ピアノ音に心を癒されていた事実。
 オレを友と呼ぶ神の子供が遊びに来ては音楽を聴いて笑い。
 母たる二人が微笑ましそうに自分達を見守ってくれていた。


 対して南十字にて拗ねた音楽を鳴らす本物さま。
 そこには神がいるだろう。
 我らが父たる神が直々にお前さまの音楽を評価しに行っている。


 なのに何ゆえに、音が揺れるのかオレには理解出来ない。



花の香りがしたんだ(嗅覚)





 ピアノを叩くとヤツが来るようになった。
 南天の空、幼き我らの中でも既に才能が発揮され神にも認められている作曲家様――ノーヴァが。


 今日も今日とて偽物の星へとやってきてはピアノ椅子の傍で膝を抱えて座るその星はしゃらりしゃらりと長い髪の毛を地面にすらして音を鳴らす。
 眩しい光。
 視覚として捉えるには少々淡いがゆえにオレが偽物扱いされているが、こうして傍にいるだけで未だ完全には滅していない闇の中に星の灯火を感じる。


「ねえ、ベラ。ずるいよ。私とも」
「お前さまとなど誰が音楽を紡ぐものか」
「でも君はもう音楽を作れるでしょう。楽譜を読めなくても、その指先と耳が音楽を奏でることを赦したんでしょう。私は君と連弾もしてみたいし、何より二重奏もしてみたい」
「……」
「音を止めないでよ」


 鍵盤から指先を下ろしたオレに対してヤツが言う。
 君の音が好きだよ。
 君が奏でてくれるのが嬉しい。
 君が音楽に興味を抱いてくれただなんて。
 ああ、ああ、ああ。
 止めてくれ。この音はお前さまに聞かせるためのものじゃないんだ。この音は誰かに聞かせるために繋いでいるんじゃないんだ。星々が勘違いして、遠くの惑星の<小さき者>が勘違いを引き起こすから、お前さまが此処に来るのは止めてくれ。


 キーン――っと耳鳴りがしてオレは両耳に手を被せる。
 しゃら……と紫髪が指先の間を通り抜けて肩へと落ちていく。ピアノの上に置いたメトロノームがカチコチと定期的なテンポを刻むので、無意識のうちに右人差し指を添えてテンポ変化。
 アゴーギク開始。この波長は何と言ったっけ。


 フィアレス。
 何故来ない。
 前回の逢瀬から数か月が経ったぞ。
 お前さまに聞かせる音楽を紡ぎあげているというのに、聞き手が現れなければオレの音楽は廃れていく。オレが聞かせたいのはお前さまだ。神の息子たるお前だ。
 決して傍にいる南十字星――本物たるお前さまじゃない。
 なのにこいつはずっと傍にいる。
 オレの音楽が聴きたいと星渡りをしてやってくる。オレとお前の世界は異なっているだろう。光を浴びる権利を得たのはお前さま。騙された者達がオレに悪評を投げつけてくることすら知っているだろうに。


「ねえ、ベ――」
「煩いっ!!」


 声の、感情の衝撃音。
 上手くコントロール出来なくて拒絶の言葉を吐き出す。肩に触られそうになり、オレは強く手を弾く。ノーヴァの歯ぎしりの音がした。


 だがふと聞こえる小さな物音。
 二人同時に空を見上げ、その正体を探ろうと黙する。


「母様」
「母――フォトンよ、どうして泣いている」


 宇宙が泣いていた。
 しとしととその両手を己の顔に被せ、伝った涙は星へと落ちクレーター湖を創造する。本来ならばあってはならぬ感情の吐露。穏やかに微笑み、子供達を見守り続けてきた母が――何故泣いているのか。
 せめて多くの者へ気付かれまいと宇宙の端にやってきたのは彼女の母性ゆえか。境界線を越えぬよう気を付けながらも彼女はその大きな体躯を緩やかに動かしながら我ら十字星の傍で涙を流していた。


