■ 8・ゼネル
役立たずの運命は彼の存在を赦さない。
「『あるところに、ゼネルという名の盗賊がおりました』」
二つのナイフをひゅんひゅんと上に投げ、落ちて来たそれを器用に受け取る。きちんと柄の部分でキャッチするのだから見ていて面白い。
俺は組んだ手をずらす。だが縄が肌に食い込むだけで何か出来るわけではなかった。
「『盗賊は沢山の金銀財宝を手にしたが、幸福ではなかった。ある日ゼネルはある村の殆どの村人を殺した後、一人残った子供に問うた。「お前は幸せか?」と』」
「下らない問いかけですね。そいつにも色々あったんでしょうけど」
「そう、色々あった。だがゼネルには仲間はいたし、そいつらへの不信感なんてもんもなかった。欲望は次への略奪をひどく心待ちにさせたし、傍目から見たら問題なんてもんはありゃしなかった」
今まで座っていた木箱の上から立ち上がり、相手は目の前へとやってきた。
しゃがみこんで俺の顎を掴む。
強制的に首があげられ、筋が痛む。俺は眉間のしわを深めながら相手を睨んだ。傷んだテントの隙間からは夜を照らす月の光が一筋零れてくる。
それはやがて相手の顔を晒した。
「なあ、『ゼネル』。お前ならどう読み解く?」
やや茶の入った髪は後方に追いやられ、額を晒す。
ぼさぼさの髪の毛は手入れしているのか怪しいものだった。頬骨から顎にかけて伸び生やされた髭もまた不衛生さを演出する。
細められた瞳の色は光を吸っているせいか若干黄色く見えるが、おそらく黒だろう。
しゃがれた声と皺の刻まれ具合からして四十前後というところか。
この村に入ったのは間違いだっただろうか。
村は自閉的な面があり、大きな街とは違って、いわゆる『余所者』が入ってくることを嫌う。
それでも疲労は限界にきていたし、路銀もつきそうだった。野宿を選択しても良かったが、食料が少ないことはかなり不安だった。
一時しのぎのためだった。
店に行き、食料を得るだけでよかった。
――だが。
「俺がもし盗賊の『ゼネル』だと言うならば、」
村は余所者が入ることを許さなかった。
「何も問いかけることなく貴方達を殺すでしょう」
村は余所者を愛すことなどしなかった。
俺の返答が気に入ったのか、男はがっはっはっと声高らかに笑い声をあげる。
外の門番達が興味深そうにこちらを覗き見てはにやにや笑っているのが見えた。
繋いだ縄を引きずり、俺を強制的に地面に倒す。
とっさに顔を庇うが、そのせいで肩を強く打ちつけてしまった。痛みに顔をしかめていると、ナイフを掲げた男の影が体いっぱいに掛かったのを感じた。
「『お前は幸せか?』」
物語の途中を綴るかのように男はひしゃげた顔で笑う。
俺ははぁ……、と息を吐き出すと、そのまま目を伏せた。
+++++
獣の遠吠えが聞こえる。
たくさんのたくさんの。
そう広くはない村だ。
余所者が『尋問』を受けていることはすでに知れ渡っているのだろう。だが篭り続ける世界は外に逃げたものを追いかけはしない。
俺は裂かれてしまったシャツを申し訳程度手で掛け合わせながら木陰に体を隠す。
べったりと体を伝う液体が気持ち悪い。
すっかりあがってしまった息が冬の空に白く映える。熱のある身体が嫌で、深く深呼吸を繰り返した。
獣が叫んでる。
たくさんのたくさんの。
獣が呼んでいる。
たくさんのたくさんの。
「…………ゼネルねぇ」
ああ、なんて幸せな篭城。
ああ、それはなんて幸せな村人。
ああ、それはなんてしあわせな――――。
自閉した村は飽和した幸せ『以上』を内側に求め始める。
だからこそ、余所者を愛さない。
大きな世界は閉ざされてはいない。俺はまだ閉じていない。だがこの村は内側で燻され、廃れていく運命だろう。
ひゅん、と一度それを高く放り投げる。
くっと持ち上げた唇とともに俺は立ち上がる。蒼の瞳は今何色に輝いているだろう。
「『ゼネル』を演じさせた相手が悪かった、と思いなさい」
幸せを問う前に洗礼を。
やがて朝の光が全てを明かすまで、俺は屍と踊ってた。