何処までなら許せる?
 何処までなら、それを愛情だと認められる?

 愛した者のためなら、他の何を犠牲にしても良いと思えるラインは何処だ。


金のイト





 「大丈夫か」と俺は最初に『子』に問うた。
 他愛のない願い事を口にした子――ソファーに座るエイダの正面でふよふよと浮き上がらせながら二人で眺めていたモニターを指さす。


「MZD様、私は大丈夫ですよ」


 ソファーの上で足を揃え、その膝の上に両手を置いた綺麗な姿勢で彼は俺を見上げてくる。
 その瞳の色は核より受け継がれし蒼。海や空を思わせる深い色合いのそれはサングラス越しではなく、今は裸眼。
 俺よりもフラッグの方を模した『幼神』ではあったが、その瞳の色だけはどうしても変化させることが出来なかった。俺達がフィアやエイダにRimixを担当させる時、絶対にサングラスを手放させない由縁もそこにある。


「なあ、俺達の中で誰よりも優しい神よ。あの改革の日、平手一発なんて甘い罰で済ませたのはお前の優しさじゃないよな」
「はい、その通りです」
「お前は誰よりも俺達の中で多くの犠牲を払った――その分の見返りが欲しいか」
「いいえ、その必要は有りません」


 彼は膝上の手をぐっと突き伸ばして背を反らす。
 より一層上方にいる俺へと視線を向けてくれば、彼は目を細めて微笑んだ。


 なんて綺麗な笑みだろう。
 なんて悲しい笑みだろう。
 なんて罪深い笑みだろう。


 彼はそこに在るだけで俺達、三神の心を離さない。
 本人は何もしていないが存在しているだけで『幸福』も『不幸せ』も『罪』も『罰』も――そして『再生』と『逆再生』が誕生するのだ。
 なんて特殊な存在。
 俺がそう決めた。定めた。彼はただその<理>に従い生きているだけなのに。


「覚えていますか、MZD様。私が初めて生まれた時、貴方が私にしたことを」
「――……」
「今思えばあれが最初の『再生』だったのですね」
「そうだよ」
「今思えばあれが最初の『逆再生』でしたね」
「その通りだよ」


 質問に肯定を繰り返し続ける。
 この場にフラッグとフィアはいない。片割れと息子は仕事をしている俺の為に席を外しているからだ。どうせ二人揃ったところで夕食の準備かフィアが手伝って仕事を片付けているだけだろうけど、それでも彼らがいないただ二人だけの空間が愛おしかった。
 ……愛おしいと、思った。


「なら大丈夫ですよ。私はフラッグと同じ衣装が着たいなーっていう願い事を一つ呟いただけで、貴方はそれに対して私に『選ばせて』くださり、そしてなーんとなく選んだだけですからね」
「もう、超ノリノリで響かせてくれよな」
「ええ、『GOLD RUSH』ポップンミュージック版は頂いていきますね」


 よっと彼は掛け声をした後に、その姿を変化させていく。
 今まで着ていたパーカーは金のぶかぶかのノースリーブ、黒の七分丈シャツにそれと同配色の半ズボンとスニーカーへと溶けて再生する。
 『GOLD RUSH』の名の通り、札束などを連想させるその金はエイダが纏うには派手かなとも思ったけれど――これは意外に……。


「似合いますか、『金髪』」
「ちょー似合う似合う! それでサイッコーの旋律を頼むぜ」


 前髪に指先を絡めて彼もまた己の瞳に移し込む。
 俺は表面上笑って見せるけど、じくり……と胸の奥が痛むのは『罰』ゆえに。けれども金髪碧眼のその姿は在りし日の存在を思い出させ、彼が他の二人にその姿を見せようとサングラスを片手に部屋を早歩きで出ていくのを眺め、見送った。



+++++



 昔々あるところにから始まる過去。
 神の息子が狂いかけてとんでもない『悲劇』を起こした日のこと。


―― この子を助けてね。
―― この子を心から愛してね。
―― 怖がらないで、怯えないで。
―― あなたたちぜんいんをあいしているわ。


 ああ、俺が愛した『金髪碧眼』の女よ。
 これはなんて悲劇の舞台か。お前は最後の瞬間まで『我が子』を大切にしたんだな、護ったんだな。愛していたからこそ、絶対に喪わせないと命を懸けたんだな。
 キラキラ。
 なんて綺麗なお前の<お星さま>。
 今はもう残滓でしかない削れてしまった女神の存在でも、俺には眩しくてその輝きを手にし、残された遺言は『再生』を繰り返し続けている。


