( 『 綺 麗 事 の 海 』 に 溺 れ る )
パンっと乾いた音が鳴った瞬間、私の顔は真横を向いた。
遅れてじんじんと鈍い痛みが頬に広がり、そこでやっと私は『叩かれた』のだと気が付いた。掌を頬に押し当て、正面に顔を戻す。
叩いた本人――――キュールは私を睨みつけていた。
一体何が彼の怒りを買ったのか分からない。
疑問符を浮かべながらも瞬きを繰り返す。ぜぇぜぇと荒い息を浮かべる相手は、手を胸元に引き戻し悔しそうに唇を噛んだ。
蒼い瞳は力を込めすぎているのか充血し始めている。幾重にもわたった細い血管の糸が痛々しい。
足元に集っていた人形達も驚きを隠せない。
幾体かの人形達はキュールの身体によじよじと登り、どうしたの? というように彼を慰める。どこから現れたのか分からないくらい沢山の『子供達』が私達二人を囲む。
しまった、というようにキュールは口元を抑える。
けれど時はすでに遅し。
訂正出来ない出来事に対して彼はただ口を閉ざし続けた。
私も言葉を発せなくて黙し続ける。シン……っと静まり返ってしまい、耳に痛いほどの静寂が訪れる。
その沈黙を破ったのは、相手の足音。
気が付いた瞬間にはもう彼は居なくなっていた。
逃げられたと思った。子供達も突然の行動に反応出来なくて、沢山取り残されてしまう。はっと意識を戻し、慌てて追いかけるが当然その短い手足では追いつけるわけもない。
残された彼らは、やがて物事の原因であるもの――――つまり私をぎろりと睨んだ。
しかも一斉に。
「……ご機嫌は斜めのようですね」
じりじりと距離をつめてくる人形達。
私は笑顔が引き攣るのを感じた。
+++++
―― 彼をモチーフにした人形を一体作りなさい。
そう『師』から告げられたのは何日前だっただろうか。
今となってはもう何ヶ月も前のことのように感じてしまう。いや、いっそのこと本当に何ヶ月も過ぎてしまったのではないだろうか。
この屋敷での時間はあまりにもゆっくりすぎて自分の中の時間感覚と合わない。
与えられた一階の部屋、その窓枠に腰掛けながら私は外を眺め見た。見える視界の中にはキュールが居て、彼は今庭に咲き乱れた花々に水をやっていた。
頬に手を当てる。
まだじんわりと痛みが引かないその場所は熱すら持っている。平手打ちを喰らったその皮膚は引き攣ってしまったかのようだ。ついでにあの後怒り狂った人形達に殴られたり蹴られたりした部分も。
未だに叩かれた理由が分からない私は仕方なく瞼を引き下ろし、先ほどの出来事を反芻してみた。
私は人形のモチーフに選ばれた彼の後を付いて回っていた。
不機嫌を露にしつつも、彼は特に私を引き剥がすこともなく、されるがままだった。二人分の食事を作っている間も、部屋を掃除している間も、人形達にせがまれて衣装を作っている間も特に何もなかったと記憶している。
黒い髪の毛をどう表現しようか迷っていた。
あの蒼い目を何で作ろうか考えていた。
自分が思いつける最上の材料と組み合わせを必死に巡らして、ただ彼を見ていた。
ふぅっと息つきながら私はもう少し細かく記憶を巻き戻す。
大広間に行って人形達を囲みながら先日取り出した本を読んでいた。丁寧に読まれたその声に私も目を伏せながら物語に耽った。あまり近寄りすぎてはいけないだろうと思って距離を置いて腰を下ろしていたのを憶えている。
そして唐突に其れにたどり着いた。
人形達に絵本を読み聞かせる彼の様子に私が思わずぽろりと言った言葉。
「『まるで人形劇のようだ』」
その次の瞬間、彼は異常なまでに反応し手を振り上げたのだ。
思い出した途端頬の痛みが復活する。あと数刻もすればあっさり消えてしまうだろうと思われる肌の感覚。
瞼を開けばやはり其処には彼が居た。
人形達に囲まれながら楽しそうに生きる。
人形師に愛されながら、彼は毎日を生きていた。
笑いながら。
笑いながら。
笑いながら。
彼を見るといつも幼い頃抱きしめていた黒髪の人形を思い出す。どうもイメージがダブってしまって仕方がない。私はぽりぽりと頭をかきながら、製作途中の人形に手を伸ばした。
一応全身を作り上げてみた一体の人形。
植毛したばかりでカットされていない髪の毛がばらばらと手の中に散る。そろそろ鋏を入れて整えてやらなければと思った。だが髪型は人形としても大きなポイントとなるので、調子がいい時に切りたい。私はやれやれと自分に呆れた。
『約束の人形』には大きさも性別も何も指定されなかった。
その期日すら押し付けられなかった。けれど屋敷を出てから数日経った今、自分の立場も考えるとそろそろ決断しなければいけない。
出来るだけ細かく自分のイメージのままに作ってやろうと集中し始める。少なくとも自分が見た『彼』はこういうものだと言える様な――――。
「うわ、ぶっさいく」
