本物も偽物も他人の言霊。
 周囲の賞賛と憐憫。
 光と闇ではなく、オレが目立ちすぎた結果の話。


 騙されたお前さまが悪いのさ。
 そう言って痛む胸を摩る事を止めて、嗤い返す。


「ベラ、でも私は――」


 本物さまよ。
 邪気なく寄ってくるお前さまにオレの気持ちなどわかるまい。



その続きは聞きたくない(聴覚)





 恐れないで、怯えないで。
 怖がらなくても大丈夫よ。


 それがフィアレスによく伝えていた女神様のお言葉。
 フィアレス――『闇』であることに恐怖を抱くことが多いという神の子供。その子供に恐れるなと「fear・less」の言霊を落としたのだという。
 あれ以降フィアレスは時折オレに外界を見せてくれるようになったが、持続はやはり難しく十分も持たない。練習台にされているのかと言えば、「見える方がいいだろ!」と彼は言う。


 そして何度目かの逢瀬。
 結局俺の方から神の領域には踏み込まず、相手が一方的に遊びに来て母たち二人を交えて他愛のない会話をしては去っていくことの繰り返しだ。
 やがて『友人とは何か』と俺は疑問を抱くようになる。素直にフォトンに問えば「なにかしら?」と笑うだけで明確な答えなど与えてくれない。
 自ら学べという事かと、オレは肩を竦めた。


 そして今日も神の息子によってオレは<視界>を開かれる。
 既に慣れ始めている状況に息を吐くが、瞼を引き下ろして周囲を見回す。するとそこに見慣れぬ人物が存在していた。


 長い金髪が美しい女性。
 飾り気のない白のロングワンピースは足先まで流れ、袖もまた簡素な形。フリルなどを取り付ければもっと美麗な女性になりそうだと思わず感想を頭に浮かべるがそれが『誰』なのか分からず首を傾げた。
 フィアレスの傍にいるその女性は口元に手を当てて目を細める。
 俺は「なるほど」と女性の正体を見抜き、そして腕を組んだ。


「女神様とやら。お前さまの姿はそれが本物か」
―― 私は上手く形を保つことが困難なの。
  だから普段は影神としてフィアレスの傍にいるのが一番いいのよ。
「俺は母さんはどっちの姿も好きだよ」
―― でも貴方のお父さんはこっちの姿の方が好きなのよ。
「えー……父さんが母さんを影神にしたのに?」


 青い瞳は深い宇宙の色。
 いつものピンクの姿ではない様子に新鮮さを覚え、思わず凝視するように視線を向け続けていれば相手の方から微笑まれた。
 創世神に愛された麗しき女性。女神様。だが、その能力の弱さ故に夫の傍を離れ続ければ続けるほど本来の姿を中々保てないのだと説明されれば納得せざるを得ない。
 それならばもっと女神様とやらに神の力を与えてやればいいものを、とオレは髪の毛をくくった項へと手を這わす――が。


 瞬間――今日もピアノの音が聞こえる。


「ノーヴァ……ッ」
「どうしたの、ベラ。ノーヴァってだれ?」
「お前さまには関係ないさ」
「このピアノのひと?」


 俺を「偽十字」と評するのは誰か。
 奴を「南十字」と評するのは誰か。


 遠い遠い星の先、数々の<小さき者達>が住まう星にて俺と奴の区別が付かない愚かな馬鹿たちが付けた嘲笑にも似た単語に苦みを感じる。


―― 綺麗な旋律ね。


 女神は腰を地面へと降ろし足先を揃えて横へと流す。
 目を伏せて両手を耳へと添えれば彼女はそのピアノ音を聞く体勢へと入った。フィアレスもまた真似をするように耳に手をあてる。


 ああ、苛立つ。
 あの本物さまとやらは俺とほぼ変わらぬ形でありながら崇められ、称えられ、賞賛の声を受け取る。この音は特別製なのだから当然さ、と笑って自分に言ったのはいつくらい前だっただろうか。


「ベラは音楽出来る?」
「この目で何が出来ると思う」
「歌うとか、何か叩くとか」
「歌は好まないし、叩くにはこの目が邪魔をする」
「んー……でも勿体ない気がするんだよなー」