 いつもは愛を紡ぐ唇が嗚咽を上げる。
 悲しみのその音にオレもノーヴァも動揺しか返せなかったが、彼女が涙を零す理由を問うた。


「――彼女が」


 零れる、一音一音が、涙交じり。


「女神さまが……お亡くなりになった、の……」


 ああ、愛しきマリア。処女神。
 我らが創世神の妻であり、フィアレスの母親。
 オレの頭にも手を乗せて優しく撫でてくれたあの温かさを今も覚えているのに――ひゅぅっと息を飲んで、暫し息を止めた。


「う、そだ……!」
「ベラ」
「あの女神がッ、死ぬわけないだろう! 神なんだろう!? 神様なんだろう!? 例え非力だと言っても、神に属する生き物がそう簡単に死ぬものか!」
「落ち着いてベラッ!」
「フィアレスはどこだ! 此処に来い! オレの音楽を聴いて、お前さまの傍に母親を居る事を教えろ! いつだってそうだっただろう!? オレとお前さまの関係は音楽で繋がっていたはずだ!」
「ベラッ!!」


 ノーヴァがオレの肩を掴んで揺さぶる。
 だが既に混乱し始めているオレはそれが嫌悪対象でしかなくて大きく手を振り払った。触られたくないと、素直に感じる心が存在する。光が、光が眩しくて。
 しかしノーヴァは更に力強く近づいてくると両腕を拘束するように上体を丸ごと抱え込んだ。


「――っ、はな」
「フォトン。我らが宇宙の星々の母様。貴方が嘘を付くはずがないというのであれば、MZD……彼の愛する女神様がお亡くなりになった事は事実なのでしょう」
「ええ、ええ」
「ですが、私達にはそれを確認する術はない。ベラが混乱を起こしている由縁はそこに在ります。――私達でも確かめる術は有りますか、母様」


 己の顔を両手で覆っていた我らが母が動く。
 そっと涙をためた掌を外し、冷静に会話を始めたノーヴァに対して両手を組み合わせて口元へと置いた。
 オレはノーヴァの腕に拘束されながらも母のその動きを耳で感知する。


「神様の――神域へと行けば」


 やがて掠れた音が零れた。
 その母の声にオレは暴れさせていた身を止める。いつだってオレは待つだけで、神域へと足を向けることはなかった。だが母は最初から「どちらが行ってもいい」と言っていたじゃないか。
 待つだけだったオレにそれでも懲りずに逢いに来てくれていた友は今何を感じ、どこで過ごしているのか。
 ノーヴァに拘束された腕から逃れるためにより一層身を縮めて空間を作ると、そのまま身体を下げて腕の輪から抜け出る。力を込め続けていたヤツはバランスを崩しそうになりオレに寄りかかる形となるが、その胸元に片手を添えて押すと安定した様子。


「母よ。空間を開いてくれ。オレはフィアレスの元へ行く」
「だ、め」
「母よ、貴方がオレにあいつを紹介したんだ。友であることを望み、オレ達はそうして出逢った。だが一方通行ばかりの関係は友愛ではないだろう」
「あの子は悲しんでいるの。母親がいなくて、それが辛くて、寂しくて――」
「そこにオレが行って何か問題があるのか!」


 じれったいと正直苛立つ。
 母達がオレ達を出逢わせたんだ。その責任を取ってもらいたい。オレ達が過ごしてきた日々が上辺だけの関係であったならオレは此処にずっといればいいのだろう。しかし過ごしてきた日々は優しいものであった。
 柔らかく、落ち着いた……そう、花の香りのような世界だった。


「逢いに行く。フォトン、道を開いてくれ」
「……その先に『闇』があっても?」
「オレはもう殆ど目が見えない。今更『闇』など恐れるものか!」


 自らの胸に手を押し当て、言い切る。
 フォトンはその言葉を聞いてはらはらとまた涙を零し、オレの星の一つに湖を産んだ。
 だがその掌をそっとオレ達の――オレの前へと下ろす。男の自分達とは異なる柔らかな曲線が見える。感じる。その掌の上に開かれた空間が風の流れを変えたのを感じ、オレはグローブを付けた掌を握り込んだ。


 そこにいるか、友よ。
 そこにいるのか、友よ。
 オレにはその神域など見えぬが、母が開いた先が『冷たい空間』であることは分かった。冷えた風が漏れて流れ、足元を冷やす。これが本当に神の領域なんかと問いたくなるほどに。


