( 貴 方 が 欲 し が っ て い る の は 『 こ れ 』 ? )
漆黒の前髪の隙間、蒼い瞳が光を望む。
そして両手を天に伸ばして細い喉元を大きく晒し、何かに叫ぶかのように――――停止。
静止画のような光景が目に焼きつく。
風景の中に溶け込みながらも自己主張は忘れない。青々とした木々も、柔らかく肌を撫でる風も、快晴と呼ばれる蒼い空も『彼』を引き立てるための道具としか見えなくなるような――――風景画。
生きているお人形。
あれが理想なのだと、一瞬だけ起きた胸の高鳴りがそう告げた。
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「キュールさん、すみませんが私の『師』はどちらに?」
「……あれ、えっと貴方は……誰でしたっけ?」
「先日紹介して頂いたトーテと申します。一応階級は伯爵ですが」
「…………伯爵、ですか。あー、えっと、あいつらは多分……自室にでも籠もって人形弄ってんじゃないでしょうか」
手に持っている沢山のシーツを抱えなおすように身体を揺する。
視線を斜め上に寄せながらうーんっと考え、あいまいな答えが返された。自分よりも頭一つ分程度低い彼に微笑みを浮かばせながら、私は「有難う」と言った。
だが、数歩歩いてぴたりと止まる。
「どうされました?」
「いやはや、お恥ずかしい限りですがもう一つ質問が有りました」
「はい、なんでしょう」
「私、あの二人の私室を知りません」
「あ、そうですか。じゃあ、俺は洗濯物があるので失礼しま――――」
「案内して下さい」
立ち去ろうとする相手の襟首に指先を一本突っ込んで引き止める。
ぴんっと張られた布地が静かに首元に食い込んだ。痛くはないだろうがやはり圧迫感があるのだろう。ゆっくり足を後ろに下げ、襟の空間を作るように僅かにしゃがんで外した。
蒼い瞳が私を見る。
まだ成長途中なのだろう、大人に近い……けれどどうしても子供にも見えてしまう顔立ちが印象的だ。私は彼の腕の中から零れ落ちそうになったシーツを掴み取り、上に乗せてやった。
「急ぎの用事ですか?」
「時間があるならばそうでもない」
「時間がないというなら?」
「今すぐお願いします」
礼儀程度のお辞儀。
敬う意味ではなく、あくまで円滑に物事を運ぶためだけに下げられた頭に彼は溜息を付いた。
時間がないのは本当だった。
時間があるのも本当だった。
彼らが私を弟子と認めるか否かによって。
「人形達にお聞きしては如何? 俺はこれを洗いたいんです」
「案内してくださいますかね」
「嫌われなければね。……ああ、そうそう。くれぐれもご注意なさい。この屋敷の『主』を見間違えないように」
「?」
くすりと、からかいを含んで口角が持ち上がる。
どういう意味か問おうと唇を開くが、それよりも先に彼はさっさとこの場を去ってしまった。後に残されたのは私のみ。
人形に聞けと彼は言う。私は後頭部をぽりぽりと指先で引っかきながら其れらしき影を探した。
やがてちらちらとこちらを覗き見ている数体の人形に気が付く。
西洋ドールのそれらは女性体の可愛らしい人形達で、くるくる巻かれた髪の毛が足元まで垂れ下がっている。着替えさせられたドレスもミニチュアサイズとは言え丁寧に作り込まれていた。
私はくっと片膝を付く。
彼女達はきゃあと言う様に口を押さえ、私をその麗しい瞳で見上げた。左手を胸に、右手を差し出して私は言った。
「こんにちは、可愛らしいお嬢さん。ご機嫌如何ですか?」
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( 欲 し い も の が 『 こ れ 』 な ら ば )
自分の世界が狭いということは確かに認めざるを得ない。
けれど他人の世界が特別広いというわけでもない。限られた空間の中でそれでも流されるがまま生きてきた。自分の存在を希薄なものにして――――けれど回りは自分を浮き彫りにさせるかのように突き放して。
唯一、自分なりに気に入ったものがあった。
『黒髪碧眼のお人形』がそれだった。思えば私が囚われた最初の『もの』だったかもしれない。人形達は自分の思うがままに一緒に遊んでくれる友人達。昔から屋敷に飾られていた彼らは誰もいない時に私が望めば其処に『現』れた。
私には五感以外にもう一つ『力』があった。
他者を怯えさせ、悲しませ、時として死に至らしめる――――それを私の一族は『始祖』の証だと言って。
昔々、……本当に随分と大昔のこと。
人を憎み、神に絶望し、世界を呪い続けた男が居た。彼は『死者』となってなおも沢山の呪詛を吐き続け、心を凍らせ続けた。
だが、後に『死者』を悲しみの淵から掬い上げた『生者』が現れる。二人は互いに思いを寄せ合い、そして……別れてしまった。生者の寿命という超えられない生と死の壁にそれでも爪を立てながら、『死者』は足掻いた。
輪廻に加わることを拒絶した自分を呪う。
けれど神を信じきれるわけもなく、また世界を愛せるわけもなかった。そんな身勝手で都合のいい話などあるはずもない。
死者はそれでももう一度生を得たいと願い、そのための手段は選ばなかった。
彼は赤子を失った母親と契約を交わし、その身に自身を混ぜることを望んだ。
死の間際の『生者』の言葉を何よりも信じ、いつの日かあの人が生まれ変わるその時代に自分もまた『生』きれるように。
『契約をしましょう。――――――貴女に生命を、私に肉体を』
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ああ、これはなんて綺麗な物語。
世界中探しても自分を蝕む『身勝手な悪夢』はこれ以外にないだろう。
―― 違う! 其処は左に通すんだ!
