コスモス、一輪
【SIDE:ベラ】
南天の星空が今日は騒がしい。
なんせあの高名なる作曲家様が産まれた日だ。
祝いの言葉が各所から届けられ、オレの耳にも嫌でも入ってくる。キラキラと太陽の光を受けて輝く星々達が祝いの言葉を届けに今頃押しかけているだろう。
―― ノーヴァ様!
―― お誕生日おめでとうございます!
そんな声が盲目のオレに届けば正直うんざりしてしまう。
聴覚が鋭敏過ぎるが故の弊害。五感の一つ――視覚を遠い昔に喪ったが故に鍛えられてしまった超感覚は拾いたくない音ですら拾ってしまう。
ピアノ鍵盤へと音を乗せ、掻き消すように早弾き。モデラートからアンダンテ? いや、ここは二オクターブまでプレスティッシモの速度で指先を走らせよう。爆速までいくのはピアニストとしては少々下品か。だがそれも所詮は他人の評価。
モノクロの鍵盤――組み合わされたそれは上下に揺れ、そしてオレの星中に響き流れていく。
曲目など知らぬさ。
ただただ叩きたいものだけを指先から産み出して、その時だけの一曲を紡げば爽快感だけがやってくる。
楽譜に転記? そんなもの盲目のオレには出来ぬこと。
だからこそ、即興曲は美しく楽しいもの。
記憶から生まれていく音調は飛び跳ねたリズムを湛え、恍惚とした気分を全身に浸らせてくれる。この時ばかりはあの星の存在を忘れることが可能だからこそ、ピアノを叩くことは止められない。
「ノーヴァ様、お誕生日おめでとうございます!」
不意に、不快な言葉が耳に届く。
無視をして早弾きを続けていれば何者かが近づいてくる気配がした。――が。
「偽十字……!」
「……」
「ああ、なんてこと。私としたことがノーヴァ様と偽物とを間違えるなんて大変失礼なことを……ッ! 大体貴様、ノーヴァ様よりも太陽の光を得て輝くなど不遜な奴だ。この素晴らしき日くらい光を潜めよ!」
「あ?」
折角の気分よく叩いていたメロディーラインをぴたりと止め、椅子から立ち上がる。両手で鍵盤を強く叩けば鳴り響くのは当然、不協和音。
ひっと息が詰まる音。
迷い込んだ誰かがオレの星の地面を靴の底で擦って下がる気配。投げつけられた言葉に不愉快さを隠さぬままそいつ――声帯を震わせる音からして男と判断出来る者の傍へとタンっと軽く跳ねて距離を詰める。
蹴られるとでも思ったのかねぇ。
ソイツが顔の前で腕を交差する気配がしてオレは唇を引上げ、丁度その男の傍にあった岩場へとガンっと足蹴りをした。
「本物様のお誕生日を祝いたいならケンタウルス座のα星とβ星を目指して行け。大体騙されたお前さまが悪いことくらい理解しているだろうが、その苛立ちを人にぶつける事こそ不遜というものじゃないのか」
軽く折った膝の上に肘を乗せ、腰が抜けたソイツへと問いかける。
しゃらしゃらと背中を流れるオレの髪すらも嗤うように揺れた。
「ああ、ああ、やはり偽物は品がない!」
言い捨ててオレの脇を通り抜けていく気配。逃げるように……ではなく、本当に逃げていくその慌てた気配が更に苛立ちを増させたが、引き留める方が不快と言うもの。好きに出ていけ、と舌打ちをすれば頭痛が襲ってくるのが分かった。
「――ん?」
ブーツの先に何か当たる。軽いそれは気が張っていなければ全くもって気にしないほどの軽さで、なんだと疑問を抱きながら腰を屈めて手袋越しに触れてみた。
「花?」
一本の何かが指先に存在する。
すんっと遠慮なく嗅げばそれはコスモスの香りを鼻先に届けてくる。色調は『白』。見えぬ目でも見える色彩は瞼の裏に音として伝わってきた。