 一歩踏み出して其処に近付く。
 冷水の中を歩いているようだと、素直に思った。けれども進まねばフィアレスの元へはたどり着けない。母が開いているのであればそこは間違いなく――神域なのだろう。


 浸る、風。
 爪先から上がってくる冷風のような物に包まれてはオレはその先へと消えた。



+++++



「母様、これはあまりにも」
「ノーヴァ……貴方の目には何が見えるかしら」
「なんて悲しい音の集まり。『闇』なんて……そんなものじゃない。ブラックホールにも似た吸引性を持った負の音が聞こえます。――でもベラが行くなら、私も!」
「貴方は行かなくていいのよ……」
「でもあのままじゃベラがおかしくなってしまう!!」


 子の叫びに母は頷いた。
 道は開かれたままそこにある。母たるフォトンの掌へとノーヴァもまた足先を向け、そしてごくりと唾を飲み込んだ。


 いってきます、と空に手を振って走っていく子を見ながらフォトンはやがてその掌を胸元に引き寄せ――そして再び涙を零し始めた。



+++++



 最初に訪問者に気付いたのは番人である影神だった。
 青い影を纏った彼は三又の槍を携えながらその存在を確かめるために空間を裂き、割って、身体を滑り込ませる。やがて二人の少年が自分達が住まう領域を確かに踏んでいることを確認し、主である神へと言葉を飛ばした。


 だが神――MZDの返答は。


「自由にさせておけ」


 この一言である。


「ベラ、ノーヴァ。そこはフィアレスの領域。そして神々が住まう土地だ。ようこそ、星々の子。十字星達」


 MZDは影神を背に携えながら少年達二人が気付かぬ高みから指を一回だけ鳴らす。
 その時零れ落ちた星がきらりと輝きを産み出す。


「星を巡って、辿って、フィアレスの元へいってくれ。お前達があの子の救いの一つとなるのであれば――神たる俺様は心から歓迎しよう」


 ベラに追いついたノーヴァが彼の腕を引く。
 変わらずベラはノーヴァを嫌うように腕を振るが、ノーヴァが星を見つければそちらへと顔を向けた。


 まるで童話の中の兄妹。
 親に捨てられたその二人が森の中で見つけた光――お菓子の家は救いとなったか、否か。盲目直前のベラもまたその光を感知すれば、ノーヴァを腕に引っ付けた状態のまま歩を進めた。



+++++



 光に導かれて辿り着いた先にあったのは『闇』。
 フォトンが確かに口にしたように、そこに在ったのは悲しみを全身に纏った病んだ子供であった。


「……だ、れ」


 全身を縮め、丸めた身体に両手を添えて被せ、髪をぐしゃぐしゃに握り込んでいる子供の姿。
 いつもより高音域ではあるが、それは確かにフィアレスの声音。死んではいなかったかと、変な感想が湧いたのは何故だろう。僅かに香る焦げた匂い。オレの背後でノーヴァがびくりと身体を固めたのを感じ取る。


「フィアレス、オレだ。ベラだ」
「ベラ……?」


 やはり音域が高い。
 母を失った影響にしては変わり種の変化だと頭の隅で考えながらも足先を進めようとするが、その前にオレの腕は共にやってきた相手に掴まれ止められてしまう。


「まって、ベラ。本当に彼はMZDの息子なのかい?」
「どういう意味だ」
「私が聞いている神の息子は十歳程度だと――間違いないかい?」
「そうだ」
「だが、私の目に映る子供はどう見ても五歳児程度にしか見えない」
「五歳児……だと」


 子供返り。
 言葉だけならば聞いたことがあるが、それを具現する存在はそうそういない。だがフィアレスは神の子だ。何があっても可笑しくはない、が。
 不意に何かが動く気配。ずり、と這うような……擦る様な……身体を支えられないというような印象を抱く音だ。


「目が見えない……んだ。ベラ、どこ。どこ、ベラっ」
「オレはこっちだ。っ――ノーヴァ、腕を離せ!!」
「駄目だよ、だってあれはどう見ても――!!」
「五歳児程度だとはいえ、フィアレスの気配には違いないんだ!」
「ベラ! 近付いちゃ駄目だ! あれは『闇』だ!」


