■ 7・フィンチェル


「ああ、何か既視感があると思ったらこないだ来たフィンチェル牧師様だ」
「ああ、ああ! そうだよ! フィンチェル牧師様だよ。よく気づいたねぇ、あんた」


 老夫婦が襟元から十字架を取り出す。
 なにやらまた嫌な予感がして俺は飲んでいたコーヒーをそっとテーブルの上に置いた。


 此処は町の喫茶店。
 雑貨店で新聞を購入して退屈しのぎにと読んでいたところ、同じように午後の時間を過ごしていた老夫婦がこちらに近付いてきたのだ。新聞で顔を隠しては見たものの、あまり効果はなかったらしい。
 自分でも感心するほど良く『迷惑』に巻き込まれるものだ。


「牧師様が今この町にいるという噂は本当だったんだね」
「いやぁ、噂はかねがね聞いております。若くして修道院設立に関わったとかで」
「牧師様、こんな辺境によくいらっしゃった。今はどちらに滞在で?」


 老夫婦の声に惹かれ、他の人間も続々と集まってくる。
 自分を中心に円を描くように集ってくる人々は皆どこか縋るような瞳だ。
 俺は新聞を小さく折り畳み、立ち上がる。
 人違いだと言い捨てて去ってやろうと思い、足を一歩踏み出す。無言で動き出した俺にどこか怯えた視線を向けながら人々が後ろを追いかけてきた。


 店の外に出ようと扉に手をかける。
 だが、ガラスの向こうに誰かが立っているのを確認すると、開くのを躊躇った。
 相手の方から扉が開かれる。
 俺は道を譲るために身体を横に移動させた。


 扉の向こうから姿を現したのは黒装束の男。
 俺は片手を持ち上げ、入れ違いに中へと入っていく男の肩を叩く。すれ違った男は徐々に目を見開き、やがて振り返る。


「後は宜しく」



+++++



 世の中には同じ顔の人間が三人はいるという話を聞いたのはいつだっただろうか。


 『あの人』が教えてくれたのかもしれない。
 『あいつら』が教えてくれたのかもしれない。
 旅の最中に偶然聞いただけかもしれない。
 ―― だけど、数え切れないほどの死をこの目で見てきたが、『自分の死』と言うものはそれが初めてだったかもしれない。


「……さて、と。これはどういうことだと考えればいいんでしょう?」


 路地に横たわった其れを確認すべく、腰を折る。
 赤い液体が自分の方へと伸びてきたので、逃げるために僅かに身体をずらす。ぐったりと横たわっていた身体を仰向きにさせれば、胸に穴が空いていた。
 凶器は恐らく鋭いナイフあたりといったところだろう。


「っ、逃げ……」
「おや、まだ生きてましたか。ええっと確か貴方の名は……フィンチェル?」
「逃げ、なさい……」
「逃げろ、とは?」


 朦朧とした意識に問いかける。
 言われなくとも今から町を発つつもりではあった。だが不運にも『自分の姿』を見つけてしまったのだから仕方がない。
 声を出すたびにごぼっと吐き出される血が非常に汚らしい。
 自分と同じ顔が苦痛に歪むというのはこんなにも不快なのかと改めて考えさせられた。


 金髪と深い蒼の瞳。
 外見だけならば似ていると言ってもいいかもしれない。俺は後ろからやってくる足音を聞き取り、勢い良く振り返った。


「逃げ、なさい……貴方も、まちが……わ、れてし、ま……」


 死んでいく自分。
 声が徐々に弱っていくのをただ見ている俺。
 どうやらこの世界は『何か』が間違っているらしい。


 足音がさらに近づいてきたので、素早くダストボックスに身を隠す。
 少々ゴミ臭いが仕方がない。気配を殺して出来るだけ呼吸も止めた。
 やってきたのは意外にも町の人たちだった。
 昼間声を掛けてきた老夫婦に喫茶店のマスターにそれに、それに。


 彼らはバケツに入った何かを牧師にぶちまける。
 何をするのかと息を殺してみていれば、一人の男が松明をぽいっと投げ捨てた。


「火葬、というには少々残酷な方法ですね」


 悲鳴が聞こえる。
 闇を切り裂くような獣の悲鳴が。


 だが住人達は窓から見ているだけで誰も其れを咎めない。
 起きてしまった子供達に対して部屋に戻っていなさいという声が聞こえるだけだった。
 牧師は確か間違われる、と言っていた。
 そして、貴方も、と。


「さっさと出た方が良さそうだ」


 どさっと焼けた肉の塊が転がるのを見届けてから俺は裏路地を使ってそこから去る。
 たったったっと静かに駆けていく自分の姿を月だけが見ていた。


 ああ、なんて幸せな偶然。
 ああ、それはなんて幸せな二人。
 ああ、それはなんてしあわせな――――。


 この世には、同じ顔が三つはあるという話を、何処で聞いたか。
 あれは自分の仮の死体。
 あれはもう一つの仮死。
 過去をつつく仮の記憶。


「何処かで『三人目』が笑っていそうな話ですね」


 俺は最後の一人がまだ街にいることを、実は知ってた。



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