お父様、お母様、お兄様、お姉様。そして兄弟達よ。
 そこに魂などないと分かっていても尚、墓石に向かい合う人達の話を「僕」が始めようか。


時超えて、尚




「煙草止めたんじゃないですか」
「あれから何年経ったよ」
「初対面の時に『兄ちゃんに怒られるから』って胸ポケットの中に煙草をしまい直していたのが懐かしいな」
「弟の方は単位平気かー」
「無事大学の方は卒業出来ますって! 卒論もぎりぎりなんとか」
「就職の方も内定決まったってな。オメデトー」
「あれ、俺そんなこと言ったっけ?」
「言ってた言ってた。去年辺りに」
「そう、だったっけ……?」


 煙を燻らせる無精ひげに肩ほどまでの金髪を項で括った粗雑な男。
 白ファーの付いたカーキ色のコートを身に付け、ふぅっと息を吐けば外気との差で煙草の煙ではない色が揺れ上がった。
 それを見たのは二十代前半の若い男。
 ベリーショートの灰色に近い髪に、一般男性よりやや低めの身長を持った彼は手にしていた墓石に添える花を花立てへと差し込む。
 物置台の上には墓石にはあまり似つかわしくない赤薔薇の花束が横向きに添えられていた。


「相変わらずこの花だけ浮きっぱなしですね」
「んぁ? 仏花なんてアイツいらねえだろ」
「まあ、そうでしょうけど」
「だからといって俺は花に詳しくねえし、アイツも花なんて興味なかったし、じゃあなんでもいいわって思った結果赤薔薇ばっかになっちまった」
「お兄さんって、花言葉とか知ってる方ですか?」
「んー……仕事柄なんでもやってきたけど、そういうのはお前の兄向きだろ」
「じゃあ赤薔薇は兄ちゃんへの無意識の捧げものかぁ」


 焼香がゆらゆらと風に吹かれて二人の鼻孔を擽る。
 互いに一年に一回、たまたま時間帯が合えば出逢うだけの存在を認知しながらそれでも目の前にある墓石をまっすぐ見下ろしていた。
 携帯灰皿の中に男は吸い終えた煙草を押し付け捨てる。
 一連の動作を見ていた青年は持っていたトートバックを肩に担ぎ直しながら、数分だけ両手を合わせて黙祷を捧げた。


 もうここには誰もいないのに。
 分かっていても尚、形として残された墓石は存在を知らしめる。「死人」達の存在を視覚情報で伝えてくる。
 そんな青年の姿を見てはもう一本と煙草を取り出そうとした男は、その吸い口を無意識に指先で強く潰し、携帯灰皿の中に新品のまま突っ込んだ。


 二人を結びつけたのは一人の存在。
 その存在が消えうせた後に繋がった縁。
 ただし、その糸は限りなく細い物である。


 死人は青年にとって「兄」であった。
 従妹同士であった父母が婚姻し、親戚から『兄弟』へと形を変えた唯一の兄だった。死人曰く「誰よりも自分を理解している存在」であり、「彼との約束があるから生きていた」と語っていた。


 一方、男にとって「恋人」と呼んでもいい関係であった。
 一度は死人が焼かれる前に死体に嵌め込んだその指輪は、弟の手に取って抜き取られ、一周忌に出逢った弟の手により彼に渡り左薬指に嵌め込まれている。


 墓石の前で出逢った二人。
 死した後に出逢い、二人の共通項である死人の『命日』だけ時間帯さえ合えば語るだけの通りすがりの存在。
 だが、それが心地よかった。


「兄ちゃんは」
「ん?」
「最期まで良く分からない人だったな」


 死人を知っている人が良く口にする言葉。
 通りすがりの人物も、友人も、家族も。
 人間も、妖怪も、それ以外の種族も皆一度は考えた文章だった。
 そして男は共に過ごした人生の数年間を思い返しては、コートに両手を突っ込み、肘をぴんと張った。


「俺も良く分かんねえままだったな。今まで出逢った人物の中で一番ぶっ飛んでた。どこにネジ落としたっていうくらい、口を開けばぽろぽろと落ちる言葉を理解するのに何度首を捻ったかわかんねえよ」
「それでも最期は笑ってたから良いかな」
「笑ってるように見えたか?」
「うん、木棺の中で笑ってた」
「それ死に化粧のせいじゃねえの」
「俺がそう見えたからそれで良いんですよーだ」
「その自信はすげえわ」


 青年の頭に無骨な掌を乗せて灰色の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜれば、相手は素直に暫く撫でられていた。
 死人となった兄とどうやって出会い、どうやって過ごし、どうやって別れたのか分からない存在である男に対して「弟である青年」は何も質問しなかった。