 見えない、と声が響く。
 続いて、「母さん」と叫ぶような声が聞こえた。ああ、どうして近付くのが駄目なのかオレには分からない。ノーヴァの視覚は何かを捉えているようだが、オレの目にはそれを知覚することは叶わない。分かるのは子供が悲しみを纏っている気配。焦げた何か――そうだ、思い出した。あれは星が、地が焦げた匂いだ。それが空気中に漂っているのが分かる。


「母さん、どこ! いやだ、見えないよ、母さん! どうしてそばにいないの。ずっと一緒にいるって約束したのに、母さんっ、かあさ……!!」


 気配が、辿れない。
 確かにフォトンが教えてくれたようにフィアレスの傍には『誰の存在も無かった』。いつだって子供の傍にはその柔らかな存在を携えていたのに、その気配は微塵もない。
 ぎりっと歯を噛みしめる。見えないのであれば見えるように――。
 ――だが、どうやって?


『なら見せようか! 俺がお前にこの宇宙を!』


 唐突に脳裏に蘇る初対面での出来事、その無邪気な言霊。
 ノーヴァの腕の力が強まる。いや、むしろしがみついていると言った方が近いかも知れない。
 見えぬオレと見える本物さま。
 何に怯えているのか――オレには理解できないが『見えるが故の恐怖』がヤツにはあるんだろう。
 オレは目隠しに手を掛ける。露わにした眼前は僅かに闇の中に一つの星を見つけた。やはりお前か。お前さまか。小さくなってしまった気配とその音は変化を如実に聴覚と僅かに残った視覚で捉えることが出来た。


「光なら此処に」
「ベラ!?」
「遅かれ早かれどうせいずれ喪う光だ。それでよければお前さまにくれてやる」


 ノーヴァに拘束されていない右手を胸に当てて宣言する。
 駄目だ、とか、止めてとかそういう声も響き聞こえるがそんなものは無視してやろう。決めるのは――オレだ。


「止めて、ベラの光を奪わないで――!!」


 言葉で制することが出来るなら、それは『闇』ではない。
 強く引っ張られる腕。何かから引きはがそうとする動きだったが、オレはその腕を強く振り払う。だがノーヴァはそれに耐えきりオレの身体ごと全身を使うように、体重を地面へと掛けた。
 しかし二人同時に地面に倒れる寸前、ヒュッと何か細い物がこちらに向かう音が聞こえ、そして――。


「なるほど、これが完全なる『闇』か」


 殆どの視覚が無かった故に恐れはなかった。
 ただぷつりと何かが切れる音と小さな痛みがあった。それから恐らくノーヴァには聞こえないであろう咀嚼音が耳に届く。むしゃりと……食べる音。
 それは美味いか。味覚として感じられぬ光は『闇』纏うお前さまにどのような味として伝わっているんだろうなと、そんな事を瞬間的に考えた。


 体重を掛けられ二人同時に地面へと倒れ込む。
 擦った肌はかろうじて服に阻まれて痛みを抑えるクッションの役割を果たしてくれたが何分勢いが勢いだ。
 起き上がり、この野郎といつもの如く口に出そうとするが上体を起こそうと地面に付けた手には力が入らなかった。そして『それ』は身体の負傷からではなく、全身を纏う気配の変化から訪れる。


―― 偽物め。


 届く、声。


―― 南十字星と並んでややっこしい。
―― せめてあの光がもう少し大人しければ混乱しないものを。
―― え、あれ本物じゃねえの!?
―― 偽十字って呼ばれているらしいですね。
―― 紛い物か。
―― 本物に偽物。本物には敵うまいに。
―― 紛らわしい。
―― 存在自体が気持ち悪い。


「あ」
「ベラ?」
「――っ、ぁ、ぁ、ぁあああああああ!!」


 頭を抱えて突然流れ込んできた声に耐える。
 己の叫び声で掻き消そうと本能的に喉から音を吐き出す。それは今までも聞こえていた声のはずだった。それは光が存在していた頃から聞こえていた悪評、憐憫、嘲笑、憐みの具現。
 一つ、一つ、時折宇宙の端へとやっとの思いで辿り着くように届いていた言葉がまるで集合体のように脳内を侵していく。


