■ 6・ツヴァイア


「数多くの名前を所有してもあんたはあんたの本質からは逃れられないよ」


 それはバザールと呼ばれる市に食料を買いに行った時のこと。
 髪を頭部でくるくると束ねた黒人の女性が突然自分にそう声をかけたのだ。彼女は占い師のようで、胡坐をかいた足の間に大きな水晶を抱え込んでいた。
 布を張っただけのテントの奥から彼女は手招きをする。
 俺は先ほど買ったばかりの食料を抱えなおしながら彼女を見下げた。


「おいで、占ってあげよう」
「興味はないんですが」
「あたしがあんたに興味有るのさ。丁度ヒマしてたトコロにあんたのような逸材を発見したとなっちゃあ、声をかけずにはいられない。安心おし。お代は取らないよ」


 再度手招かれ、仕方なく俺はテントへと身体を向けた。
 視線を合わせるため膝を折ってしゃがみ込む。布が作った影がひんやりと肌を冷やしてくれた。


 間近で見てみると占い師の女は思ったよりも老けていた。
 黒い肌が太陽の照り返しを受けて皺を少なく見せているのだろうと勝手に結論付ける。女は水晶に手を翳し、俺には理解不能な言葉を呟き始めた。呪文、と言うヤツなのだろう。
 大人しく女の動向を見守っていると、彼女は一瞬目を丸めた。


「あんたはとても珍しい人生を歩んでいるようだね。色で例えるとあんたの道は赤、血の色だ」
「はぁ……それで?」
「後ろ髪を引き摺って歩くのはお止め。身体が飲み込まれてしまうよ」


 長く鋭く伸ばされた爪が俺の後ろを指す。
 思わず振り返ってしまうが、ざらっと流れた髪の毛の音に真意を見出す。手で長い髪を掴み取り、胸元へと流す。
 女は深く頷きを繰り返すと、髪の毛に手を伸ばした。


「この髪はあんたを喰らうよ、ツヴァイア」


 聞き覚えのない名前に首を傾げて訝る。
 鉄漿をつけた歯でくすくす笑いながら女は再び水晶に手を置いた。


「あんたはとても珍しいケースだ。普通は死へと向かうのにあんたは生へと向かってる」
「それで?」
「だがその髪があんたを死に至らしめるよ。今すぐ捨てた方がいい」
「それは出来ないんです。俺はこれがなければ生きていないでしょうから」
「ああ、だからそれは『死』を持つんだね。あんたは何故此処にいるんだい? 何故此処にいなければいけないんだい? はっきりと自分自身にいま一度問いかけてみるんだね。あんたはあまりにも自分の存在を言うものを知らなさ過ぎる」
「……忠告を有難う。でも、もう行きます。貴方の時間潰しにはなったでしょう?」


 食料の入った紙袋の中から一つの果物を取り出す。
 俺はそれを彼女の手の上に乗せた。代金代わりだと握らせ、俺は立ち上がる。太陽がじわじわと肌を焼き始め、汗が滲み出す。
 今日は本当に暑い日だ。


「ツヴァイア。あんたの選択は一つじゃない、二つだ。くれぐれも間違えるんじゃないよ」


 ひらひらと手を振って女が嗤う。
 がりっと果物を噛む様子を目の端で見ながら俺はその場を立ち去ることにした。


 ああ、なんて幸せな占い。
 ああ、それはなんて幸せな二人。
 ああ、それはなんてしあわせな――――。


ツヴァイア二つ、ねぇ……」


 空を見上げれば太陽光が燦々と降り注ぐ。
 肌が赤くなることを覚悟しながら俺はバザールを出た。



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