腰元で手を交差させ、その花の茎に指先を添えながら花弁を散らさぬように持ってはピアノへと僅かに体重を預ける。キィ……と体重を支え切れなかった分だけグランドピアノが動くが留め具に無事支えられそれは止まった。
白のコスモスの花言葉は「優美」「美麗」。
ああ、まさに本物さまにお似合いさ。
「光を潜めろとは――笑わせる」
オレの光を誰が奪わせるものか。
目には宿らぬ光ではあるが、存在を知らせるものを誰が消したいと思うものか。
だがしかしながらこの一輪の花をどうしたものかと心ばかり思う。
はぁ……と一つため息。
騒がしい宇宙の海、空はそれでも祝杯の声が未だに響くばかりで。
「辿っていけ」
今夜あの男は賑やかな星々の宴に囲まれているだろうからと、紙飛行機を投げる要領で花を緩やかに宇宙へと放り投げる。
立ち去った男のストリームが消えぬうちに罪のない祝い花へとその行き先を教えれば、それはひらりふわりと飛んでいく。
やがてあの男の部屋の窓際にでも届くだろうと見えぬ宇宙という空を見上げた後、オレはまたピアノの鍵盤に指先を乗せ音を綴り始めた。
+++++
【SIDE:ノーヴァ】
祝いの音楽とプレゼントの山に囲まれる。
毎年毎年友人知人だけではなく途中からファンから送られてくるそれに嬉しさと愛しさが湧きあがり、即興曲でお礼を返すのももう何十年、何百年と続けられた事か。
有難う、と音にする。
耳に届くのは楽し気な笑い声。抱擁して頬にキスをし、私からもキスを一つ。メテオなど飛びついてくる勢いでハグをして祝ってくれるものだから、倒れそうな私を見ながら「その速度は落とそう!」と何度笑って皆から注意されたものか。
ああ、嬉しい。楽しい。巡る一年に同じ日にはなり得ないからこそ、この日は素直に笑っての有難うを満天の空に届けた。
「あー……笑った笑った」
もう日付も変わりそうな時間帯。
流石にお開きだと皆が帰った後に自室へとプレゼントの山を運び込んでは、添えられているメッセージカードに目を通す。「誕生日おめでとう」の言葉はどうしてこんなにも心地よいのか分からないけれども、特別な言葉であることが心に染みる。
だが、いつもながら『彼』からの贈り物は皆のプレゼントに埋まる事はない。
「……ん?」
ふと視界の端に違和感。
何だろうかと部屋を一旦見渡す。持ち運んだ贈り物以外は家具など位置替えしていないはずだが――と、そう一考した後に気付くそれ。
「コスモスだ」
窓際に一輪、今にも落ちそうな窓枠に引っかかっている花を確認するとそれを指先でそっと捉える。どこから来たの、と問いかけてみるも当然返事はない。
「あ、そういえば」
知人に苛立ちをぶつけ、喚く男の姿を視界の端で見かけた事を思い出す。
『あの偽十字のところなんかに行ってしまった! ああ、あのノーヴァ様によく似すぎている男に騙されただなんてこの一年はきっと不幸に違いない!』
私には隠していたようだけれど、音は正直者。
ベラほどの超感覚はもっていない私だけれども、この耳が拾う音は一般人より広いんだよ。実際、彼らににっこりと微笑みかけて近付けば、その男はぴたりと言葉を紡ぐのを止め、そして私に「白のコスモス」を捧げてくれたのを思い出す。
「白のコスモスの花言葉は「優美」「美麗」……か」
コスモスは色調によって花言葉が変わるけれど、ノーヴァ様にはこれが相応しい! と興奮して捧げてくれた男の様子は今思い返せばちょっと笑えたかもしれない。
だが花に罪はないので素直に受け取り、今は花瓶に差さっている。