 俺とフラッグが駆け付けたあの暴発の日。
 既に女の息吹はなく、存在していたのは<欠片>だけだった。感情の塊であったフィアを人の形の中に閉じてしまった事が原因で、流れ込んできた感情の波を受け止めきれず容量が足りなくなった故の悲劇。
 同族喰いをしていたフィアの『核』。
 流れゆく感情を受け入れるために周囲の弱き感情を喰べて、育った元。あのまま育てば間違いなく『闇』へと偏った何かが産まれていただろう。
 実際、俺が見つけるまではあの子は闇であったのだから。


 順調に成長して少年へと至ったはずなのに、現在は五歳児程度に身体を戻してしまった我が子を抱きしめて俺は『後悔』をした。
 だけど、後悔をしても遅い。もしも愛した女を輪廻から外さなければ? もしも見つけたそれを連れ帰って我が子としなければ?
 もしも『少年』であった俺があの『父』から逃走しなければ――。


 ぐるぐるぐるぐる。
 神様であることと、家族であることとがぶつかって俺は狂いそうになる。ぎゅうっとフィアの壊れそうな身体を抱きしめて、その中に『愛した女』の残骸を発見して一層悲しみに溢れた。お前は喰べたんだな。お前は母親を喰ったんだな。この身体じゃ受け止めきれなかったから、この制限された身を解放へと向かわせた途中、『餌』として誰よりも非力とはいえ神である母親を見つけてしまったんだな。


 おそらく、アイツはこう言っただろう。
 いいのよ、と。
 怖がらないで、怯えないで。
 貴方がこの世界を愛せるようになるのなら、私を糧にしていいの。


 影神として連れて帰った女に『声』はなかった。
 フラッグのように凶悪な悪魔を核をしているわけでもない、ただの非力な女であった俺の嫁は輪廻から外れた代償に声を喪った。けれども頭へと直接的に響くその感情が音に変えることだけは許された。
 声のない女よ。
 それでも最期まで『我が子』に呼びかけ続けて、後悔しなかったか。
 この子がお前を喰らっても、悲劇は再度起こるだろう。


 だってこの子は――。


「ごめんなさ、い……おかぁ、さ……」


 お前がいないと、全身全霊悲しんでいる。
 浮上しない意識の向こう側は夢。神様の夢は時折亜空間に繋がってしまうから、連れ戻さなければどこかでひずみが産まれてしまう。
 ああ、でも。
 待って。
 誰か、誰か――。


「――――――!!!!」


 片手に女神の欠片を。
 抱きかかえた我が子を。
 頬に伝うこれはなんだ。唇から放たれる音はなんだ。
 慟哭なんかじゃない。むしろそんな言葉で表せたら楽だ。
 だが止まらない、止めることが出来ない声は誰にも届かぬように空気を震わせることを許さず抑え込み、背を反らした俺のそれは何もない空間へと吸い込まれていく。


 お前だけが俺を見ていた。
 フラッグ――お前だけが俺を分かってくれていた。理解してくれた。億年越しの付き合いだけじゃなくて、背中を預けられる存在として<悪魔>を選んだ俺という『少年』は、またしても間接的としても『破壊』を生み出してしまった事を。
 影を大きく広げて全員を抱きしめてくれたその腕の大きさを、俺は今でも忘れない。


―― 我の手の中、暫し休むがいい『少年』よ。


 懐かしきその言葉遣い。
 腕に抱かれながら俺は二次災害を起こさぬように抑え込んでいた力を収束させる。そうだ、休もう。きっとこれは悪夢だ。
 創世と破壊を繰り返したあの世界で見ているIFの世界なんだ。


 もしも俺が嫁と出会ったら。
 もしも俺が子を得たのであれば。
 もしも、もしも。


 全部がもしもの世界なら?