 フィアレスが周囲を見渡す。
 やがて平坦な場所へと身体を移動させれば距離を測った。


―― あら、上手に出来るかしら。
「女神よ。フィアレスは何をしようとしているんだ」
―― ちょっとした悪戯のような……勿体ないと思った事への負けず嫌いね。


 見ててね、と女神は最後に言いきってから、オレの頭を優しく撫でた。
 フォトンとは違う接触に些か戸惑いを覚えるも、オレはその撫でつけられる手を無理に外そうとは思わずフィアレスへと視線を向けた。
 相変わらず袖の長い服装にマフラーを巻き付けた格好ではあったが、特に暑くも寒くもない様子。


 やがて彼は上方へと空間を開くとふわふわと浮いた大きな物体――グランドピアノを重力なんて存在しないかのように指先一つで持って移動し、平坦な其処へと置いた。僅かに湧く土埃。子供の体躯よりも大きなそれを軽々と移動させたその力に思わずオレも口が開いたまま。


「これ叩いたら同じ曲聞ける?」
「オレには叩くことが出来ないと……」
「えー、出来るってー。だってベラ絶対音感の持ち主だもん」
「ぜったいおんかん?」
「そそ、父さんがそれだから。ベラも同じだと思うんだ」


 ピアノの前に椅子を置いて、手前にはカチコチと針がリズムを刻むなにかが置かれた。
 手招かれ、椅子に座るように示唆される。素直に椅子の前に立ちそこへと腰を下ろせば、長い袖を纏った子供に目隠し越しにそっと手を被せられた。


「自動演奏の開始。曲目は『バガテル第二十五番』!」


 そう子供がピアノへと命令すれば、鍵盤は自動的に沈み込み弦を叩く。
 流れゆく音楽はオレは聞いたことがないものではあるが、その音の流れは視覚と聴覚を確かに刺激する。


「これはね、もう少し先の未来から父さんが集めてきた曲なんだ。ある男がエリーゼだかテレーゼだか……字が汚すぎて読めないけれど女性に贈った曲だって!」
「恋愛曲か……」
「鍵盤に指を置いて、沈む先の音を追いかけて――ベラ、『お前なら出来る』」


 ひゅぅ――っと前方から風が襲い掛かる。
 こんな宇宙に風など……と考える間と共にオレの指先はピアノの上へと降り立っていた。導かれる神の息子の言葉に、指先は沈む鍵盤を追いかけていく。
 なんだこの感覚は。
 耳から入り、脳へと至る。そして手の筋へと落ちていき、弾く指先が音を生み出す。
 二重。僅かにずれていく音はそれでも確かに音楽であった。『ヤツ』が好きなピアノ旋律――オレが嫌いな……否、『ヤツ』の奏でる音が嫌いな音楽であった。


 五本の線の上に丸と棒のついた何かが乗っているイメージが流れ込み、それは規則性のある記号であることを即座に察した。
 それが『楽譜』と呼ばれるものであることをオレはまだ知らなかったが、後にとある筋からそれを聞くこととなる。


 だが初めて弾いたはずなのに何故オレがこれを叩ける?
 何故、何故、何故?
 神だから? その神に導かれているから初めてでも問題ないと?
 ――だがしかし、これは理解しがたいがなんだか心地よい気分だ。


 頭の中に流れゆく丸と棒を追いかけて、それに倣うように指先が躍る。
 走る走るメロディー。駆ける駆けるドレミファソラシド。両手を広げれば更に高音と低音が重なって別の何かを産み出す。
 これは波。揺らめく音の波。――記号が音に、音が波に代わり、生まれゆく旋律。


「あ、ベラ笑った!」
「っ!?」
「母さん、ベラが笑ったよ! 俺と一緒にいて初めて緊張の抜けた笑い顔を見せてくれたよ!!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねる気配。
 土を叩く音が喜びを伝えてくるけれど、その理由にオレは思わずピアノに乗せていた手を止め口元に手を添える。隠したそれが不満なのか、フィアレスは椅子に手を掛けてオレを下から覗き込む。
 横に顔を向ければ追うように身体を前のめりにして……やがてオレの膝の上にのしかかる形でへらりと笑う気配がした。



