 だから私達は幸せ。
 『礎』となった死体を見なくて済んだと内心醜く安堵しながら。


 ああ、全てを知っているのはきっと『兄』だけなのでしょう。
 私の運命も、俺の運命も、僕の運命も、もしかしたら兄自身の運命すらも。


 巡り孵された一度目の愛憎劇。
 繰り返された二度目の愛憎劇。
 辿り還された三度目の愛憎劇。


 成就したのは何で、成就しなかったのは何か。
 神の手で踊らされた人生こそが正常だと言うならば、私達は異常を望み続けていただろう。失いたくなかった。喪いたくなかった。誰もあんなラストを望んじゃ訳じゃない。決して誰かを不幸にしたかったわけじゃなかった。


 だからこそ、私と兄は胸の奥にしこりを抱き続けるのです。
 これで誰も私達の愛を邪魔することがないと嬉しく思いながらも――これで本当に良かったのだろうかと悔う人生。


 重圧。
 後悔。
 寂寞。


 心の奥深くでひっそりと住む死の住人達。
 有難う。
 『彼』はずっと『私』を愛してくれた。
 有難う。
 『彼』はずっと『僕』を想ってくれた。
 有難う。
 心の奥底で深く根付いた死の具現達。


 ……耐え切れず、この場で告白することを、どうか最後に赦して欲しい。


 私は残しておきたいのです。
 『彼』が愛した『彼』のこと。
 『彼』に愛された『彼』のこと。
 厚塗りされる記憶はもう信用出来ない、だからこそどうか――。


 こんな私を『男』がどうして愚かと呼ばないのか、そればかりが不思議です。



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 この物語はフィクションです。
 実際の人物・団体・その他とは一切関係御座いません。


 再度私は訴えます。
 この物語は、作り物です。
 実際の人物、知人、友人には全く関係御座いません。


 ―――― 『貴方』が私を箱庭に閉じ込める限り、永遠に。





…Fin...


>> 今までに至る『私』の経歴。

 2009年頃執筆(ファイル記録より)
 『俺』が『私』であった当時を思いながら衝動的に書いたことだけ覚えています。

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