―― お前の未来は我に見えぬ。
  『少年』よ、世界樹に上ってきたあの頃を思い出し、後悔せぬ道を選べ。



+++++



 フィアは弱かった。
 弱すぎた。闇を抱えるのにその身体は幼すぎて、許容量が少なすぎて、異端狩りという大量虐殺を行う人間達の『闇』を喰う事が出来なかった。


「……を、核にし……。俺の身体を媒体に――繋げて」


 あの日から数か月、数年、十数年経った今、フラッグに世界安定を任せて俺は箱庭へと潜る。
 フィアは今も己が作った亜空間に籠り、自死を望んでいるだろうか。それとも偽りの母を生み出して膝で眠り続けているだろうか。


 なあ、俺の嫁さん。女神様
 フィアが初めて海を見た時、その波の動きに一喜一憂していた事を覚えてるか。俺とお前の片手を取って大笑いをしながら、世界中をめぐりたいとはしゃいでいたあの明るい我が子だよ。
 可愛い可愛い俺の<欠片>。
 お前が作りたがっていた<家族>。
 その形が確かにあったのに、フィアはあれ以来口を開くたびに「ごめんなさい」と悲鳴を上げ続ける子供になっちまったよ。


 地上を駆け回り、世界中の料理を俺が作って、皆で食べて笑っていたのはもう『過去』になっちまったんだ。


「――自発思考回路を……少し、減らし」


 それでも俺達はお前が居なくても生きなきゃいけない。
 だって俺は『創世と破壊を繰り返さない』事を選んだ。だからこの世界に不満を抱いたとしても壊したりはしないよ。
 この世界は楽しい事も嬉しい事もあるけれど、その反面辛いことも悲しい事もあって当たり前の世界にしたいんだ。


 だから赦してくれよ。
 頼むから赦してくれよ。
 俺の傍にいた愛する女神様。


―― 怖がらないで、怯えないで。


 お前の<欠片>を軸に、その海馬に細工を少々。
 俺の<肉体>を切り分けて、血を、肉体を、再生させる。


 ごめんな。
 きっとお前はこんな愛し方を望まないだろうけれど、今の俺にはあの息子を愛し続けながら護る方法を見いだせないんだ。
 ナイフを押し当てた手首から流れる血と腹部を割いて削り取った肉。


 これは――紛れもなく俺達の子だよ。
 だけど――俺は息子のための『贄』にさせる。
 夫婦であった俺達の間に肉体関係はなかったな。だけど、目の前に在る存在は唯一無二の――。


「金髪に、蒼い瞳……か」


 形付いた命が身体に定着するまで少々時間が必要。
 十五歳ほどの少年の僅かに開いている瞳の色が、髪の毛の色が<お前>であることを俺に知らせてくれる。だけどその魂は既にお前ではない事を神様は知っているよ。
 冥府へと辿ってしまった魂を俺は追いかけなかった。
 その摂理を俺は覆すことはしなかったから――此処に居るのは<新しい神>だ。


 <偽りの息子>に、<本物の息子>を与える。
 能力の制限をかけ、神としての能力値を最低限まで下げ、自発行動の思考を鈍らせて産まれた赤子。自分より他者を優先するように意識を強めさせるためのそれはきっと赦されるべき行為ではない。
 でも俺はやるよ。
 俺は『父親』として、産まれた子をフィアに与えるよ。


「ん……」


 やがて訪れる目覚めの時。
 確かに開かれて俺を見る瞳の色と髪の毛の色はその後ろに女神様……お前の虚像を映し出す。此処に居るな。お前は内包されているんだな。ならばこれは『成功』だ。
 ここに産まれし新しい『神』も俺は愛そう。


「か、み……さま?」
「そう、俺はこの世界を産んだ神様で、お前は俺が作った新しい神。でもその役割は俺の息子の支えだ」
「ささ、え」
「俺の可愛い可愛い息子はちょーっとばかり精神不安定でね。誰かが傍にいないとしんどくなっちまう子なんだ。だから頼むよ。俺がいなくてもあの子が元気になれるように――傍にいてやってくれ」


 嘘じゃないけれど、俺は真実への嘘を吐くよ。
 片手を産まれたてのその子の頬へと触れさせればすりっと甘えるような動作をする。その些細ない行動がちくりと胸を刺し痛ませたが、少しだけほうっと息を吐くことが出来た。
 今の今まで気を張り詰めていた事に気付いて、肩が下がる。


 そして一度息を吸うと、さらりと子の金髪を横へと撫でた。
 この色あいのままだとフィアは『罪』だと認識を強める。そうではなく、傍にいるべき存在は母親ではなく、俺やこの子であって欲しいと願うから。


「キラキラ……。消えて、ちゃ、いろ?」
「この<欠片>は星へと至った。だからこそ、俺はお前の生を祝うよ」


 金から茶に変わる髪の毛の色。
 これら全てせめてもの足掻き。俺が願えば全て正しきものになるこの世界で俺は多分狂い始めていたから。
 ほら、その蒼い瞳も俺の色を移して、お前を<女神>のカテゴリからはず――。


―― MZD! フィア様が!