+++++



「……ベラ?」


 その時、同じ十字星たる名を持つ少年が神によって導かれた音楽を聞き届け、彼はその音楽の為に己が奏でていたピアノから手を離した。


「ベラ、どうして君が音楽を奏でているの」


 金髪の少年は宇宙の空に問う。
 だがそれを聞き届けたのは少年の傍で楽譜を見ていた青年――創世神であった。名はMZDと言い、宇宙の端で音楽を作り続けている少年の元に音を拾いに来た神様だ。


「それなー。ベラには俺の息子の遊び相手になってもらってるからだよ」
「何それ、私をのけ者にしてずるい! 私も神様の息子さんと遊びたい!」
「のけ者になんかしてやしないさ。俺様がいるだろ? 俺は向こう側には行ってないし、お前の音楽をきちんと評価している」
「私だってベラと遊びたいよ、神様」
「向こうがお前を嫌っていても、か」
「……」
「ベラは光が強すぎるがゆえに南十字星と名付けられたお前と間違われることにコンプレックスを持っちまった。これは南の空や地球に属している者達が勝手に評価したモノじゃあるが、ベラの精神を歪ませるには十分すぎるほどだったろうよ」
「それでも――」


 少年はピアノの鍵盤に手ををダンッ!! と叩き付け、感情を露わにする。


「私はベラの楽しそうな音楽なんて――聞きたくない!」
「嘘つき」
「う〜っ……」
「本当にお前はベラコンプレックスだよなぁ。互いに互いを意識して、本物だの偽物だのと周囲の評価に振り回されちまう子供に育ってさ。そこはもうちょっと素直にお互い顔を見せあって語り合ってなんとかなんないもんかねぇ」
「だってベラが悪いんだ。私に対して『話もしたくない』とか『本物さまは違うね』とかひねくれた事ばかり言う。私があれほど一緒に音楽を作ろうよって誘った時は『目が見えないオレに対する当てつけか』って全く乗り気じゃなかったのに、今聞こえる音楽はなんて楽しそうなんだって思ってしまう」


 鍵盤の上にぐたりと顔を乗せれば、潰れた頬が白黒のそれを押して変な音楽を鳴らす。
 MZDは肩を竦め、それから金髪の少年――ノーヴァへと大きな掌を乗せてがしがしと撫でまわした。子供の頭はそれだけで激しく揺れピアノに無茶苦茶な音を響かせる。


「神様、私の音楽の何が悪いのか教えてよ」
「お前の音楽が駄目だなんて誰が言ったんだ?」
「ベラ」
「そりゃあ、お前……向こうだって目が悪けりゃひねくれた感想を持つもんだ。特にアレは耳が良い。音を拾うことに長けている――つまり、お前以上に脳内に響くもんが多いってことだよ」
「ぶー……」


 ノーヴァは己の頭を撫でまわす父たる神の手に自分の両手を被せるとそっとそれを外す。
 膨れ面になった子供にぶはっとMZDは遠慮なく吹いて笑えば、少年は更に拗ねたように唇を尖らせた。


「だからって音を紡ぐことを止めるなよ。俺様はお前の音楽を認めてこうして奪いに来ているんだから」
「いつか絶対にベラに私の音楽が聴きたいって言わせるんだ」
「ベラコンめ」
「なにか美味しそうな名前にしないでよ」
「対して向こうはノヴァコンか。いや、どちらかというと、旧約聖書『創世記』に出てくるアベルとカイン兄弟に似たものを感じるね。神に比べられ続けた兄弟。その果てには嫉妬による人類最初の殺人者――いやー、こわいこわい」
「私はベラを殺したいだなんて思ってない! ただ――」
「ただ?」


 ノーヴァが紡いだ楽譜を片手に神は問う。
 表情は興奮から覚めないまま、彼は一瞬だけ息を飲みこみ、けれども最後に観念したとばかりの息を吐き出した。


「……今は、この音楽の続きを聞きたくない……」
「ヤキモチかよ。かーわいーねぇ」


 MZDが影神を背負いながら笑い声を宇宙に響かせる。
 ノーヴァが睨んでくるものだから、影神すらその様子が愛らしくも可笑しいとけらけらと笑った。






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