( 重 な る 『  傷  痕  』 の 行 方 )


 思えばどこから始まった喜劇だったのか。
 二人の密会を覗いてから、キュールは私との距離を徐々に広げて行った。別に最初から友人関係ではなかったし、食事も人形達が運んできたものを食せばよいだけのこと。
 私も『モチーフ』の件がなければ彼に付きまとう理由もなかった。


 だから最後のお願い事だった。


「お願いがあるのですが」
「……」
「この子の皮膚をもう少し弄ってみたいのです。そのために協力して頂きたい」
「…………」
「一度だけで結構です。その『一度』が済めば私は貴方に二度と触れない、声も掛けないとお約束いたしましょう。貴方にとっても付きまとわれる理由がなくなって良いでしょう?」
「………………」


 あからさまに嫌な顔をされる。
 拒絶の言葉を吐かれる前に人形を突き出し、先日傷つけて遊んだばかりの作り物の背中を見せた。
 塞がれることのない一筋の傷。
 彼は即座に私から人形を奪い取り、傷に埋め込まれていたリボンを抜き取った。彼は手を動かしつつも無感情な人形のように口を閉ざし続ける。
 私は手首を掴んで捻る。
 痛みに顔を顰めながらも、彼は同時に私を睨んだ。


「一度だけ、貴方の身体を見たいのです」


 返答はたった一度の――――頷き。
 その動きに満足した私は婦人にするように手を差し出す。すると容赦なく掌を叩かれ、ぷいっと顔を背けられた。



+++++



 人形もいない室内で二人きりになるということはこれが初めてだった。


 私は私室に彼を招く。
 人払いもとい人形払いをしてからは始終無言で過ごす。けれど普段よりも近付いた身体が互いの存在を確かなものにする。
 僅かに早まった息遣いが相手の緊張を知らせた。


「背中を見せてもらえますか。羽に触れてみたいのです」
「……」
「それから傷痕に」


 ちっと舌打ちをしつつも素直に背を向ける。
 この時間が済めばもう近付かないと約束した後、彼は比較的自分の思い通りに動いてくれた。笑えと言えばいつも通り作った笑顔を見せてくれるし、手を握れと言えば握手すらしてくれる。


 少々物足りなさを感じつつも私は素直に感触を確かめていく。
 円テーブルの上に置いた黒髪人形との相違を確認し、束ねてあった紙に思いつくままにメモを取った。


 覗き見をしてしまったあの時、吸った息を吐き出す程度の短い時間でも焼きついたその部分――――背中の傷に私は触れていた。
 指先を滑らせれば気持ち悪いのか鳥肌が立つ。生き物特有の生理現象を面白く観察していると、居心地の悪さに彼が身を捩らせた。


 右の肩甲骨から下に続く爛れた皮膚――――ケロイドの痕。
 ふむっと顎に手を沿えて息を吐く。重度の火傷を負ったらしいその皮膚を指で弾けば、無理矢理首を捻って彼が睨んでくる。
 確かに『傷持ち』であれば、人前で肌を晒したくはないだろう。彼の容姿を考えると到底似合わぬその痕は嘲笑の対象にしかならないと容易に推測出来た。


 人というものは『異端』を嫌う。
 異なった性質のものを過剰なまでに怯える。この世界もそうであると以前彼との会話で知った。
 人間達が異種族を狩る時代であると、その時の彼は酷く皮肉な笑みを浮かべていた気がする。


 だが『其れ』と『私』とは関係ないのだ。


 知りたいのは人形のための『情報』であって、彼の外見がどれだけ傷付こうが、彼がどれだけ恐怖を感じて過ごしてきたかなんてどうでもいいのだ。
 必要なのは『人形』。
 それは互いに承知している。だから私達は一緒の屋敷に存在することが出来るのだ。


 頬をほんのり赤らめて唇を噛む彼が何を感じていようが、情報を得る以外の目的など到底必要ない。
 頭の中で自分自身にそう語りかけながら、目の前の皮膚を抓ってみる。悲鳴のような掠れた息が吐かれた。


 肉付きがいいとは言いがたいが、決してやせ細っているわけではない。
 筋肉と皮膚の伸び具合や接合部の動作を確認しながら、ペンを走らせる。メモ紙はすでに三枚目だ。これでも足りないと感じている自分に驚きを隠せない。
 人形作りはあくまで手持ち無沙汰な自分を慰めるためのものであったはず。
 だが、今の自分は人形の完成を狂ったように求めていた。


「失礼。首を上げてもらえますか」


 今度は正面から顎から首に掛けての骨の動きを調べてみようと彼の身体を回す。
 目の前に立つ彼は小刻みに震えていた。一向に動こうとせず固まり続ける彼を覗き込む。前髪が重たく彼の顔半分を隠していた。


 まだ上半身だけしか脱いでもらっていないのだが、体調でも崩したのだろうか。
 組んだ腕は体温をあげようと必死に握り締めているようにも見えた。静止し続ける彼に手を伸ばし、その前髪をさらりとかきあげる。


「どうし――――」
「ッ……!」


 悲鳴。
 と。


 叩かれた手は勢い良く下に落ちた。
 瞼が閉じられるほんの一瞬、蒼い瞳孔がぐるりと上を向く。殆ど白に近い状態まで引き上げた目は僅かに血の色が走っていた。


 痙攣に近いものだと察し、私は取りあえずベッドに連れて行こうと彼を抱き上げた。
 寝転がす頃には彼の身体からは力がなくなり、だらりと四肢が垂れ下がっていた。瞼を下ろした彼の顔色は蒼白に近い状態まで陥っている。何か患っていたのだろうかと考えながら扉へと足を向かわせた。


 かしゅ。
 靴が絨毯を掠る。
 とん。
 踵が絨毯を踏みつける。
 ……。
 私は動きを止めた。


―― 何処へ行くのです?


