今日はハグの日らしい。
 とはいっても地球のとある国で定められたものであって、世界共通のものではない。「なんだその程度の認識か」とベラが喉を鳴らして嗤った。
 傍にいたメテオが「いいじゃんいいじゃん! 僕はハグしたいよ!」と叫ぶ。
 両手を大きく広げてさあこいという体勢を取る彼は天真爛漫、純粋無垢の塊のような笑顔を浮かべているが、それは残念ながらベラには見えぬ表情であった。
 カノープスは既に愛犬を抱きしめて幸せに浸っているが、これは通常と何が変わらないのか不明。だが特別な日には乗っておきましょうなどと彼らしい優しい言葉遣いで愛犬の背をブラッシングの要領で毛並みに沿って撫でれば、主人が愛おしいと言うように鼻先を持ち上げてすり寄る姿が見えた。


「いいね、ハグの日」


 私はそんな彼らの様子を見ながら背の後ろで手を組みながら微笑む。
 確かに限られた地域の小さな祭りのようなものではあるが、こうして宇宙の端にまで届く情報には心躍らされる。メテオはじりじりとベラに近寄り始め、ベラは気配と物音で危険を察し同じ速度で身体を下げ始めた。


「いーじゃん! 一回くらいその身体をぎゅっと抱きしめさせてよー!」
「何が一回くらいだ! 何がハグの日だ! そもそもオレは抱擁など必要ないし、されたくもない」
「滅多にされない相手にするから面白いんだよ!」
「お前さまのそういうところは理解しがたい!」
「しなくて結構!」


 南天の空に響き渡る賑やかな声。
 平和だなぁーなどとカノープスと共に彼らのやり取りを見ながら私は一歩も動かずにいた。
 そう、一歩も。
 指先一つも動かさずにその場に立っているだけで充分で。


「ベラ覚悟ー!!」
「――ッ!!」


 流石にこの状況で攻撃技を飛ばすほど非常識ではない彼は、素直に飛び掛かっていくメテオを避けるために地面を蹴って後方へと勢いよく下がった。
 ――が。


「はい、いらっしゃい」


 ぽすんっと触れる彼の身体。肩、髪の毛が私の腕の中に納まって支えると同時に僅かなる抱擁を一つ。
 メテオがにやにやと笑っている。
 カノープスがおやおやと口に手を当てて私達を見ていた。


「メテオに気を取られすぎて私がいた方角を忘れるだなんて、本当に珍しいね。ベラ」
「――ッ〜!?」
「メテオも悪戯を仕掛けすぎないでくれるかい」
「大成功で結果オーライ!」


 ぐっと親指を立てて元気いっぱいな声色を飛ばす彼に肩を一回竦める。
 私の腕の中でベラが呆れ切ったように額に手を当て、それからすぐに私の腕を払うと埃を払う動作を数回してから呼吸を整えるのが見えた。
 ハグの日。
 本当ならベラからの意思で……なんてそんな甘い考えは到底私達の間には存在できず、誰かからの悪戯のような後押しが必要。
 だからまあ、今回は見逃してあげよう。
 そしてベラもきっと見逃すしかないのだ。


「カノープス、ハグしよー!」
「はい、大歓迎です」


 どこまでも邪気無きものに、私達は声を荒げて騒ぐなんてそんな真似はしないからね。







…Fin...



2019.08.09

◆検索等でやってきた方はこちら◆

inserted by 2nt system