「なー、弟よ」
「ん?」
「お前の兄、生きてたら今頃何してたと思う?」


 もしも話。
 死者に先などないと分かっていて尚も問うのは「彼が愛した弟」の言葉を聞いてみたいと思ったからだ。
 死者は生前ずっと男にこう言っていた。「弟だけが自分を理解してくれていた」と。
 本人にその意識は無くとも、一回り離れた弟だけが理解してくれていたとずっと口にしていた。


「生きてたら……多分ずっと俺が兄ちゃんと約束した通りだったと思う」
「死にたがりの間接自殺願望者」
「俺が兄ちゃんに『自分からは決して死なないで』って言ったから、あの人は生きていた部分も少なからずあっただろうと思っちゃうので」
「ふーん。責任感じる?」
「そっちこそどうなんですか。もしも話として兄ちゃんが生きてたら」


 顔を少し覗き込まれ、バツが悪そうに青年は男を見た。
 不潔に伸ばされているのではなく、それなりに整えられた無精ひげを持つ顔。年齢不詳。若くも見えるし、既に人生を半分ほど生きた初老にも見えた。
 ポストカードなどによく使われている角度を変えれば違った絵が見えるレイヤーカードのような存在だと青年は感じていた。


 揺れる焼香の煙が空へと昇っていくのを二人並んで見ている。
 男はくっと喉を鳴らして笑った。


「考えてみたけど、時間差でアイツは死んでた。寿命じゃなくて、な」


 酷く醒めた声だった。


「もしかしたら俺が殺してたかもって今なら考えてやれるな」

 酷く冴えた声だった。
 どこまでも響き渡る、自由な音域。妙に耳に馴染む返答に青年は「そっか」と一音だけ返した。
 寿命で逝く事を望まなかった存在を二人はやはり理解しすぎていたが故に。 


「っと、俺帰りますね!」
「おー……頑張れよ、午後のバイト」
「一年後に、また」
「約束しねえよ、ばーか」


 緩く緩く。
 通行人のように小さな接触だけして二人別れる。
 時間にして一時間あるかどうかの一年に一回だけの逢瀬。それでも二人逢えれば下らない話をして、無駄な時間を墓石の前で過ごした。


 男は青年が去った後に一人、寒空の下で白い息を吐いた。
 もうすぐ冬がやって来る季節だ。


「花音」


 死人の名前を口にする。
 名前を吐き出して、自分が愛してしまったが故に喪った存在を認識する。望んで傍に居た二人。
 共通項は「生死の境界線」。
 恋人という甘い名付けをした数年間の裏側で、二人は確かに日常を利用し合っていた。誰よりも早く、誰よりも自然に死にたがっていた存在の重さを心に焼き付けて、その焼き付けた痛みに男は生涯を捧げるだろう。


 無意識に指が痙攣する。
 新たなる訪問者。
 黒い影。
 肌も服も存在全てが闇纏う少年の姿を視認した男――彼は細めた瞳で「僕」を見た。


「やあ、お父様。今年も来たよ」


 その声、サングラスの裏側。
 口元だけが笑顔の形を取って、袖の長いそれを空気に遊ばせた「カミサマ」は墓標の頂点に腰を下ろす形でそこに在った。


「お前も良く飽きねえな」
「お父様にお兄様。僕にとっても貴方達は特別なのでね。本来は自由で在るべき存在なのだが、これもまた自由であるが故の選択肢さ」


 三人目の訪問者は墓標から飛び降りて隣に立つ。
 彼は、男が死ぬ瞬間を見る役割を持っているのだと勝手に口にする。どうやって男が生きて、どうやって男が死んでいくのか。


 お父様、お母様、お兄様、お姉様。そして兄弟達よ。
 そこに魂などないと分かっていても尚、墓石に向かい合う人達の話を「僕」は語り続ける。


 死して尚、彼の存在というものが二人を捕らえたままが故の問題点。
 闇纏うカミサマはマフラーも袖も風に遊ばせながらその袖の下の指輪の対を今日も愛した。





…Fin...


>> 2Pマコトが死後繋いだ人達。

 時期列は「笑い話」⇒「寂しくなったら。」⇒「野ばら。」⇒「閉鎖神話」⇒「時超えて、尚」。
前3つは2Pの2ページ目、「閉鎖神話」はMZD部屋にあります。

 11/22は花音さんの命日です。
 彼が死して繋がった縁が今も緩く細く、けれども頑丈なまでに三人を絡めたままです。

2019.11.22

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