( そ れ は 綺 麗 な 悪 魔 の 『  魔  法  』 )


 彼が口をきいてくれなくなってからどれくらい経っただろうか。


「お願いがあるのですが」
「……」
「そう警戒しなくても大丈夫。今回のお願い事は先日のものよりも怒らせない自信があります」
「…………」
「その目は信じてませんね?」


 人形達が間に入って威嚇する。
 私はそんな彼らを全く気にも留めず、話しかけた。


 キュールの手の中には絵本が握られ左右に開かれていた。其処に書かれている絵は仮面を付けた人形師と悪魔のもの。
 内容は知らない。
 正しく言えば彼が人形たちに読み聞かせていたその部分のみしか知らない。


 <闇色のヴァンパイア>を愛した<悪魔の人形師>が嘆く。
 「何故、私を置いて眠りにつくのか」と。
 彼らを別ったのは一つの呪い。どこにでもありそうな物語の転機。同種でありながら異端として見られた<闇色のヴァンパイア>は、吸血鬼の一族から眠りにつく呪いを吐かれたのだ。
 嘆く。
 喚く。
 愛していると、何故置いていくのかと。
 答える。
 囁く。
 誰かを愛せと、自分以外を見てしまえと。
 けれど二人は誓い合った。


 目覚めたその時は決して愛を違えないように。


 なるほど。
 聞いてみれば確かにその話は私の『始祖』の話のようにも思えた。けれど愛し合った恋人達の話ならば同じような結末にたどり着いても可笑しくないのではないだろうか。


 別れてしまうというなら、探しに行く。
 それでも引き裂くというのならしがらみのない世界で幸せに。
 ――――『今』は無理だから、『次』こそは。



 その物語を読む声は時々喉を渇きを示すかのように掠れる。そんな時は子供達が素早くお茶を持ってきて彼に捧げた。
 人形達に好かれているのが良く分かる。
 少なくとも私がこの屋敷を訪れてから彼が子供達に囲まれていない時の方が珍しい。


 そんな和やかな時間。
 ある日の昼下がりに私は進言した。


「『お願い事』です。もちろん拒否権はあります」
「……」
「水はともかく、お茶は熱いので掛けるのは勘弁して頂きたいところなのですが」
「…………」
「本当に些細な願い事ですよ。その髪の毛をほんの少し頂きたいのです。目的は人形の髪の毛に使用するというところで」


 それ以外は何もしないと両手を顔の横に上げた。
 彼はそれはそれは不愉快そうにじろじろと見た後、首を振る。NOだ。私は「残念」と肩を竦めた。
 別に断られてもまた別の材料を探せばいいと最初から思っていた。ただ、一番最適なものは彼自身なのだろうと、そう思っただけ。


 髪の毛を切り揃えられた人形をテーブルの上に置く。
 そろそろ服を作ってやらなければ可哀想かもしれない。未だ素体のまま放置されているその子を『師』によく似た子供達が囲む。何処からか小さな――――彼らにとってはとても大きな布を引っ張り出して、そのままくるくる巻いた。
 即席のドレスを纏った人形。
 有難うとお礼を言うと、あっかんべーをされてしまった。


 人形を手に抱き上げて突起した唇に触れてみる。
 僅かに赤みを入れたその部分は素材の都合上人の皮膚よりも硬い。やはり作り直すべきだろうか。
 新しい型を取って、新しい髪を植え付け、今よりももっと透明度の高い宝石を瞳にして。


 首に巻かれた赤リボンを引く。
 絡ませただけのそれは簡単に解けるだろう。だがあとわずかというところで私はまた止められる――――彼の手によって。


「何か――――」


 問題でも? と言うつもりだった。
 だが開いた口は掌によって覆いかぶされ、そのまま声は喉の奥に閉じ込められる。
 随分細い指だと思った。
 随分弱い骨だと思った。
 随分冷えた手だと思った。


「自分の髪でも使っては如何? 『人形』(ドール)伯爵」


 じゃきっと耳元で何かが切られる音がした。
 それが彼の手によるものだと理解するまで若干時間を要した。元々そう長くもない髪の毛が一房はらりと零れ落ちる。仕組まれたかのように未完成の人形の上に落ち、子供達が飛びのいた。


 蒼い瞳が自分を映し、黒い瞳が彼を映す。
 随分攻撃的な人物だと今更ながら思う。
 黒い髪の毛が光を吸って僅かに煌く。自分とはまた違った質の其れは結構傷みが激しいように見える。


 手首を掴み取りねじ上げれば、素早く腕を引かれる。
 だがそれよりも前に私は腰を引き寄せ、ダンスをする男女のように距離を詰めた。顔を寄せ、互いの呼吸すら感じ取れる場所まで近付く。服に引っかかっていた髪の毛がはらりと床に零れ落ちた。


「中々悪戯好きのようですね」
「いいえ、これは悪戯ではありません」
「どちらでも結構。髪の毛を切られた事実は変わりませんしね。どうしてくれるんですか、伸ばすの大変なんですよ」
「丸刈りにしてはどうです? きっと似合いますよ」
「交換として貴方の髪の毛を頂きたいのですが?」
「構いませんよ。さあ、その鋏でお切りなさい」


 先ほどと正反対の解答と共に私の手に鋏を握らせた。
 彼は自身の手を添えたまま髪の毛へと持ち上げた。
 鉄の刃が食い込み折り重なった部分からどんどん髪の毛を切っていく。きちんと伝わってくる断髪の感触が誤魔化しではないことを教えてくれた。