ひょいっと人形を取り上げられ、そのまま後ろに投げられる。
草むらの中に消えた人形の軌跡は綺麗な楕円。私は自分の身体に影を作っている彼を見上げた。
「見るに耐えれないというほどじゃないと思うんですが……具体的にはどの部分が貴方の気に障らないのでしょう?」
「全て」
「言い切りましたね」
「言い切りますよ。本当にそう思ったので」
ふんっと腕を組みながら彼は言う。
私は困ったように眉を寄せ、不躾ながら窓から外へと足を伸ばす。キュールは足を一歩下げ、道を開く。私は先ほど投げ飛ばされた人形を追いかけ、草むらに足を踏み入れた。
若干土に塗れた其れを見つけて拾い上げる。
正面まで持ち上げ、遠い景色となったキュールと並べてそんなにも似ていないだろうかと見比べてみる。
確かに私の人形は『自ら』動くことはないし、技術力も『師』には及ばないだろう。
けれど不器用ではないと思うのだ。自分なりに工夫を凝らして造形しているし、材料も拘っている。だからたった一言で散らされても困るのだ。
指摘されれば改善の余地もあるものの、ただアバウトに全てと言われてはどこを直せば良いのか分からない。
いっそのこと人形作りの全てを放り投げてしまおうか。
それもまた一興かと考えながら部屋へと足を向ける。未だ窓の手前から退かないキュールを一瞥して、一礼した。
きちんと扉から中に戻ろうと玄関の方へと方向を変える。だが、足が止まった。いや、正しく言うと『止められてしまった』。
「お待ちなさい。もう一回その子を見せてください」
「? 今貴方が捨てたものですよ?」
「良いから」
私のシャツから指を外し、自分の襟元に結わえられていた赤いリボンタイを外す。
人形を渡すと彼はリボンを人形の首にきゅっと結んだ。その行動の意味が全く分からなくて首を傾げる。彼はそのまま私に突き返した。
どこか楽しそうにするので私は思わず問う。
「何をしたんです?」
「さあ、呪いかもしれないし」
「で、具体的にはこの子に何が『掛かった』んです?」
リボンを結ばれただけで他は何も変わらないように見える。
けれど彼は明らかに態度が違う。手の中でぐたりと姿態を横たえる人形をじっくり観察しながら答えを探すがやはりリボン以外何も変わっていない。
お手上げというように両手を持ち上げると彼は笑って答えを教えてくれた。
「『捨てられない魔法』」
それは悪戯が成功した子供の満面の笑顔で。
白い歯を剥き出しにして微笑み、声を高いものに変えて答えてくれた。
自分の用事は済んだとばかりに去っていく彼の背中を視線で追いかける。人形達もぱたぱたと彼の足跡を追った。
久しぶりに自分の視界の中から彼は消え、やがて私は一人その場に取り残される。
さらりとリボンタイが掌を擽る。
髪型を整えていないぼさぼさの髪。
まだ瞳を埋め込んでいない顔面。
無表情すらも出来ない未完成のお人形。
その首を彩るリボンタイだけは綺麗に風に遊ばれて揺れる。
やられた、と思った。
気に入らないといわれた瞬間には捨ててしまおうとすら思った人形なのに、今はリボンを結わえられた理由を追い求めてしまっている。
室内を眺めれば失敗作の山が見える。
なのに、それよりも汚らしい人形が『特別』に見え始めた。
「なるほど、もうこの子は捨てられない」
+++++
( 強 い て 言 う な ら ば そ れ は 『 愛 着 』 で )
「おやおや。異常の物語は強制終了させられるかもしれないねぇ。ねえ、お兄様。ねえ、お姉様。彼らの接触は結局何を孕んでいるんだい?」
「『綺麗事の海』だろ」
「まさに」
屋敷の屋根の上に三人で降り立ち、下方を見やる。
物語に含まれない彼らは決して二人に気付かれることはないだろう。エイダは子供達二人の会話にぴりぴりと神経を張る。
その様子を闇色の子供が嗤った。
「人形の完成を楽しみにしてなよ、お姉様。きっとそれは楽しい悪夢のENDだよ、お兄様。伯爵が感じ取った彼のお人形はきっと面白い要素を孕んでくれる」
弄くっていた人形をぽんっと投げる。
エイダはそれを両手で受け取り、模倣された其れにどう反応していいか分からずにいた。フィアは目を瞑り、自分の世界から視界を閉ざす。
「ねえ、お父様。僕は彼の人形になど興味ないけれど、『彼を模した人形』ならば少々興味がある。ねえ、お兄様。もう貴方もあれに気付いたんじゃないかい?」
「……別にそれは大した問題じゃない」
「確かにね。けれど――――」
カミサマは空を見た。
曇りなき空を見た。
神様は地面を見た。
誰もいなくなった庭を見ていた。
「『操り糸』はとっくの昔に掛けられた。ならばその結末はもう予想されるべきではないかな?」
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