( 貴 方 に 捧 げ る 『  こ  の  歌  』 を )


「綺麗事の海に沈んでますね」


 筆を滑らせていた私の手が止まる。
 書いていた人形の眉がほんの少し歪んだ気がした。指先でぴっと弾くように拭い取る。何とか修正がきいて、ほっとした。
 そんな私を見ているのは蒼い瞳の持ち主――――自分を除いて唯一この屋敷の『生者』であるキュールだった。


 片眉が無意識のうちに持ち上がる。
 背後から手が伸ばされ、今線を引いたばかりの人形の頭部を掴みあげられた。植毛も眼球代わりのガラス球をはめ込まれていない本当に素体だけの『其れ』。彼は光にすかすように左右に動かし、目を細めた。薄いピンクの唇を小指で撫で、一度突く。
 それから私へぽーんっと其れを投げた。


「下手くそ」



+++++



 貴方に命を、私に生を。
 けれど出来ることならば、彼の死を。


 黒髪碧眼は確かに珍しい。
 金髪碧眼は特に問題視されないが、色の組み合わせというものはやはり存在していて、少なくとも私の一族にはそのような組み合わせを持つ人などいない。加えて言うならば、黒髪という時点ですでに私一人のみ。
 外部の血を入れ、始祖の血を薄めることを恐れた我が一族は近親婚を繰り返す。時として『役立たず』を産みながら、それでも今日まで生き長らえてきた。


 母はよく言っていた。
 「早く目覚めて」と。
 母はよく言っていた。
 「お前さえいれば」と。


 自らが作り上げた箱の中に籠もることを選択した自分達は、どれほど周りの人達に恐れられていたのだろう。
 人を超えた力は恐怖となり、災厄となりかねない。
 その力がたとえ薄まっていたとしても、皆望んでいた――――たった一人の『始祖』を。


 貴方に生命を、私に生を。
 ならば『器』には終わりを下さい。


「似たような話をどっかで読みましたね。あれは確か此処らへんの……――――」


 ソファの端の方に体重をかけるように腕を伸ばす。
 素直に立ち上がって取りにいけば良いものを、ぎりぎりの距離だとどうもずぼらになりがちだ。背凭れに腹をくっつけ、私には背後を見せるように体を伸ばす。ふるふると指先が本棚を撫で、目的のものを探し始めた。


 使用人の格好をした人形が数体、ティーセットを運んでくる。
 私は有難うと微笑みながらそれらを受け取り、自主的にテーブルの上に並べた。数は二人分。この部屋にいる生き物の分量だけ。


「あとちょっとー……!」
「そんなにも体重をかけると危ないですよ?」
「あー、あったあった。これこれ――――ぃだ!!」


 やっとの思いで本を取り出した瞬間、彼の頭の上には一冊の本が落ちてきた。
 頭を抑えながらも起き上がってくる彼の周りには心配そうに手足を動かす人形達が集う。顔の動きは特に変わった様子はないのに、彼らが持つ感情が『人』のように見せていた。
 私の『師』が作ったそれらの人形は大変興味深いと思う。


 目的の本と落ちてきた本の両方を掴み取り、彼は正面に身体を戻す。
 目的の本は赤い装丁の薄いもので、どうやら絵本らしかった。彼は其れを膝の上で左右に開くと、印刷されている文字達を指でなぞった。
 私は肩を竦めて言う。


「別に珍しい話じゃないでしょう。神話の世界じゃ近親婚も珍しく有りませんし、『この世界』じゃ私達の力も特別になるとは思えませんしね。そういった点では居心地がいい。煩い一族の声も聞こえてきませんし」
「えーっとどこの章だったかな……確か此処らへん」
「……人の話聞いてます?」
「無視してます」
「素晴らしい矛盾っぷりですね」


