■ 4・アドセル


「貴方の探し人の手がかりはないのですか?」
「全くと言う方が正しいくらいには」
「それは困難な旅でしょうね」


 短く切り揃えられた金髪が光を反射する。
 持ち主の男性がコーヒーカップを口にし、喉の奥へと流し込んだ。
 俺も同じように出されたカップに指を引っ掛け、香りを楽しむ。さすが一流の貴族と言うかなんというか、使っている『もの』が違う。香りだけで満腹になってしまいそうだ。


 男性は指を鳴らし、メイドにコーヒーのお代わりと召しつける。
 俺の分も、と軽く会釈をしながらメイドの一人がカップを持ち去るのを眺め見た。


「話を戻しましょう。貴方は手がかりが欲しい、そうですね?」
「その通り」
「だからこんな老人にまで声を掛けた、と」
「貴方の情報が素晴らしいものだとある筋から得まして」
「だが現役でもない私に声を掛けたことに一つ疑問が浮かぶ。だから私は君に問おう。『何故私を選んだのか』と?」
「問いの答えはこの写真に有ります」


 胸ポケットから取り出したのは一枚の写真。
 古ぼけた其れは色褪せてはいるが、人物を特定するには十分。
 其処に映り込んでいるのは二人。
 一人は目の前の男性。
 もう少し若ければ完全に面立ちが一致するだろう。
 もう一人は二十歳前後くらいの女性。
 金髪碧眼でやや幼さが残る顔立ち。腰まで届きそうな髪は項辺りで髪を束ねている。


「貴方は俺を無視出来ないでしょう?」
「確かに」
「だから俺は貴方を利用したい。俺の武器は貴方の娘によく似たこの顔なのだから」


 顔の真横に写真を持ってきて自身の顔と見比べさせる。
 男性は諦めたかのように溜息を吐いた後、腹の上で両手を組んだ。


「では君の事は娘の名でアドセルと呼んでも?」
「お好きにどうぞ、『お父様』」



+++++



 約束通り彼は情報を幾つか提供してくれた。
 『彼ら』によく似た人物の目撃情報、それから異端狩りに関する情報が其れだ。
 俺があの二人に追いつくためには時間が幾らあっても足りない。ただでさえ世間をうろつくにはリスクが大きすぎる。
 不審者に絶大的な差別視を向ける人間達の中を彷徨うのはあまりにもストレスが掛かった。


 だから人間を使おうと考えたのだ。
 世の中誰しも突かれたくない部分と言うものが存在していて、其処を上手く利用してやれば自分の手が届かない情報が手に入れられると、そう考えた。


 その思惑通り、『お父様』は良く働いてくれた。
 何よりも失った『愛しい娘』のために。


「アドセル、写真を見せてくれないか」
「情報を下さいますか?」
「ああ、今日も一つ良い情報が手に入ったよ。きっとお前も気に入るだろう」


 情報交換は夕食時が主。
 大抵の場合、相手の方から機嫌を伺いに来る。顔が似ているというだけなのに人間と言うものはどうしてこう感情を重ねられるのだろう。


 毎日毎日、彼は娘を繋ぎ止める為の『鎖』を探してくる。
 何でもいいのだ。彼らへの道に繋がるならば、本当に些細な事でいいのだ。俺が微笑んで「有難う」というと彼は心からほっと安堵の息を吐く。


 ドレスを着るのには抵抗があった。
 だから俺は最初から着ないと宣言していたし、彼もそれを承諾した。
 その代わり俺も条件を付けられた。
 情報を提供している間は絶対に屋敷から出ない、と。


 情報が欲しい俺はこの場所に留まり続ける。
 娘が欲しい彼は情報を探し続ける。
 嘘偽りは決して赦さない。それはまさしく<契約>だったのだ。


 幸いにも屋敷には退屈しのぎが沢山あった。
 その詳細は長くなるので省くが、時間を潰すなら特に問題がないというくらいには。
 だがそれも時間の問題。
 やがて俺は彼に宣告した。


「お父様、そろそろこの場所を離れようと思います」
「……そうか」
「貴方の情報提供もそろそろ尽きてきたようですし、次の場所に移ります。今まで有難う御座いました」


 ナフキンで口の周りを拭いた後俺は席を立つ。
 そのまま部屋に戻って纏めた荷物と共に屋敷を出るつもりだった。


「最後に一つだけ、お願いが有ります」


 男は後ろから俺に両手を伸ばす。
 避けるように身体を傾けて足を一歩前に出した。彼がついておいでというように先を歩き出したので仕方なく俺も後ろを付いていく。
 やがてたどり着いたのは、アドセルの部屋。
 俺の在中中、決して入るなといわれていた部屋だ。


「娘に贈るつもりだった」


 そう言いながらクローゼットの中から大き目の平べったい箱を取り出してくる。
 差し出された其れを受け取り、蓋を開ける。
 蓋を滑るように埃が絨毯の上に落ちていくのを不快に思いながらも完全に開くと、中からは白い布が大量に出てきた。


「アドセル、此れをお前に贈る」


 最後まで娘を重ね続ける男。
 俺は埃を付かせないように気をつけながら其れを箱から取り出す。まさかとは思ったが、予想は当たっていたようだ。
 大量の白い布は、ドレスだった。しかも形から言って結婚用のものだ。
 汚さないように高く持ち上げて眺めていると、男が皺の深い顔をふっと和らげた。


「着て欲しい、とは言えませんね」
「流石にね」
「妻もあの子も亡くなって、本当に寂しかった。――――だが貴方が来た。其れが今は何よりも神に感謝するべきことでしょう」
「神になんて引き合わされていませんけどね」
「だが此れを運命と言わずに、他の何を運命と言うべきか」


 男は懐から錆びた十字架を取り出し、その手に握りこむ。
 両目を瞑り、神に感謝の言葉を零すその姿に俺はどうも共感出来ないで居た。
 神の存在はあるものだと思ってはいるが、俺は神と言う存在を崇めてはいない。
 自分が追い求めている『彼ら』を見つけた暁にはもしかしたら認めるかもしれないが、現状では神が自分に何かをしてくれたことはないと思っている。


「貴方と出逢えて、私は全てを赦された気がした」


 誰も無償では動いてなどくれない。
 需要と供給。
 互いの利益が一致してこその行動こそが信じられる全て。


「残念ですが、俺は貴方を赦すことなど出来ません。貴方が本当に赦して欲しいのは偽りのアドセルではなく、本当のアドセルなのだから」


 纏めた荷物を手にした後、俺は扉へと向かう。


「ああ、聞きそびれていた。君の本当の名は何なん――――」


 男が扉へと向く。
 だがもう俺はその場にはいない。男はベットに横たえられたドレスを片付けるために動き、あるものに気が付く。
 それは彼を動かすために使った、一枚の写真。
 彼は其れを震えた手で拾い上げ、思い出深そうに娘の顔を指先で何度も撫でた。
 くるりとひっくり返した後、彼は目を丸めた。


「此れは……」



+++++



 世の中は知らないことだらけで出来ている。
 だけど『知らないこと』がオセロのコマの様に全てひっくり返る事だって確かにあるのだ。
 男が目にした一行が運命の起点になることを俺は知っているのだから。


「情報提供の借りは返しましたよ、『アドセル』」


 ああ、なんて幸せな写真。
 ああ、それはなんて幸せな二人。
 ああ、それはなんてしあわせな――――。


 やがて『彼女』はドレスを着て彼の手を取るだろう。
 俺はその時をこの目で見れないことを残念に思った。



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