■ 1・「その時、幼かった私にはよくわからなかった」


 ヒトを描けと言われた時、自分は迷わず『母』を描いた。


 未だにあの時の高揚感は忘れられない。
 胸がしきりに高鳴り、体温が頬に集まり、ペンを持つ手がやたらと震えたのだ。吐く息にすら熱い熱が含まれていて、そのあまりの荒さに自分は動物になったのではないかと思ったくらいだ。


 取り合えずと区切りの付く場所までペンを走らせる。
 ふぅっと息をついて今までしがみ付くように下ろしていた顔をやっと持ち上げた。両手で紙を持ち上げて改めて見る。擦ってしまったのか薄ら灰色に汚れきった紙の上には『母』がいた。


 けれど自分はそれをすぐにぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に捨てた。


 袋が張られたゴミ箱に落ちていく紙の固まりは、自分が以前捨てた薬紙にまぎれる。
 天井を見上げて額に手を当てた。
 まだ熱は抜けていないようだ。


 何故、母を描いたのだろう。


 自問する。
 瞼を下ろして視界をシャットアウト。そのまま眠りにつければどれだけ楽に現実逃避が出来ただろうか。枕代わりに敷いてみた腕の先にあるのはペンを握ったままの手。
 ペン先がいやに光を照り返しているのがまた自嘲を誘う。


 「何故」と自分に問う自分と。
 「何故『何故』と問うたのか」と自分に問う自分と。
 それらの答えを自分の中の『誰』も持っていない事実に嗤う。


 ひょいっと身体を起こし、今しがた放り込んだばかりの『ゴミ』を摘みあげ、皺を丁寧に伸ばして一枚の紙に戻した。
 先ほどよりも擦れに擦れまくった黒に近い灰色の紙の上に踊る母の顔は――――。


 ビリッ……。


 引き裂かれる音に言いようのない満足を得る。
 胸に手を当てて心臓の音を確認してみれば、何となく自分が喜んでいることに気が付く。ほっと安堵するかのような陶酔感と子供ゆえの無邪気さの狭間に落ちた。


 仮初めの殺人に喜ぶ自分の歪み心。


 今思い出しても「死んでしまえ」と思うその感情は嘘じゃない。
 記憶を紙に写した指先からはペンを握り締めていたせいか、妙に鉄臭かった。






(ジェンドならば母親=自分に)
(レヴィならば母親=狂気/死に)
(ウィステリアならば母親=偽者に)

(カタカナで表記される『ヒト』という単語は人間という『種類』であると説く)
(あくまで幼少期〜青年期にかけての不安定をイメージ)






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