 散っていく髪の毛達は自分のものの上へ。
 途中で抵抗を始めるかと思いきや、意外にも彼は最後まで大人しく切られていた。深く長く切られたその部分は直線を描く。瞬きを数回した後、彼はまたもや言う。


「綺麗事の海に囚われてますよ」
「先日もその『きれいごとのうみ』とやらをお聞きしましたが、結局は何を指し示しているというのでしょう」
「貴方は俺と子供達に『人形劇のようだ』と言ったじゃないですか」
「ああ、やはりそれを根にもたれていたのですね。謝りましょうか?」
「いいえ、結構です。貴方が本気で謝罪しようと思っているとは思えませんから」


 身体を屈めて切ったばかりの髪の毛を掴み取り、私の胸に押し付ける。
 はらりはらはらと散った髪の毛を受け取れば、彼は鋏を奪い取った。その二本の刃は閉じられ、今は一本の鋭いナイフのようになった鋏。その切っ先を指先に押し当てた。


「何が出ると思います?」
「血でしょう」
「なるほど、それは確かに『正解』でしょう」
「正解、ね。ありがたくいただくべき言葉だと思っておきますよ」
「型に嵌りすぎて笑えますよ、ドーリィ」
「お人形(ドーリィ)?」
「いっそのこと貴方自身が人形のふりでもすりゃ完璧。――――ねえ、血が出るという解答は、誰かを傷つけたことがあるから?」


 ふふっと空気が動く。
 舌が唇を嘗め、唾液を含んだその場所は艶やかにぷっくりと光を吸い上げた。情夫のように微笑む相手の頬に手を添える。
 見た目よりも皮膚と骨の隙間が薄く強張っていた。硬い感触を受けながら親指を押印するようにしながら唇をなぞりあげる。


 ほんのり開かれた唇に指先を差し入れれば、柔らかく噛まれた。


 人形よりもなまやかしく、人よりも毒性を孕む子供。
 睫が長く瞼を覆う。銜えた指をそのままにして舌を這わせてきた。くすぐったくて親指を上顎に押し当てれば、震えられる。随分情欲的な光景だなとあくまで客観的に私はそれらを見ていた。


 かつんっと爪が何かに触れる。
 普段隠れている其れは、牙。気が付いた瞬間、ぴりっとした傷みとともに其れが食い込み、やがて麻痺した。ちゅるっと吸い上げられ、熱い息とともに指が吐き出される。若干唾液の糸を引きながらも私は手を引き抜いた。


 またしてもにぃっと悪戯っ子の笑顔が浮かぶ。
 私は粘ついた親指を人差し指と擦り合わせ、次に傷口からぷくりと膨らんだ血の半円を彼の唇に塗りたくった。
 闇のような漆黒の髪、病的なまでに雪のように白い肌、血のように赤い唇。
 スノーホワイトを思い出しながら、私は其れを思う存分嬲った。


 彼は抵抗しなかった。
 頬から首筋へと張った掌が私の元に戻ってくるまで一度も抵抗らしい抵抗をしなかった。
 腕を組み、堂々とその場に立ちながら私の動作を静かに感じ取っていた。


 私よりも幼くみえるのに私よりも年齢を重ねた『化け物』。
 清らかな子供に見えるかと思えば、悪女のような艶やかさを見せる。男も女もどうでもよくなるような性別の危うさは一体どこから出てくるのだろう。
 けれどその両面性が彼を一層『人形』のように見せていることに間違いはなかった。


 いつの間にか下顎に溜めていた唾を飲み込む。
 彼の手が私の喉仏を押すように触れた。真っ赤に熟れた唇が近寄ってくる。一つの生き物のように舌が蠢き、消毒するかのように唾液を塗った。指先に感じたものよりもより近く、そして深く意識を浸透する痛覚。


「血の契約を宿した憎たらしい『ガキ』は自分の意思がなくてとても扱いやすい。そろそろ人形作りも諦めては如何?」
「諦めてもいいのですが、最低でも一体を作り上げることは『約束』なので」


 そっと頬を持ち上げれば、ぷはっと息を吹きかけられる。
 水の中から陸上へあがったかのように彼は呼吸を荒げた。後に残ったのはじくじくと痛む首筋。
 くしゃくしゃになった髪の毛を指で遊びながら同時に肌を撫でくる。捕らえられた顔は瞼を下ろすと更に幼く見えた。


「綺麗事の海に沈んだまま死ね」
「それはなんていう物語になるんでしょうね」
「いっだー!!」


 仕返しとばかりに鼻の頭を噛めば、素早く人形達から腰を蹴り飛ばされた。



+++++



( 触 れ た 闇 の 先 に 零 れ た 『  赤  』 )


「めーんどいことになってんなー」


 MZDが間延びした声で言う。
 屋根にしゃがみ込み、股の間から手をふらふらと揺らしながら彼は『其れ』を見ていた。MZDの後ろでは影神のフラッグが具現化し同じように上から眺め見た。


「見事に面倒なことになってますね。修正しますか?」
「いや、修正はべっつにいーわ。どうせこのまま進んでも同じになるからな」
「それはどういう意味ですか?」
「エイダはまだちょっと分からんかなー」
「……どーせこの中で一番未熟者ですよー」
「膨れんな膨れんな。こんなもんは慣れだ」


 けけけっと奇妙な笑い方をしながらMZDが手を外に向けて振る。
 ぷぅっと頬を膨らませたエイダの肩をフラッグが叩く。MZDはエイダの手の中に握りこまれた人形を指差した。
 反射的に皆エイダの手元に視線を向けた。


「人形師がそろそろ本格的に登場するぜ。お前は綺麗事の海に巻き込まれんよう、しっかり地面に根を張ってろ」






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