 目の前に現れたのは黒の『師』、ジズ。
 私は無意識のうちにほぅっと胸を撫で下ろす。丁度呼びに行こうと思ったのだと続けると、師は優しく微笑んでくれた。平面化された顔に取り付けられた仮面もまた笑顔を宿しているのに気が付く。


 持ち上がった指先が後方を示す。
 私は振り返った。傍にいたはずの『師』が彼を抱きしめているのが見えた。弛緩したままの身体をベッドの上で抱きとめ、キュールの顔を掌に乗せる。
 人形師の唇が動き、囁き声が耳に届いた。


―― 彼は耐えられなかった。


 距離を開けているはずなのに、すぐ傍にいるような。
 『師』がくいっと、指を内側に折り込むように私を招く。その仕草は何かを引いているようにも見えた。


―― こっちに来なさい。


 逆らう意味も思い浮かばず元の道を辿った。
 近付いてきた私に説明は続く。


―― 彼が絶えず誤魔化していたのは、『静かさ』。
 人形達に始終囲まれていた彼は無音になることを極端に恐れていた。


 人形師が触れる唇は青く、やはり痙攣していた。
 吐き出される息はとても細かく浅い。熱を出した時の自分に似ていると思う。震えながらも持ち上げられた手は抱きしめている『師』を求めるように動いた。


 彼が無音に怯えるなどということを知る由もない。
 また知る気もない。師の懐から取り出された小型の銃はかちゃりと金属特有の音を鳴らして私へと突きつけられた。
 一連の動作がただ無感情に流れていく。


―― 無意識とはいえ、キュールさんを苛めましたね?


 私は避ける気もなく、銃口を眺め見る。
 迷いなく引き金を引く『師』に私は誰かを重ねていた。


 それはキュールが読み聞かせていたあの『絵本』の中の人形師じゃなかったか。
 それは私の一族の『始祖』の微笑みじゃなかったか。
 それはいずれ浮かべる『私自身』の笑顔じゃないのか。


 流れてきた水の動きが変わる。
 遠い過去と遠い未来。
 それは現在のない自分が視たメビウスの切れ端。掴み取ることが出来なかった手先が『綺麗事の海』に堕ちていく。


 ―― ダンッ! っと音が響いた瞬間、反射的に目を閉じる。
 何故かその時、自分の尻尾を飲み込む間抜けな蛇を思い出していた。



+++++



( 混 乱 し た 人 形 の 『  手  足  』 )



 人形が欲しいと思っていた。
 (理想の姿をした)
 人形が欲しいと思っていた。
 (抱きしめてくれる)
 人形が欲しいと思っていた。
 (出来るならどこまでも自分好みの)


 掌サイズの人形でもよかった。
 その点でいうならば人形達に囲まれた彼はとても理想で。


 幼い頃から大事にしていた人形があった。
 光の環を描く漆黒の髪を時々撫でるのが好きだった。ぱっちりとした瞼から覗く作り物の蒼い目を見ているのが好きだった。人形は愛されることが基本の無機物だ。愛されることがないならせめて苛立ちや不安を解消してやればいい。どうせ感覚など繋がれてやしない。何も感じやしない。
 それがヒトと同じ姿をしたもの――――ヒトガタ。



―― 貴方が求めたのは『  こ  れ  』でしょう?


 瞼を開けば足元に転がっていたのは死体だった。
 弾は自分ではなく、『キュール』を貫いて転がる。漆黒の瞳が淡い月光を反射させている部屋の中を観察しようと執拗に動いた。汗ばんだ掌を握り込み、ごくりと唾を飲む。緊張しているのか、心臓の音が酷く速くなっているのが分かった。


 人形が欲しかった。
 (何も物を言わず傍にいてくれる)
 人形が欲しかった。
 (都合のいい時に抱きしめられる)
 人形が欲しかった。
 (肯定も否定もしてくれる様な)


 空気に晒されて冷えた体温が同時に心を冷やす。
 耳に吹き込まれた言葉に否定出来ない自分がいた。囁き込んでくるのは笑顔の仮面を前面に押し出してあくまで『善人面』をする『私』。
 もう一度自分は自身の正面、ジズの手の中で倒れ込んでいる其れを見た。


 そうか、自分はこれが欲しかったのか。


 糸を張り巡らせたお人形。
 自分の思い通りに出来る何もかも『理想』の――――。


 いつの間にか始まって、いつの間にか終わる人形劇。
 『綺麗事の海』が私をその水底に引きずり込んだ。息をすることも叶わず、唇からはただ泡が上がっていく。


 呼吸を締める赤い糸は人形の身体から私の方へと伸びてくる。其れを踏めばぴちゃりと音がした。
 なるほど、確かに傷付けば血が溢れ出るらしい。


 不意に掌にずしりと重みのある銃を乗せられた。
 その瞬間、私は何かに操られるままに手を持ち上げる。かちゃりと音を鳴らしてこめかみに押し付けるのは無機質な金属。一度発射されて温まったその筒が妙に生々しく感じられた。


 笑う人影。
 (ああ、早く終わらせてしまいたい)
 笑う自分。
 (ああ、もっと早くこうすればよかった)
 笑う人形。
 (ああ、もっと早く其れに気付けたならば)


 それはなんてつごうのいいきれいな、――――。


 ―――― ダンッ。


 それは赤く染まった箱庭を舞台にした人形劇の終盤。
 躊躇いなく引き金を引く私を、『彼』が嘲笑って見てた。


「嘘吐き伯爵。貴方が欲しかったのは、師ではなく『死』でしょう?」


 その声は酷く遠いように思えた。






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