 足を組み替え、ふぅっと息を吐き出す。
 先日『師』に「彼をモチーフにした人形を一体作りなさい」と言われた。それが私の現時点での技量をはかる目安になるのだと。
 私も「なるほど」と思ったので、その日から彼を観察し始めた。意識して見始めると別に何処にでもいそうな少年で、特別変わった様子は見受けられない。――――いや、この屋敷内でのみ言うのであれば、彼は特殊だった。唯一生きているものとして。


 出来るだけ視界の中に入れておこうとしたのが災いになってしまったのか、日に日に彼の機嫌は悪くなっていく。
 まあ、普通じっとりと毎日毎日観察されていれば当たり前の感情なのかもしれない。煩わしいと思われても仕方がない行動を取っているのは自覚済みだ。
 とりあえず外殻だけでも作り上げておこうと着手してみれば、彼に容赦なく貶される。駄目出しされる。時々ゴミ箱の中に捨てられる。屋敷の『子供達』に足をぽむっと叩かれて慰められた数もそろそろ忘れそうだ。


 懐かれている様子から言って人形に愛があるのかとも思ったが、別にそういうこともでもないらしい。
 随分興味深い『素材』だと思った。批難されても私はとりあえず約束した一体は作り上げてやろうと手を動かす。
 そんな私に何を与えたいのか、それとも無意識か。
 彼は絵本を捲りながら、時々不思議な言葉を零した。


「綺麗事の海に溺れない様に気をつけなさい」
「きれいごとのうみ?」
「見える事柄は流動しています。けれど綺麗事の海は静止してます。流れていく醜いものは泥として心の奥底に溜まり、綺麗事は水面に留まり続ける。一見しただけじゃその全てが分からないのが『綺麗事の海』。どれだけ理想が綺麗でも、理想に溺れないように気をつけなさい。貴方が作りたい人形が貴方の技量以上ならば、なおさらの話」
「例えばどんな?」
「例題、『人形が歩き出せばどうなる?』」


 寄り添ってきた人形達の頭を撫でながら彼は問いかける。
 私はうーん、と天井を見つめるようにしながら答えを探した。
 そんな風にだらだらと取り留めのない会話をしていると、天井から何かが突出する。それはやがて足の形となり、胴体部を形取り、最終的には一人の人間の形となった。


 降りてきたのは私の『師』の一人であるレイズ。
 彼は今の私達の状態を一瞥すると、一瞬にして不快になった。だが気を取り直して彼はキュールさんへと身体を向けた。
 何故か慌てて。


―― 少年。先日見せたあの納品前の人形を知らないか?!


 問われた相手は肩を竦めた。
 私はくっくっと喉で笑いながら、答えを出した。


「答え、『人形師が慌てる』っていうところでしょうか」
「遊びたい盛りのお子様に待ってろという方が無理ですよね」



+++++



( 貴 方 に 捧 げ る 最 後 の 『  嘘  』 )


「例えば一つの夢。例えば一つの理想。例えば一つの歌。例えば一つの言霊。例えば一つの現実」


 彼は掌の上で人形を躍らせる。
 神の力を得たその子供はくるくると爪先を立たせて踊った。けれど――――。


「例えばこれは<ただ一つの物語>」


 やがてその子供は動きを失い、彼の掌の上で倒れた。
 そんな小さな人形劇を見ていたのは神様の息子とその影で。


「傍にいて、抱きしめて、自分を固めさせて――――お父様の望むもう一つの終焉。これは過去と未来をくるりと繋げた道化師の物語。現在のない彼は『綺麗事の海』をただ流離うしか出来ない」
「……これは存在してはいけない話じゃないか」
「おや、フィアレス。僕のお父様でありお兄様であり兄弟でもある君よ。君の存在を蹴り飛ばしてしまう発言をしてもいいのかい? 僕らの存在というのは彼らのような心から生み出されたんだ。マイナス思念から産み出されたんだ。さながら綺麗事の膿。データとして存在する僕達を根底から覆すことは貴方を形作ったあのお父様が泣くよ」


 『カミサマ』は吐き捨てた。
 『神様』は青ざめた表情で強く言った。


「それでも彼らは出逢わせてはいけない――――これは異常の物語だ」






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