 むしゃり……。
 また咀嚼音。噛みしめてまだ呑み込まぬその音にも苛立ちが湧いて、声を空間に響かせ続ける。


「ベラ、ベラッ」
「煩い、喧しい。オレが偽物で本物さまと分けたのはお前さま達だろう! オレはそこに存在しているだけで、線引きをしたのはお前さま達で――」
「此処には誰もいないよ! 君を罵倒する人なんて誰もいやしない!」
「ああ、ああ、憎らしい、苛立つ。ノーヴァッ! 生まれた星の位置など誰が意識するものか! 産まれ落ちた星の子が選べぬその摂理を理解出来ぬ愚どもめ!」
「っ――ベラに何をした神の子!」


 オレを抱きしめるのは誰だ。
 問う声の持ち主は誰だ。突き放そうと身体を捻るが、決して離さないという意思がその腕の力から伝わってきてそれが癪に障る。
 やがて――ごくり、と呑み込む音が聞こえた。
 ひゅ、と喉が痙攣する。頭痛が限界を訴え、胸が圧迫を覚えた。上下に揺れる肩。呼吸が上手く出来ない。思考も巡らない。酸素が届いていない。どこに? 頭に。自問自答のぐるぐる意識。
 自ら闇の視界を得たオレは感覚器が作り替えられていく感覚を覚える。
 鋭敏。
 超感覚。
 粘土のようにこねられるイメージ。神経と神経が伸びて、補い合おうとしている。視覚を喪った代わりに他の感覚が研ぎ澄まされていくのは知っているが、早すぎる補完であることは間違いなく。


 ぐらり、と揺れる身体。
 過呼吸。
 汗ばんだ肌が気持ち悪いが今のオレにそれを拭う術はなく、やがて意識は『闇』の底へとゆっくりと沈んでいった。



+++++



 星の子供は『闇』纏う神の子を見ていた。
 霧状のマイナス思念の塊をその身体に這わせ、母恋しいと泣く子供を見ていた。
 自分と対とされる十字星――ベラがその子を友にした事は神たる父から聞いていたが、その子供が目の前の人物であるとは信じがたく……だからこそ『見える』彼はベラを引き留め続けた。


「う、うぅ……」


 何故光をあげたの、とノーヴァは言う。
 その言葉の対象である子供はノーヴァが意識できない闇の底へと落ちてしまっているが、ベラを抱きしめたまま彼は何度も繰り返し続けた。


「ほ座デルタ星とりゅうこつ座イオタ星の中間に属していた星の光を捧げたか」
「MZD!」
「ほ座デルタ星も安定してないな。この日を持って変光星へと至っている。いずれ地球からもそれは観測され、認知されるだろうが……」
「MZD、貴方はどうして止めてくれなかったの。あれが貴方の息子であるのであれば、貴方はベラとあの子とのやり取りを全て見ていたでしょう!」
「うん、全部見てた」


 影神を背に携えながら、二十五歳程度の成人姿の我らが創世神が倒れた子達へと歩み寄る。
 両手をジーンズのズボンポケットに突っ込みながら呑気に答えるその様子にノーヴァは唇を噛みしめた。苦々しい表情を付き付けてくる星の子の感情は当然のもので、その腕の中にいる盲目の少年をMZDは見下ろす。
 両目の付近には己の子――フィアレスが闇の触手を伸ばし『喰った』痕跡が残っており、僅かに黒い靄が漂っている。
 だがそれは静かにベラの中へと潜り込むと、やがて同化していく。


 『闇』と同化し、そして形成される新たな感覚。
 これから先、偽物と評されてしまったベラの耳には今まで以上に雑音が届くである事にMZDは同情を僅かに寄せる。
 何故ならばMZDは神。
 全ての者の祈りや呼びかけを聞いてしまう神。
 ――そして、緊急・異常事態以外は無視を決め込んでいる神だからだ。


「ノーヴァ、俺の事は許さなくていい。いや、許されなくていい。だけどフィアレスの事だけは許してやってくれ」
「ベラから光を奪ったのに!?」
「ノーヴァ」
「小さな光だった。太陽光を受け取る事が難しい星だった。それでもベラの視覚の中で唯一残った光だったんだ!」
「友が友の為にその光を捧げた行為を――お前はどう思う」