 突如頭に響くフラッグの声。
 チッと強く舌打ちをして応答すればまた発作が起きている旨の連絡が入った。基本的に放置をしておけと言っておいても、放置の程度が過ぎればまた再度暴発が起きる。フラッグには仕事とフィアの監視役をさせていたのだから、彼が呼びかけてきたという事は……行かなければいけない。


「ごめんな、俺は行かなきゃいけないから、お前を部屋に誘導してから少しだけ出て行くよ」
「はい」
「その頭に『お前がするべき事』をインプットしておいたから、待っている間に目を伏せて耳に手を当てて復習しててくれないか」
「はい」
「良い子だ」


 そう言って手を繋ぎ、開いた空間の先の部屋へと案内する。
 子はおとなしくソファーに座り、言われた通り目を伏せて耳に手を当てて自分の中に最初からあるマニュアルを読み返している。
 この子の自発的欲求を欠けさせたのは、俺。
 自分がしたいことをしたいと口に出せないように閉ざさせ、浮いたとしてもすぐに忘れるようにと、……その心を限りなくフィアに傾倒するように仕組んだまさにそれは精神構造弄り。


 俺と<お前>の間に出来た本物の子供なんだ。
 お前が想定していなかったであろう未来が『再生』と『逆再生』を得てやってくるよ。限りなく罪に近いこれを俺は愛する我が子の支えとさせる。フラッグは恐らく嫌悪するだろう。あれは<悪魔>から<小さき者>を巡り、『神』になった男だから。


―― この子を助けてね。
―― この子を心から愛してね。
―― 怖がらないで、怯えないで。
―― あなたたちぜんいんをあいしているわ。


「私、は、……最愛の、お母様を亡くした、フィア様の影神として彼に仕え従い、そして愛する」


 彼から零れる言葉は自己暗示。
 弄った精神回路は無事作動しているようで何よりだと、俺は背を向けて嗤いつつフラッグから入った連絡を元に空間を渡った。



+++++



「MZD、恨んでやる」
「フラッグよ。そんなにエイダが金髪なのが嫌か」
「金髪が嫌なんじゃなくって、なんで金髪担当を当てたのかって話です!」
「えー、だってほらエイダが『フラッグとお揃いの服が着たいですー』って緩やかにお願いしてきたからさー。じゃあちょっとノリのいい曲とかどうよってことで、いっちょ派手にしたいじゃん?」


 嘘は言っていない。
 だけどフラッグは金髪碧眼姿のエイダをその腕の中に抱きしめながらじとーっと睨んでくる。その様子がおかしくて笑っていれば、俺の隣に座っていたフィアちゃんもまたじーっと無言の何かを訴えてくる。
 エイダはにこにこといつもの穏やかな笑顔で素直に恋人の腕の中に納まりながら、フラッグの腕に手を乗せて幸せそうだ。


 神々は『再生』と『逆再生』を担っていた神を愛した。
 フィアに喰われる度にエイダはぎりぎり<核>を残しながら生き延び続ける。どれだけ喰われようとその<核>は決して奪わせない。全能神特別製の箱に入れて大事に護られているのだから。
 フィアが苦しんでも繰り返す。
 喰われたエイダの肉体を戻し、記憶を消去し、いつも通り呼びかける日常を何百年と続けた。


 だが待っていた時はやがて訪れる。
 フィアの――「フィアレス」の許容量が増え、俺とフラッグが間に合うまで制御出来るようになり、二人を腕の中に抱きかかえて引き離したあの日。
 やっとだよ。
 やっとこれですべてが終わるよ。
 愛しいお前を解き放って、俺もまた愛すべき息子を手に入れられる。歪みズム。そんな言葉が似合う俺は二人を同時に愛し、そして手に入れたいと願っていたんだから。


 なあ、女神様。
 嘘付き神に反旗を翻した一人の神――エイダは今、俺達の中心にいるよ。


「私は大丈夫ですよ。この曲楽しいですし、なにより札束とかコインとかぶちまけていいって許可が出て今から楽しみです!」
「そんな金どこから!?」
「MZD様のポケットマネー」
「――まて、エイダ。俺はそこまで許可してねえぞ!?」


 精神回路を弄られた神はきっと認識していない。
 おそらく周囲も、だ。彼の性格だと思い込み、その違和感に気付かぬままここまで過ごしてきてしまった。『影神だから』という言葉は便利だ。尽くすべき主人がいて、その主人のための行動と言い換えてしまえば納得出来る。
 だがエイダはもうその精神回路をも掌握し、己のものとしているのが分かった。


