■ 5・マゼンダ
それは街と街を繋ぐ小道を歩いていた時の事だ。
「血の香りがするねぃー」
突然木の上から飛び降りてきたのは一人の少女。
身長は俺の胸の下程度。恐らく年齢は十を超えた辺りだろう。少女は爪先をぴょんぴょんっと跳ねさせながら俺に近付いてくる。俺は眉を顰めながら足を下げた。
「んーんーんー。お兄さん、血を浴びたのは一回や二回じゃないでしょー。くさいくさいくさいーっ! 血なまぐさーい! これはお兄さんの中身が腐ってるってことなのなのなのー?」
すんすんっと鼻を鳴らしながら顔を近づけてくる。
また変な女に出会ってしまったと心の中で毒気づく。すると彼女はにぃかぁーっと笑って、指を一本ぴっと突き出した。
「マゼンタって知ってるるるるるるー?」
「はぁ?」
「色の名前なのなのねー。人によっては一番不快を感じる色っていわれてるんだけどー」
「……はぁ」
「あはっ! ちなみにあたしはこういうモノなのなのーっ!」
被っていた帽子を脱ぎ、髪の毛から生えている耳を示す。
ぴょこんっと生え出た獣の耳に、なるほどと頷く。どうやら彼女は人狼らしい。ただし相当『馬鹿』な……という。
異端狩りが衰えないように、まだまだ世は人間主義。人間以外のものには冷たい世界なのだ。
簡単に正体を明かしていては命が幾つあっても足りない。
面倒なことは御免だ。
片方の足を軸にしてくるくると踊る彼女を見捨ててさっさと先に進もうとする。
だが素早く彼女が前に立ち、行く手を阻む。
「あたしねー、街に行きたいの! 兄さん案内して!」
「お断りします。ヒマじゃないんです」
「えーえー、どうみても時間をもてあましてますっていうようなオーラがばりばりばりばりんっと出てるのにぃー! あたしの鼻は馬鹿じゃないのよー」
「貴方自身は馬鹿のようですが」
「素直なだけよん」
腕を絡ませ、身体を寄せてくる。
好意を持っているわけでもなんでもないのでかなり迷惑だ。俺は顔を顰めながら相手を見下げる。彼女はやっぱり満面の笑顔を浮かべたままだった。
「ね、ね、名前なになにー?」
「教えません」
「えー、じゃあ勝手に呼ぶよー?」
「お好きになさい」
「じゃあ、折角だからマゼンタをちょっと捻くって『マゼンダ』って呼ぶよんー。マゼンタの色って貴方にお似合いだもの」
背中に回ってそのまま覆いかぶさってくる。
重くはないが、正直馴れ馴れしい。迷惑に加えて『邪魔』だ。
無言で居ればいずれ飽きるだろうとそのまま放置しておく。
だが彼女の口は止まらない。
街に着く頃になると俺は彼女がどうしてあの小道に居たのか知ることになる。
彼女は森の向こう――つまり街に行ってみたかった。
だがもちろん其れは皆から止められた。
だから一人抜け出して街に行こうと思った。
そして運悪く偶然通りかかった俺を見つけた。
『人間以外』が一緒なら何か問題が起きても対処出来ると考えた。
これらの話を総合して考えるに――――正真正銘の大馬鹿だということだ。
「ねねねね、マゼンダ兄さん。此処に来るまで何かしたのー? なんか変な視線感じないないないないー?」
「貴方が俺の背中に登っているせいだと思いますけどね」
「ぶー、こんなにも可愛い妹を背負っておいて酷いよ、マゼンダ兄さん!」
「――勝手に兄妹にしないでもらえます?」
降りろ、と身体を振る。
街に着たからには彼女の目的は達成されたことになるだろう。後は勝手にやってくれと思う。何の特にもならないことに関わっていたくはない。
「あたし、あの店行きたいぃいー!!」
「一人でどうぞ」
「酷い! マゼンダ兄さんがあたしを迷子にしようとしてるるるるー!」
「してません」
「ああーんぁああんん!! 兄さんが苛めるぅううう!!」
声をあげて泣き出す始末。
なんだなんだと街の人たちが興味深そうにこちらを見やる。傍目から見れば俺が妹を泣かせた兄になっているらしく、なんともいえない視線がじっとりと纏わりついてくる。
街の警備隊らしき人物二名ほどがこちらに歩み寄ってくるのが見えて多大な溜息を吐いた。
「君達、何をしてるんだ」
このまま少女を突き出しても構わない。
人狼とばれてしまってもそれは俺には関係ないことだ。そう、全くと言っても気に病むことじゃない。
だが。
「ご迷惑をお掛けしてすみません。妹が泣き出してしまっただけですのでご心配なく」
俺は無意識のうちに少女を抱き上げ、その背を撫でるという行動を取ってしまう。