左から『師』の声が響く。
私は慌てて手を左に動かした。右に居たもう一人の『師』もまた唸りをあげながら額に手を当てる。あたふたと手を動かしながら修正をすれば、手の一部が変な動きをした。瞬間、後頭部にがつっと何かがぶつけられる。顔をあげてみれば、それは『師』の手だった。
―― さっき教えたことと全く同じことだと言っただろう?!
「い、痛いんです、が」
―― 左右が逆になるということを抜かしているんじゃない!
―― レイズ。落ち着きなさい。ほら、貴方も続きを。
「……こうして、こうですか?」
―― そうそう、そうやって下さい。次は足です。
―― 頼むから簡単な糸結びくらいは一回で憶えろ……。
全く、と息を吐き出される。
まるで生きている人間と同じように動く彼らはみていて面白い。私は『わざと間違えた』箇所をさっさと訂正して次の工程に進むことにした。
師の一人、ジズは私の肩をとんっと叩く。
そして私から人形を取り上げた。きしきしと音を鳴らして間接部を確認する。触れる指先は緑色の素肌で、私からみて異常な色合いが彼らを自分とは別の世界の住人だと知らしめた。
愛おしそうに眺めながら彼は私の手の中に人形を戻す。
くっと顔を持ち上げ、目前の窓ガラスを越えた先にいる人を見て言った。
―― 彼をモチーフにした人形を一体作って御覧なさい。
「『彼』?」
―― そう。私達に本当に弟子入りしたいというのなら、私達が貴方の技量をはかっても良いでしょう?
貴方にはある程度の技術力があります。ですからそれを見極めるために人形で『彼』を作って御覧なさい。
材料は与えます。必要であるというならば、何でも与えましょう。
視線を追いかけた先には『少年』が居る。
洗濯物を伸そうと糸の張られた木々の間に身体を滑らせながら、天に向けて手を伸ばす。
漆黒の前髪の隙間、蒼い瞳が光を望む。
そして両手を天に伸ばして細い喉元を大きく晒し、何かに叫ぶかのように――――停止。
静止画のような光景が目に焼きつく。
風景の中に溶け込みながらも自己主張は忘れない。青々とした木々も、柔らかく肌を撫でる風も、快晴と呼ばれる蒼い空も『彼』を引き立てるための道具としか見えなくなるような――――風景画。
生きているお人形。
あれが理想なのだと、一瞬だけ起きた胸の高鳴りがそう告げた。
―― 貴方の中で一番になるような人形を作って御覧なさい。
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( 一 番 大 好 き な 『 人 形 』 を あ げ る )
「っ……ぅ」
「フィア様? 大丈夫ですか、フィア様」
突然口元を押さえ始めた少年の背を青年は撫でる。
それから目を覆っていたサングラスを外させ、顔色や目の動きを確認した。青ざめた表情と細かく揺れる瞳が僅かに離れた位置で彼らの様子を見ていたもう一人の少年が、やれやれと肩を竦めた。
「ねえ、お母様。エイダと名付けられた生贄神よ。彼はどうしてこんなにも弱いのかね? ねえ、お姉様。その左腕に鎖を付けられた可哀想な生贄娘よ。どうして彼はこんなにも動揺するのか分かるかい?」
「……祈り神、祈られ神。そのどちらの冠も有する貴方にはフィア様の苦痛なんて到底分からないでしょう。でも貴方の言霊は私以上に強い、だから」
「だから、喋らないでおくれと……そう言いたいのだね。お母様?」
先の言葉を奪い、くるんっと頭を下にした。
ぷらりんっと足が不安定に揺れる。ゆらゆらと楽しそうに浮きながら、『影』を持たない少年はサングラスに手をかけて静かに外した。ふわぁあとわざとらしい欠伸をしてから腕を伸ばし、背筋をぴんっと張る。
ああ、それは逆さまの祈祷。
「ねえ、何故か此処に迷い込んできたお兄様。貴方がこの世界で一つの結論を導き出せるようにこの世界の端で祈ってあげようか」
◆GO TO NEXT?◆