 だって自分の立場を知った後も彼は笑うのだ。
 穏やかな微笑みで、両手を前で重ね合わせた優しい姿勢で自分達を見る。けれども俺達は彼を<女神>と同一だなんて見ていない。
 だからフラッグが怒っているのはいわゆる……『俺の悪戯』になっているものに対してだ。


 ほいほい。
 それくらい共犯者になってやるよ。
 エイダ、お前が<女神様>と同じ色あいを有して皆からの反応が見たかっただなんて――それくらいの悪戯は……ね。


「フィア様、この色あい似合いますか」
「似合うよ」
「ほーら、フラッグ。フィア様なんて素直に褒めてくださるのに、貴方は私の事を全然見てくれないじゃないですかー」
「エイダならどんな色でも似合うに決まってるだろ!」
「もうそこのバカップルはこの部屋から出て行ってフラッグの部屋ででもいちゃこらしてろよ……うっぜええ」
「MZD、貴方こそフィア様を抱きしめててそれを言いますか」


 棚に上げる俺に対してフラッグが突っ込む。
 あー、怖い怖い。エイダ絡みになるとフラッグは本気で感情をぶつけてくるから困ったもんだ。やがて素直にフラッグはエイダを肩にひょいっと俵抱きの要領で抱き上げてそのまま部屋を出ていく。「横抱きじゃないんですかー」なんてのどかな声が届いて笑っちまった。


「MZD」
「何、フィアちゃん」
「お前は何を考えた」
「んお?」
「感情の波がおかしい。揺れて……安定していない」


 さすがは感情経路を繋いだ同一心。
 どうやら俺の動揺は普段伝わらないラインを超えて、今腕の中にいる存在に気付かれてしまった様子。本来ならば俺がフィアの感情の波を察知するべき用途で繋いだそれだが、それでは不公平だと相互作用を伴っている。


 俺はフィアの身体をゆっくりと抱きしめ、そのままソファーに押し倒す。
 この時ばかりはフィアは大人しくしており、更に背中に手が回ってきてぽんぽんっと何度か叩き撫でてくれた。全身で感じる相手の気配に安堵を得た俺はフィアの胸に耳を当てて、そこから聞こえる心音に目を伏せる。


「エイダを産み出した時のことを思い出してたよ。『幼神』だった最初――フィアちゃんに逢わせる前のアイツの髪色は金髪だったから」
「そうか……」
「ただそれだけなんだけどさー……それだけなんだけどねぇ」
「ん」


 愛する女の<欠片>と自分の肉と血を分けた純粋たる神の息子。
 俺はあの時確かに狂ってしまっていた。正常では恐らくなかった。だけどそうでなければ今という未来は訪れず、別の破滅が待っていたことは明らかだったのだ。


「隠しても無駄だからストレートに言っちゃうけど――俺さ、<本物の息子>たるエイダと対面した時、最初に抱きしめるべきだったんじゃないかって……今になって後悔してる」


 それは『父親』の思考。
 フィアが俺の息子であることに違いはないし、フラッグだって片割れとはいえ俺の息子のようなものだ。多分それを言うと嫌そうな顔をフラッグはするだろうが、否定はしないだろうな。
 だったら――と。


「俺ねぇ、エイダに抱きついたことは何度もあるけどさー。父親として抱きしめた事が一度もないんだ」


 言った瞬間、フィアの手の力が籠った。
 温かい。
 触れあった場所から優しい感情が流れ込んでくる。ああ、悔しいよな。そうだったよ。お前はここにも居たんだったって思い出して、俺はぎゅっとフィアの背中の布地を掴んだ。


「……そんなお前を心から愛してるよ」


 愛おしさを込められた感情の波と音。
 その声が耳に届いた瞬間、心の内側から何かが溢れそうになって俺は暫く顔を上げられなかった。





…Fin...


>> レクリスレイヴ秘話とMZDの心情。

 感情過多派な黒・青、傍観者なMZD、受動系の橙。
 『幼神』引用で始まり、『Victim』を巡ってきたけれど、MZDの心情って割と書いてないんですよね。心情系は黒神、青神が多くて、その対に当たるMZDと橙神は割と受動というか、受け止め型で書いてきた気がする。

 最後の神黒神は今の距離感を如実に現してて、愛しくなりました。
 同一心な二人は『親子』の感情も『恋人』である立場も全て受け止めて、二分割して生きていけばいい。

2019.07.22

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