 神の問いに星の子は息を詰めた。
 そしてその答えを口にしようとして……上手く言葉に出来ない事に気付いて腕の中の大事な存在を抱きしめ続けた。自分ではダメだったのか。自分では彼の友になれなかったのか。
 比較され続ける存在であったけれども、ずっとずっと傍にいたのは自分だったはずなのに。
 ベラはノーヴァを拒絶し続け、距離を開き続けていたことが事実。
 本物。
 偽物。
 そんなものは星の子が決めたわけではなく、母たるフォトンも平等に彼らを我が子として接していたのに――二分化された評価はベラをとうとう闇の道へと走らせてしまった。


 なんて、無力。
 ノーヴァは抵抗されない身体がこれ以上闇に食われぬようにしっかりと抱き留め、己の力のなさを嘆いた。


「羨ましい……」
「そうか」
「ベラが音楽を産み出すことが出来たのは彼が居たから。ベラが残った光を失ったのは彼が居たから――全て『友人』という私とでは歩んでくれないその確かな縁が私はうらやましいよ、MZD」
「それでも音楽を続けるんだろう、お前は」
「MZD」
「ベラもこの先続けるだろう。ピアノ音源は既にベラのものだ。フィアレスが最初に与えた言霊はこれから先もベラを縛り続ける」
「ことだま……?」
「『お前なら出来る』と――ノーヴァ、お前の音楽を聴いてベラに与えた神様からの応援の言霊だよ」


 子供返りを起こした我が子の元へとMZDは歩み行く。
 両手で何かを食べている仕草が視界に映り込んだ。ガリガリと削れる音。……星の光を食べるそれは金平糖を噛むと表現すれば美しく、星の死体を喰っていると表現すれば醜さを有した。


 MZDは子供を抱き上げてその背中を撫でる。
 ぼろぼろとその目からは涙が零れ落ち、顔をぐしゃぐしゃに濡れさせており呑み込んだ光を己の瞳へと転化させた。いずれ友から受け取ったその光は我が子に定着し、失った視界を取り戻すことに成功するだろう。


「盲目でもノーヴァ、お前のピアノ音はベラに届く。いや、一層盲目になったからこそ今まで以上のベラはノーヴァの音楽に執着することとなるだろう。その目が光を喪った事によりベラが手にした絶対音感は周囲の音を拾い上げていく。超感覚と共に生きなければいけないベラはそのため呼吸をしにくくなるだろうが、不快音を打ち消す音楽があれば誤魔化しが可能だ」
「ベラの世界はこれからどうなるの、神様」
「さあ、俺には未来を見る力はあるけれどもどこにもIFは存在しているから……すべてはお前達次第だよ」
「ならっ――!」


 父子の神にノーヴァは顔を上げ、その表情に決意を乗せた。


「私の音楽を――全て、ベラに!」
「だからそういうところがベラコンプレックスだっつーの。ベラはお前に捧げられなくてもお前の音楽を聴きとるための聴力を得ているから、深みに嵌り過ぎるな」


 もうちょっと気楽に生きて良いんだぞー、とMZDはへらっと笑う。
 五歳児程度の子供は父である神の腕の中でもぞりと小さく身を動かした後、すぅっと意識を落とした。眠れるようになったか、と一言零し額に唇を落とす。


「なら私は私の音楽をこの宇宙に響かせると――神の息子に誓いましょう」
「フィアレスが悲しまないためにそうしてくれ」
「いつか、その子とも友になれる日は来るでしょうか」
「なれるさ」


 神は己の影神に子供を渡し、目の前の星々の子へと膝をついて視線を合わせる。
 ぐしゃりとノーヴァの髪の毛に手を被せてゆっくりと揺らす。ノーヴァはその刺激に僅かに目を細め、けれども腕の中の存在を想い視線を下げる。


「私に出来る事が音楽を産み出す事だけだなんて思いたくないけれど――ベラ、君が私の音楽を聴いて何かを思ってくれるという事を誇らしく思うよ」


 いつか君と友達になりたいんだ。
 その言葉は意識を沈めた星には届かぬが、神様だけが静かに聞いていた。






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