ほぼ同時に少女がくすくすと笑う声が耳元で聞こえた。
+++++
「おっやすみー!!」
ばふんっとベットにダイブする自称『妹』。
街を案内し終わったらさっさと帰ってくれると思っていたのに、いやだとの一点張り。二人分の部屋を取るつもりはないと言えば、一緒のベットでもいいと言い出す始末。
「あっはー、明日にはちゃんと帰るからご心配なくなくなくー!」
「そうして下さい」
「えへへへ、なんだかんだ言って一緒に街を歩いてくれたマゼンダ兄さんが大好きですよー?」
「通りの殆どの店を見る羽目になるなんて思ってたらあの時突き出しときゃ良かった」
「優しい人は好き好き好きー!」
どこまで纏わりついてくる気かと本気で思う。
とりあえず明日には解放されそうなのでほっとする。
相手の言葉を信用すれば、の話だが。
男女が床を共にするといえば性的なイメージがあるが、自分たちの設定はあくまで兄妹。
それに俺もそういう意味では全く興味がない。
旅の最中必要に迫られて幾度か経験はしているが、人間がのめり込んで行く様な快楽を自分が感じているとは思えない。
少女に背を向け、扉を見るように寝転がる。
眠って起きたら明日がやってくるのだからさっさと眠ってしまえと思ったのだ。
「ねね、マゼンダ兄さんー、ぎゅーして寝ようよー」
「勘弁して下さい」
「うちじゃぎゅーして寝てたよ?」
「一人で寝なさい」
「はっはっは、隙有りっ!!」
「ぐえッ!!」
思いっきり体重を腰に乗せられ汚らしい声が出る。
彼女はそのままよじよじと胸元へと移動すると、強制的に自分を抱かせた。小さな身体が腕の中にすっぽりと納まる。
すりすりと懐かれ、俺は本日何度目か分からない溜息を吐いた。
「おやすみなさい、兄さん」
「……おやすみなさい」
さっさと寝よう。
瞼を下ろせば疲れも手伝ってか、睡魔は割りと早く訪れた。
+++++
その時目を覚まさなければ良かったと思う。
だが人間以外の器官は其れを赦さない。
「……?」
目を開けばまだ朝には早い時間帯だということに気がつく。
何故目が覚めてしまったのだろうかと考え、ふぁあっと長い欠伸をした。
ふと、違和感を覚える。
少女がいないのだ。
腕の中にも、ベットの中にも、部屋の中にも、目に見える限りには何処にも。
トイレにでも行っているのかとも思ったが、しばらくしても彼女は戻ってこない。
「何処に行っ――――」
耳がぴくりと動く。
鳥が遠くで何羽も羽ばたく音が聞こえる。恐らく人間には届かない微細な変化だが、残念なことに人間よりも発達した聴覚が聞き逃しを許さない。
ベットから飛び降り、窓の外から様子を見る。
耳を澄ましてまた別の音が聞こえないかと集中してみるが、その気配は一向に訪れない。
ちぃっと舌打ちをした後、上着を掴んで部屋を出た。
時間が時間なので足音を立てぬ様気を使うが、急いでいる以上最低限の物音は諦めてもらおう。
何故起きたのだろうと、後になっても思う。
だが、起きなければきっと意味を成さなかっただろうと思う。
鳥が一斉に飛んだ方角へと素早く走っていけば、朝早くから活動する人達の姿が数人見えた。
駆け抜けていく先に何があるのか自分の目で見なければいけないと思ったのはどうしてだろう。
どこにもいない少女。
有り得ない兄と妹の関係。
人間以外だった自分の存在。
やがて推測だけが許されるその場所に、俺はたどり着いた。
野次馬と呼ぶに相応しい人達が『其れ』を取り囲み、口を押さえる。
それらを掻き分けるように前へと進み出れば、其処にあったのは――――。
―― また狼よ。いやだわ、この間も町の近くに狼が出たのに……。
―― この間も一匹殺したのにねぇ。ここいらも危なくなったもんだ。
―― いい加減獣なんかに邪魔されず静かに眠りたいもんだ。
すぐ傍に居るはずの街の人達の声が遠く聞こえる。
俺は身体を反転させるとその人ごみの中からさっさと出ることにした。警備隊が死体を回収するために駆けて来るのを遠めで見た。
ああ、血の香りが追いかけてくる。
此処はマゼンタの名の元、流血が漂う街。
男は銃を手に。
少女は肉を口に。
転がる死体は無口になった獣と人の二体。
ああ、なんて幸せな惨劇。
ああ、それはなんて幸せな二人。
ああ、それはなんてしあわせな――――。
「結局貴方は何がしたかったんですか」
それは男を食い殺した女だけが知っている。