窓際に届いた一輪だけのそれを指先で摘まみ、くるりくるりと遊びながらつい唇を持ち上げ笑んでしまう。
「素直じゃないね、ベラ」
ベッドルームの窓際に添えられたそれの正体。
送り主を思っては花弁にひとつ、今年分の口付けを。
「皆が帰った後に一人で空を見上げているなんてナンセンス。どうせなら私と共に二重奏をいかが?」
開いた窓の丁度真横。
偽十字及び――ベラの姿がそこには在った。ふふっと笑いながら窓枠に肘を引っ掛け、顎を掌で支えると腕を組んで窓の右壁に寄りかかっていたベラは「ないな」とあっさりと返してきてくれた。
「白のコスモスの花言葉を君は知っている?」
「『優美』に『美麗』」
「その言葉が私に当てはまると賞賛してくれた男がいたけれど、君はどう思う」
「高名なるスペース作曲家様への贈り物であれば充分に」
「ただ一人の私への贈り物であれば」
「不似合い極まりないな」
「流石、私のベラ! 素晴らしいほどに的を得た回答だ!」
両手を合わせて数回叩く。
『私の』とつけた瞬間嫌そうに顔をしかめる彼だが、私はこの問答が楽しくて窓枠にブーツを引っ掛け、そして外へと飛び出した。
手には一輪のコスモス。
窓の右側に身体を置いているベラに対し、私は左側へと寄って空を見上げる。
丁度人二人分ほどの距離だろうか。数歩歩けば寄り添えるけれど、数歩開けたこの距離こそが私と彼の絶対距離。近付けば彼はきっと空渡りをしてしまうから、私はコスモスの茎を指先で摘まんでくるくると回しこの空間をただ楽しむ。
本物。
偽物。
似ているが故の二分割。
私が本物で、彼が偽物。
もしかしたら逆だったかもしれないのに、世間は逆を赦すまいとばかりに彼に暴言を投げる。風が左から右へと流れ、私達の服もひらひらとそれを纏い音を奏でる。特にベラの服は忙しなく壁を叩くものだから、まるで布地の踊りのよう。
「ねえ、ベラ。色にこだわらないコスモスの花言葉を知っているかい」
「知っている」
「私は今年のプレゼントはそれが良いなぁ」
決して私を見ず、右横へと傾けたままの彼の顔はそれでも光を纏って美しい。
何故彼が私と間違えられるのか。何故皆彼に惹かれるのか。惹かれて尚「偽物」だと口を揃えるのかが私には分からない。
星々は素直にそこに在るだけの存在で、私達はそうやって生きているだけなのだから評価を分けないでいて欲しいのだけれど――私はひねくれているもので。
「コスモス自体の花言葉は『調和(アンサンブル)』」
「君との重奏を――プレゼントに欲しいよ」
ベラが私を意識して決して皆の前でこのように会話をしないことに幸せを噛みしめる。
コスモスにそっと口付け、右へとまっすぐ腕を伸ばし差し出す。
くっと彼が細い体躯をやや私の方へと傾けて一度すんっと鼻を鳴らした。確かな距離を測る聴覚と嗅覚。やがて彼は左手を持ち上げると私の手の甲の下へとそれを僅かに添え。
「お前さまの冗談はきつい。寝言は寝てから言うんだな」
そうして今年分の口づけを、花びらに。
落ちる唇の動きですら私の目を離さないのにもし本当に君の音と重なる事が出来たなら、私はきっとこの南天の空を歓喜の音楽で満たすだろう。
…Fin...
>> ノーヴァさん誕生日祝いの十字星。
シグレさんのイラストに感化されて書かせて頂きました。
お誕生日祝いなのでノーヴァさんにちょっと良い思いを……してもらえたかな?
そんな素敵絵はこちら。絵の状況及び掲載許可頂き済み。
ときさめシグレ様/Twitter:@sigurenouragawa
2019.08.06