それはオレが小さかった頃の話さ。
 お前さまがオレを認識する前の――僅か過去のやり取り。


 ―― 恐れないで、怯えないで。


 我らが創世神の息子と女神様と我ら星々の母の話を始めよう。



視線の先には君がいた(視覚)





「ベラ、貴方に会わせたい子がいるの」


 その言葉に光を失いかけているオレの瞳が宇宙へと向いた。
 声は柔らかく耳に届き、岩場に腰掛けていたオレは立ち上がる。そして呼びかけてきた人物――我ら星々の母であるフォトンの気配がある方へと唇を開いた。
 彼女の姿はあまりにも大きすぎて、十字星の一つである俺には声の響きと気配しか感じられないがそれで十分だ。


「この広大なる宇宙の母よ。それはいつも独りでいるオレへの同情か?」
「いいえ、私の友人からのお願い事なの」
「友人……?」
「そう、とても愛らしい女神様。彼女の息子に同じ年頃のお友達が欲しいんですって」


 ふふっと柔らかく笑う気配。
 ならば尚更オレには不適合だろうと告げるも、母はその首をゆるりと振った。


「それを判断するのは私ではなくて貴方ではあるけれど、まだ逢わずにその結論を出すのは早いのではなくて?」
「……だがこんな辺境になど来れるものなのか」
「あら、そこは大丈夫よ。貴方が逢いに行ってもいいし、向こうが逢いに来る事だってとっても簡単なの」


 広大なる宇宙の母がそういうのであれば、それは事実であるのだろう。
 オレは岩場に腰を再び下ろして淡い光を見上げた。既に物体の形を捉えられずにいる壊れかけた瞳ではあるが、まだ……まだそれは完全に闇には染まっていない。
 だが長時間開いていると目が疲れる事には違いなく、オレは母より与えられた目隠し用の布地を改めて装着し、闇へと視界を埋める。


 右足を持ち上げて膝の上に頭を寄せれば長く伸びた髪の毛がしゃらりと耳を撫で、肩から足の方へと流れていく。
 切るという行為すら難しい状況故にそのままにしてあるが、以前纏め上げた髪の毛にナイフを当ててばっさりと切った時は、それはもう多大に母に嘆かれたので仕方なく伸ばしたままだ。


 衣服も、髪飾りも、まとめた髪の毛も全て母からの贈り物。
 それをオレはもう見ることは出来ないが、母が「似合っているわ」と言う声が心に優しく響くので素直に着せ替え人形な行為を受け入れている。
 それに子供は親の着せ替え人形になりやすいと……どこぞから聞こえてきた声も言っていた事だ。


「フォトン……母がそう言うのであれば」
「ふふ、いい子ね。ベラ。きっととっても彼女も彼も喜ぶわ」


 たまには辺境の地に迷い込む迷子ではなく、目的を持ってやってくる人物との会話も楽しいのかもしれない。
 オレはそう考えながら布の下で瞼を引き下ろした。



+++++



 ――そして、その対面の時。


「うわっ、ちょ、そこどいてええええ!!」


 突然上方から聞こえる叫び声。
 引力に従うようにひゅるりりりと空気を裂く音が耳に届き、オレは反射的に一歩後方へと足を下げる。だが位置が悪かったのか、ひらひらと何分割された自分のジャケットの裾が一つぐっと引っ張られた。


「ッ――!?」
「ぎゃ!」


 そのまま耐え切れずオレは相手の上に背中から落ちるかのように後方へと倒れてしまう。
 身体の下から悲鳴が上がる。伸し掛かった体重に加え速度もあるのだから潰された相手としても相当なダメージが入ったはずだ。


「あらあら、なんてことかしら」
「母よ……これが例の子供か」
「ふふ」


 倒れ込んだ姿のまま宇宙という空へと問えば、否定の言葉が返ってこなかったので肯定と判断する。
 オレはやれやれと起き上がると己のジャケットを手繰り寄せ、踏んだか掴んだか分からない子供の存在を確かめる。「いてて」と声を出す子供の肩に触れて確認し、自分とそう変わらない年齢の子であることを何となく感じ取る。
 年は八から十歳程度……だろうか。
 どちらにしてもオレの方が少々上かもしれない。
 何にしてもオレの目では大きさこそ手で判断出来てもその容姿までは見ることは叶わないのだが。


「お前がベラ!?」


 だがオレが退いた事で起き上がる事が出来るようになった子は勢いよく起き上がる。
 肩にかけていたオレの手はその反動で外れ、弾かれた。仕方なくその腕を組んで一度肯定の頷きをすると、「やったー!! ちゃんと自分で飛べた!」と高い音程の子供の声が星に響く。
 ずいぶんと明るい子供だと判断するが、むしろオレが淡々としているからそう感じるのか。今まで出会った迷い子達は数少ないから比較する対象がそもそも少ない事実に額に思わず手をかけた。


「俺、フィアレス! そしてこっちが俺の母さん」


 急に右手が相手の両手で捕まれ、ぶんぶんっと肩が外れるんじゃないかというほど上下に振られた。
 生身の手ではなく布地越しの握手……と言っていいのか。振られる度に反動的に当たるのはどうやら袖の一部らしいのだが、俺には細かくは分からない。


 だがフォトン――母の友人の息子に失礼があってはならないと思いつつも、急にパーソナルスペースを詰められてしまった事に対して過度に身体が硬直する。
 『緊張』と言い換えれば分かりやすいのかもしれないが、その固まり具合に正面の相手の方が察したらしく、両手を離してくれた。
 ほうっと息を吐き出しながら両目を覆っている布地に無意識に触れる。


