聴覚が研ぎ澄まされるという事は、それだけ音を拾って気が狂いそうになる事に繋がる。



HAPPY BIRTHDAY





「『偽十字』ねぇ……」


 思わずくくっと笑ってしまうのは対とされる星の存在を知っているがゆえに。
 高名なスペース作曲家様と対比し、偽物であると定義するのは遠い遠い地球と呼ばれる住人達。しかしながら彼らの言葉は惑星を超え、偽十字――ベラと称される自分に届いては嗤わせた。


「実に勝手な事を評してくれるじゃないか。騙されたお前さま達が悪いだろうに」


 コンソール=ネメシスの南方にて自分だけの楽器であるピアノの前にある椅子へと腰掛ける。ポロン……と鍵盤を叩けば、柔らかな音が跳ね返り耳に届く。
 これはドの和音。最初の位置さえ把握できれば指は鍵盤を自由に走る。これは全くもって苦ではない事だ。
 目を覆い隠す己の布地の下の瞳は既に光を失い、文字を読む事も景色を見ることも出来ないがそれでも耳から届く音だけはオレさまの世界から消えやしなかった。
 五感の一部が消えれば他の感覚が研ぎ澄まされるとは正に身をもって知っている。薄い記憶の中で得ていた光は今はないが、それでも――だ。


 鍵盤を叩く指は音階を走るが、正面には楽譜はない。
 楽譜は読めない。『楽譜』というものがあるという事すらもオレさまは知らなかったが、高名なるあの本物さまが綴っているものはそれだと言う。
 オレにはどのような形なのかわからないが、それがあれば他人も同じ曲を奏でられる事からあの作曲家様は楽譜を愛している様子。


「ベラ」


 ほら、来た。


「――……」
「貴方の頭の中の楽譜は変わらず見事な音の波を紡いでくれるね。今奏でていたそれも楽譜に転記しても良いかな?」
「またお前さまか」
「うん、私だよ」


 すんっと漂う香り。自分とは異なる自信に溢れた匂いが鼻先に辿り着いて訪問者が誰であるかなど名を呼ばれずとも分かる。このような星に何の用かと奥の歯がぎりっと鳴った。


「いずれ貴方と連弾をしたいな。鍵盤を半分に分けて、互いのパートを作って音階の限界まで叩けたらそれはどれだけ気持ちのいい音になるだろう」
「オレが楽譜を読めない事に対する嫌味か。気持ち悪い」
「楽譜を読まなくても私が一度叩けば貴方は記憶するじゃないか。絶対音感持ちの貴方なら余裕でそれをアレンジし、更に自らの音にしてみせる。――ああ、でも貴方は私の音をなぞる事すら嫌なんだろうね」


 ふっと生暖かい風が耳に届く。
 囁かれる声が近くにあり、肩には両手が乗せられた。声は最初こそ興奮のような高さを奏でていたが、最後の一小節は一オクターブ下がる。
 ああ、頭の中で音が鳴る。五線譜? そんなものは知らない。だが声が音階のように響いて、時に頭を痛ませる。


「さっきまでの音楽はもう叩いてくれないのかな」
「お前さまがいる限り」
「嫌だなぁ、私のことをそんなにも意識しなくても良いのに」
「分かっていて言ってるだろう」


 椅子から立ち上がり、肩に添えられた手を払う。裾が分割化されたジャケットが翻り、ズボンをさらりと撫でた。
 入れ替わりにキィっと椅子が引かれ、腰を下ろす音。この音の高さは――。ああ、違う。そうじゃない。考える事は音階じゃない。


「ベラ、この音楽を知っているかい」
「?」


 ふと鳴りだすピアノ音。指の音と、弦を叩くハンマー。音階。音域。
 旋律は自身の星の領域に響き渡るが、それは子供でも引けそうな一音。人差し指一本でも叩けるんじゃないかと思うその音の流れにオレは首を傾げた。


「誕生歌」
「ハッピーバースデーだね」
「高名な作曲家様が奏でるには拙いんじゃないか」
「じゃあアレンジしてごらんよ。それともこんな音じゃ出来ない?」
「出来るに決まっているだろう。だが――」
「しないのは私がしろと言うからだろう。本当に素直じゃないなぁ」
「ッ」


 苛立ちが沸き起こり、ブーツの踵で地面を叩く。これは――。
 自然の音が全て旋律に聞こえるこの症状を何に例えれば伝わるのか。この音の波に飲まれそうになることが嫌で唇を噛みしめては図星の言葉に腹を立てた。


「退け」
「嫌だよ。連弾しようよ」
「アレンジしろと言ったり連弾しようと言ったりどっちなんだ、お前さまは!」
「どっちもしたいよ」


 言いつつも本物さまが席を譲る音。
 舌打ちをして再び座ろうとするが、奴が座った直後に座ることが嫌で立ったままグランドピアノのペダルに足を引っかけた。ダンパーペダル、ソステヌートペダル、シフトペダルと位置を確かめてから選んだのは一番左にあるダンパーペダル。
 メロディーは奴が奏でたものを基盤に強め、添えるのは弱音。
 アンダンテよりはヴィヴァーチェ、快速レベルのアレグロまでいくと少々原曲からずれるから気を付けて、音を伸ばすためにペダルを踏んでは離し調節も加え……。


「ふふ、負けず嫌いのベラ」


 後ろの岩場で高名な作曲家――本物の南十字星、ノーヴァという男が足を組み合わせて一オクターブ高めの楽し気な声で笑う。


「君が生まれてきてくれたから本物だの偽物だの人は私達を評するけれど、その評価によって貴方が私を意識する――それが楽しくて嬉しくて、愛おしい」


 聞こえているぞ、と言わずとも通じるだろう。
 ハッピーバースデーの旋律に合わせて鼻歌が聞こえれば、オレは続いてこれないように速度を上げた。





…Fin...


>> 初書き十字星。

 シグレさん(@sigurenouragawa)の誕生日祝いです。
 基本的にはノーヴァ⇒ベラのベラ⇒ノーヴァであってほしい。

2019.07.31

◆検索等でやってきた方はこちら◆

inserted by 2nt system