「うわ、ごめんな! 俺普段家族以外とほとんど接触しないから……」
―― 駄目よ、フィアレス。びっくりさせちゃったわ。
「はーい……」
―― こんにちは、ベラさん。
  友人の息子たる星――貴方と出会えて嬉しいわ。


 一方は聴覚で捉える音。
 だが一方は直接脳内に響き渡る柔らかなソプラノだった。


 母さんと子供が言っていたのだから女性の声はその者なのだろう。
 しかしフォトンでさえ声を音として認識させてくれると言うのに、この差は何であると言うのか。ぎりっと奥歯を噛みしめる。


「お前目が見えないの?」


 率直に問われる。
 遠慮やオブラートに包むという言葉を知らぬ子どもの素直な疑問にまた母であろう人物が叱っていたが、子供は「なんで?」と返していた。
 なぜなぜなんで。
 成長途中の子供が沢山口にするその単語は胸に刺さるが、やがて母子のやり取り外に立っていたオレは目隠し布をそっと外すと僅かに認知できる『光』へと足を数歩進め、今度は自分の方からその腕と思われる細い場所を掴んだ。


 掴まれた子供はといえば俺とは対象的に警戒的ではなく、むしろ大人しくしている。
 はくっと唇を開くが音が出ない。上下に開いては空気を食むような形となるだけで喉の奥で言葉が引っかかって出てこない。
 ――……ああ、そうか、と思い当たる節にぶち当たる。


「そういえば誰かと真面目に対面するなんて初めてか……」
「んん?」
「こちら事だ。――オレの名はベラ。母たるフォトンの友人の息子……フィアレスとその母だったか。こんな辺境の星へと良く来たな。本当に何もないぞ」
「星があるじゃないか。フォトンという母もいる」
「それ以外に何があると?」
「声がある、ベラという存在がある。命灯る光もある」
「盲目状態の俺にはその光すらほぼ見えないが?」
「なら見せようか! 俺がお前にこの宇宙を!」


 すぅっと何かが持ち上げられる気配。
 それが子の腕だと触れた部分から知れば、俺はすっと掴んでいたそれを引いた。


 ――次の瞬間、瞼の裏側に『投影』される景色。


「!?」


 一人の子供がいた。
 手先の出ぬ袖の長い衣服は上から下へと宇宙の色から闇へと染め上げられており、彼はこの星の地よりわずかに浮いて存在していた。
 瞳の色は翡翠。
 笑う顔は愛らしいと評せるほどの無邪気さを乗せ、後方に控えていた光――揺らめくマゼンダ色の何者かへと話し掛けている。子供の足先から繋がるその揺らぎ。
 母……と呼ぶには二人はあまりにも似てなさ過ぎて違和感を覚えてしまう。


「フォトン」
「ここにいるわ」
「俺の目は既に光を感知するほどにしか機能していないはずだが――貴女の存在を視覚で感じられるこれはなにか」
「あら、神様からの贈り物ね。私の姿を貴方がみてくれるなんて……どれくらいぶりかしら」


 瞼を開くと景色は闇へ。
 瞼を下ろせばそこには宇宙を、目前の景色が映り込む。愛おしみの声が頭上から降ってきて、母は嬉しいとまた喜ぶ。
 遠くで彗星が流れていく。あれはどこで生まれ、そしてどこで燃え尽きる命か。オレには分からないし関与する気も全く無いが、目前の問題として存在するこの状況の理解に努めた。


 だがぷつり――とそれは唐突に消え去る。
 再びやってきたいつもと変わらぬ感覚に「あー!」と子供が叫んだ。


「やっぱり俺じゃ持続は出来ないか。父さんなら絶対にお前の目を治してくれるだろうに」
「お前さま、オレの目に何をした」
「何って……とーえい? そう、投影。お前の中に存在する視覚器官を少しだけ過敏にして繋いで、俺達が見えるようにしただけ」


 お前の目は完全には光を失っていないから、と最後に付け加えて子供は説明する。
 でも失敗したんだとも言葉は続いた。


「俺、父さんと同じ力が使えるけど父さんみたいに能力を上手に使えるわけじゃないから」
―― いつかきっと貴方も上手になるわ。
「本当に!?」
―― ええ、だって貴方はあの人の子ですもの。


 再び訪れる音だけの世界。
 優し気な母親が子供の成長を喜ぶ会話にオレには得られない何かを感じて思わず左手で右の肩を掴んだ。


―― 驚かせてごめんなさい。


 脳内に不意に流れる声色。
 母子の会話に更に重なる声。二重に届くそれ。
 ひくり、と緊張する身体は異常を感じ取り、唇を閉ざした。


―― 私は非力ゆえに声を出せないの。
  その代わりこうして対象者の中に声を届けることが出来ます。
  今回フォトンに息子のお友達が欲しいとお願いをしてみたけれど……。
  貴方を驚かせるつもりはなかったの。
  私の息子は幼さゆえに突拍子もない事をしてしまうから貴方を不快にさせたのであれば私から伝えます。


 構わない……と伝えようとして、ふと開こうとした唇を閉じる。
 母子の会話は続いているのに、こうしてオレと会話してくれている女性にどう返答していいのか迷ってしまった。だが「ふふ」っと笑う女性の声が響く。


―― 貴方が頭の中で応えてくれれば伝わるわ。


 それはなんて穏やかな声。
 母たる存在とはオレはフォトンしか知らないが、母親とはかくもこう柔らかなものなのか。それとも単純に性別の違いから生まれるものなのか。
 男で子供で盲目寸前のオレには理解しがたい境地だなと、改めて目隠しを装着した後腕を組んだ。






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